時をかける少女(1983)のレビュー・感想・評価
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現代ポップカルチャーに多大な影響を与えた
大林宣彦監督が現代のポップカルチャーに与えた影響は計り知れない。美少女アイドル、SF、ノルタルジックな風景に展開される純愛。今、漫画やアニメなどでもおなじみの設定やイメージが数多く散りばめられている。当時、尾道に観光客がどっと押し寄せたというから聖地巡礼の先駆けでもあったとも言えるだろう。実際、多くの漫画家やアニメ作家がリスペクトを表明している。
映像の魔術師の異名の通りに、斬新な演出も盛りだくさんだ。冒頭、モノクロのスタンダードサイズの画面に始まり、中央から徐々にカラーになっていく。スチール写真の連続で表現されたタイムリープ画面、散る桜をあえて合成で入れ込み、異空間的な味わいを作るなど、、実験精神と娯楽性を高いレベルで融合させている。
運命の相手がいつか会いに来ても、自分では思い出すことのできないというクライマックスの切なさと、大団円のエンディングの多幸感のギャップが心にしみる。
原点
言わずと知れた、SF作家・筒井康隆の代表作である。
彼の毒のある小説の中では、例外として「お上品」に作られている。
まあ、連載していたのが少年少女向けの学習雑誌ならば
当然なのだが…
そして、これも言わずと知れた大林宣彦監督の「ノスタルジック映画」の
最高峰ともなる。
よく出来た作品ではあるが、どうしても2006年に公開された
「アニメ版・時をかける少女」よりは見劣りを感じてしまう…
ある人は言った「時をかける少女」の要素は「SF」「恋愛」「青春」の
三構造からなると…
原作小説が「SF」大林映画が「恋愛」…ならばアニメは残る
「青春」の路線で行こうと。
俺は、あらゆる作品の中で「青春」を扱ったアニメ版を一番
評価するのである。
…しかし、この初代映像作品がヒットし評価されたから、後の
多くのリメイク作品が生まれ、その中で自分にとっての最高峰の
アニメ版もあると… その部分だけでも★は多くオマケ…
ネタバレも何も、最後の内容は有名だから、触れる必要も無い。
苦い青春の一作
今となっては陳腐なディティールでも
どんなに時代を感じる合成でも
この映画は大切なお宝映画
探偵物語と同時上映だった当時のピクチャーチケットは今も所持している
特に深町君の部屋の秘密基地感や和子の家のレトロ調インテリアが本当に好き
ウィキの演出についての項目で、根岸季衣さんの回顧が載っているんですが
未読の方は是非
これが尾道三部作を創った監督なんだと至極納得する素敵なやりとりです
ずっと見たかった映画
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高校生の知世には幼馴染のゴロちゃんと深町がいた。
ある日を境に知世は同じ日を繰り返すようになった。
そして深町の告白。深町は実は少年時代に死んでいた。
今の深町の正体は1か月前に未来から来た薬学博士だった。
知世らは記憶を操作され、昔から深町がいたことになってた。
西暦2600年くらい?科学の進歩と人口増加で植物がなくなったらしい。
なので原料となる植物を得るために今の時代に来たのだった。
そしてもう去ると言う。去れば知世も深町の中の人も記憶を失う。
そして何年か経って知世は偶然なのか薬学研究所に勤めてた。
そこを深町が訪問。しかしお互い何か気になりつつも、分からず。
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有名な映画やし、ぎゅわんぶらあ自己中心派でパロディを見た。
だから大体どういう話か想像はついたが、予想通りの展開だった。
ただ何で知世が時空を彷徨う羽目になったんかはよう分からん。
あと深町を中心に結構演技のヘタさが目立つw
しかし原田知世、今は歳を食ったが、透明感はこの頃と全く変わらんなあ。
原田知世の透明感
映画というよりはアニメあるいは動画
