「家族を持たず情報だけに頼る姿は、現代社会の構図に似ている」J・エドガー マスター@だんだんさんの映画レビュー(感想・評価)
家族を持たず情報だけに頼る姿は、現代社会の構図に似ている
エドガーという人物は、若い時から情報を系列立てたり、事象を科学的に分析する才能に長けていたようだ。感や腕力に頼らず効率的に犯人を追い詰めていく近代捜査開拓の祖だ。
だが、学歴と身なりなど知性にこだわり、人種差別的な言動が多々ある。結果的に人を見る目が狭まり、人選の能力に欠けたと言えよう。
権力への執着心が強く、地位を脅かす者への警戒心から誰も信じられない哀れさは加齢とともに増していく。
権力に執着し、その地位を脅かす者への警戒心が、法を破ってでもありとあらゆる情報を収集しなければ気がすまない悪循環を生む。
信じられる者は少なく、結局、何十年もの間、側に置いたのは秘書のギャンディと副長官に任じたトルソンだけだ。
孤独なエドガーにとって情報は信じられる最後の砦だ。
そして絶対的な心の拠りどころは母・アンナだった。
家族を持たず情報だけに頼る姿は、現代社会の構図に通じたところがある。
絶対的な権力で国を牛耳りながら、ある種の性癖を持つプライバシーは生涯独身で、エドガー自身の情報は少なく謎が多いというのも皮肉だ。
今作は、自身の伝記を部下のスミス捜査官に書かせ、過去を振り返りつつエドガーの壮年と晩年を描いていく。過去と現在を行き来しながら、人物や真実をあぶり出していく手法だ。
たしかにこの方法だと、ひとつひとつの事象にどのような意味があったのか知ることができる。資料に執着すればするほどに、情報に溺れれば溺れるほど孤立していくエドガーの姿が浮き彫りになる。
ただ、過去との行き来が頻繁で、1932年のリンドバーグ愛児誘拐事件については話の流れにブレーキが掛かったきらいがある。
それでも独特の緩急によって淡々とした内容を飽きさせずに見せる、イーストウッド監督の技は相変わらず健在だ。
ディカプリオ、ナオミ・ワッツ、アーミー・ハマーの老若演じ分けも見ものだ。
エドガーがギャンディを久々にファーストネームで呼んだとき、ヘレンはエドガーに違うものを期待していたのではないか? 落胆の様子が痛々しい。
詳細は描かれていないが、伝記をタイプする担当官が途中で代わってしまう件にも注目。