80年代角川映画にありがちな滑り気味でピッチのおかしい会話がややキツくはあるものの、他に類を見ない先鋭的な演出に瞠目する。特にタイムリープのシーンにおける極端なコマ落としや象徴性の強い合成ショットには一見の価値がある。あるいはカラーとモノクロの間を往還する色彩も。時を超えて再会した二人が二点透視のそれぞれ片方に向かって無言で歩いていくラストカットもキマっている。本編との温度差が激しい和気藹々としたエンドロールは相米慎二が『お引越し』で真似していたんだなと今更ながら。
ただまあこれを「(映画史的な意味での)映画」として評価できるかというと首肯し難い。『HOUSE』のときも思ったことだが大林宣彦は映像を加工する手捌きがあまりにもアニメ的というか動画的だ。生身のショットにそこまでやっちゃイカンだろという映画的倫理をゆうに飛び越え、何もかもを平然と切り刻み、変形・変色させている。合成についても、技術的な問題はあったんだろうけど同時期の『バッグ・トゥ・ザ・フューチャー』なんかと比べるとまったく奥行きがない。ただ、それによって映画とは別次元のパラダイムシフトが起きたことは疑いようのない事実だ。
たとえばタイムリープのシーンにおけるシルエットの演出は『ぱにぽにだっしゅ!』以降のいわゆるシャフト演出を想起させるし、カラーとモノクロを往還する手法はガイナックスの名作OVA『トップをねらえ!』にも受け継がれている(こちらは製作費上の問題ゆえにモノクロになってしまっただけらしいが…)。またクロマキーで切り取られた波が映像を飲み込んで次の画面に移行するというダイナミックなカット割りは、昨今TikTokで「神編集」と持て囃されている動画にもよくみられるものだ。
本作を映画として評価することは難しいが、無数のアニメ、動画コンテンツに与えた影響は計り知れない。私も昔はアニメをよく見ていたので懐かしい気持ちになった。そういえば『フリクリ』のEDはまるごとコマ落としの実写映像だったっけな。
映画の理想の教科書。
なんと40年前の映画ですが、登場人物たちの関係をカメラがきわめて繊細に周到にとらえていることには、本当に驚かされます。物語が転がり出すときの温室、海沿いの崖、終幕での種明かしの掛け合い、どれも会話撮影の教科書のように完璧に画角が組み立てられています。いま映画をこころざす人は、監督でも技術スタッフでも、このあたりのシーンを全ショットくわしく研究してみるべきなのです。
大林監督がどれほどていねいに俳優を動かしているか、どれほど緻密にカメラ位置を決めているか。そのラッシュを、しかし編集室でどれほど深く再発見しながら自在に組み替えているか。映画を作るのに必要なヒントが、この映画にはいたるところに溢れています。
映画にCGI技術が導入される以前の作品なので、当然すべての特殊効果はアナログ。だから新しい技術で撮り直せばもっと面白くできるはず…と思いがちなのですが、やはり当時16歳の原田知世の可憐さや、よい意味でのアマチュア精神とベテランの技術が拮抗しはじめた時期の大林監督の実見精神や…、そうしたものが奇跡のようにそろったこの映画は、やはり唯一無二のものだと思います。
衝撃でした。
時代相応の作品
原作は読んだと思うが、ライトノベルの走りの様な小説。
醤油の匂いを忘れ、ラベンダーの香りに溺れてしまった女性の話。
大林監督はこの話を逆説的にとらえていると僕は思う。
初見の頃はラベンダーの香りに憧れたものだが、何回か見るうちに、一人の女性の人生を狂わせた香りが、ラベンダの香りなのではと感じる。
1975年の頃『時をかける少女=タイムトラベラーだったかなぁ?』を旧国営放送の連続ドラマで始めて見て、ラベンダーの香りに凝ったのはその頃の事。
実はこの映画の初見の頃はラベンダーの香りに溺れていたわけではない。
この映画を見ると、思い出すのはベータ版のレンタルビデオを探していた事を思い出す。始めて、レンタルビデオ店で借りたビデオが『時をかける少女』である。
ケン・ソゴルに何故惚れてしまうのか。今でも分からない。だから、 魔性の香りなのだろう。
主人公、芳山和子は、時を歩いて、普通に50歳のおばさん。果たして、まだ、ケン・ソゴルを忘れられないのだろうか?
大林監督ありがとう!!
【”ラヴェンダーの香り”原田知世さんこそ、時を経ても容姿が変わらない未来人ではないの?と思った作品。】
ー 年代的に、初見である。
そして、1983年の角川映画で、SFのタイムリープや、テレポーテーションを実写化すると、こんなふうになってしまうんだ・・、と少し寂しく感じた。(さびしんぼう・・)
「転校生」も「さびしんぼう」も、とても面白かったのに・・。
幼き時に今作をTVで見てなかった事も、影響しているかもしれない。-
◆感想
・今作のファンの方には、物凄く叱られる事を承知の上で、もし今作がテレポーテーションでもして、2022年の新作として、そして原田知世さんが、新たに登場したアイドルとしてこの映画が公開されたとしたら、どうだろうか・・、と思ってしまった。
・今作は”尾道三部作”の2作目となっているが、大林監督はこの作品が出来上がった時に、この作品を見てどう思ったのか、聞いてみたい。
ー 「転校生」や「さびしんぼう」の不可思議な抒情性が希薄である。-
・筒井康隆氏の「時をかける少女」は、幼き時に読んだが、とても面白かった。だが、今作は角川春樹氏による、当時お気に入りだった原田知世さんのアイドル映画のトーンが強すぎるのではないか、と思ってしまった。
<今作は、公開時にこの映画を見た人にとっては、忘れ難い作品であろう。
だが、年齢的に初見の私には、特にSFシーンのチープさが残念に思った作品。
エンドロールの原田さんのMVのような作りもちょっとなあ、と思ってしまったよ。
流石に、テーマソングは知っていましたが・・。>
知っているのに知らない映画
1983年。小学2年生だった私が選んだ映画は「のび太の海底鬼岩城」。ただし原田知世が歌番組を席巻し、ドラえもんに夢中な子どもにも時をかける少女の名前は轟いた。
サビのメロディは妙に耳に残ったが、それでも映画を観ることはなく、テレビでも流れていたのだろうけど違うチャンネルを選び、結局40年弱の年月が過ぎていた。
本作を含めて9回もの映像化がされているらしい。アニメ映画は観た。だから何となく内容は知っている。こんなに知っているのに、こんなにも知らない映画は他にない。スクリーンで観れるとなれば行かないわけがない。ありがとう角川映画祭。
映像やストーリー、演技も演出も音楽も何もかも、古さに溢れていた。だがそれは決して悪い意味ではない。40年前の映画が今と同等だったら、さらに最新作より優れていたりなんかしたら大問題なのだ。
だから安心した。古い映画だった。
古い映画だったのに、やはり素晴らしかった。つまり映画は、前述したような単純な要素だけで成り立っているものでは無いのだ。そもそも素晴らしいのであろう(つまり未読)筒井康隆による原作、大林監督のほとばしる情熱、そして透けて見える原田知世の未来。深町同様に、自分が未来人としてタイムリープしてきたかのようだ。理由はよく分からないが良い時間を過ごせた。
因みにこの映画のメインはエンドロールだと思う。映画を観終えて聴く原田知世の歌が心地よい。歌詞の内容をはじめて理解して鳥肌立った。ジャッキーばりのNGシーンまで盛り込まれたエンディングは正直過去最高レベル。まあ、流れてくる文字は一切読めなかったのだが…。
原田知世という素材への期待感
素朴で初々しい原田知世
タイムトラベラーは自分のことだったのです
「時をかける少女」とは誰のこと?
もちろん原田知世の演じる芳村和子です
しかし実は他にもいたのです
それはあなたのこと
私達観客自身のことでもあったのです
大昔観た時は、なるほどアイドル映画だ
ポップでキッチュな映像表現だとぐらいにしか理解できませんでした
そんな風にほんのうわべだけしか、本作の意味を理解できてきなかったのです
本当の意味なんかその時にはまるでわからなかった
40年近い年月が過ぎ去って本作を観る私達
それはタイムトラベラーです
アルバムの写真をくるかのように自分の過ぎ去った思い出の一コマ一コマが映画と一緒に私達の脳裏で遡っていくのです
チープで昭和ぽいといわれるタイムリープの映像は実はそれを表現していたのです
原田知世は当時15歳
大林監督は46歳
つまり一世代違うのです
大林監督は主人公の芳村和子を大正ロマンの少女として理想化したと特典映像で語られておられてました
つまり大林監督は自らの青春時代へタイムリープして、その理想の少女を現在に持ち込んでみせたのです
それがタイムトラベラー原田知世です
そして21世紀
同じように私達はタイムリープして、自分たちの青春をもう一度くりかえせるのです
永遠の4月18日なのです
大林監督は意図は、今やっとわかりました
長い間、本作をなかなか再度観る気になれなかった理由もわかりました
本作とともに青春が閉じ込められていたからです
不用意に観て時の迷い人、時の放浪者になりたくなかったからです
カーテンコールの歌唱シーンで涙腺が決壊しました
果てしない時を経て、ここに戻ってきた
自分が忘れていた青春はここにあった
絶対に忘れないと誓ったことも何もかも忘れ去っていたことを今思い出したのです
タイムトラベラーは自分のことだったのです
大林監督やっとわかりました
ありがとうございました
安らかにお眠り下さい
自分もタイムリープできました
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