時をかける少女(1983)のレビュー・感想・評価
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現代ポップカルチャーに多大な影響を与えた
大林宣彦監督が現代のポップカルチャーに与えた影響は計り知れない。美少女アイドル、SF、ノルタルジックな風景に展開される純愛。今、漫画やアニメなどでもおなじみの設定やイメージが数多く散りばめられている。当時、尾道に観光客がどっと押し寄せたというから聖地巡礼の先駆けでもあったとも言えるだろう。実際、多くの漫画家やアニメ作家がリスペクトを表明している。
映像の魔術師の異名の通りに、斬新な演出も盛りだくさんだ。冒頭、モノクロのスタンダードサイズの画面に始まり、中央から徐々にカラーになっていく。スチール写真の連続で表現されたタイムリープ画面、散る桜をあえて合成で入れ込み、異空間的な味わいを作るなど、、実験精神と娯楽性を高いレベルで融合させている。
運命の相手がいつか会いに来ても、自分では思い出すことのできないというクライマックスの切なさと、大団円のエンディングの多幸感のギャップが心にしみる。
原田知世氏の素朴で女優として完成されていない初々しさや古風な透明感、少女から大人に変わる彼女の刹那をフィルムに収め、魅力を引き出した大林宣彦監督の見事な演出が秀逸です。
惜しまれつつ25年7月27日に閉館する「丸の内TOEI」さんにて「さよなら丸の内TOEI」プロジェクトがスタート。同館ゆかりの名作80作品以上の特集上映中。
今週は角川映画特集。
『セーラー服と機関銃』『時をかける少女』の豪華2本だて。
『時をかける少女』(1983年/104分)
わたしにとって本作含む大林宣彦監督の手がけた『転校生』(1982)、『さびしんぼう』(1985)の尾道三部作および『ふたり』(1991)、『あした』(1995)の新尾道三部作は、まさに思春期に観て、魅了された至高の特別な作品ですね。
何といっても本作で映画デビューを果たした原田知世氏の素朴で女優として完成されていない初々しさや古風な透明感、少女から大人に変わる彼女の刹那をフィルムに収め、魅力を引き出した大林宣彦監督の見事な演出が秀逸です。
タイムリープというSFジャンルではあるものの、誰もが思春期に通過、経験する恋を知った少年少女たちの揺れる心の機微と葛藤、惹かれ合う者同士が互いの記憶を無くさなくてはならない永遠の別れ、そして数年後大人になった二人がすれ違いざまにふとお互いを微かに気づくラストは、何度観ても涙が溢れます。
エンディングでカーテンコールのように原田知世氏がキャスト陣と歌う主題歌『時をかける少女』は作詞・作曲:松任谷由実氏が手がけた映画音楽の名曲、原田氏の瑞々しい歌声も良いです。今でいうミュージックビデオ風の演出で驚きですが、彼女の魅力を最大限発揮させたアイドル映画としてはこれ以上ないラストです。
その他演者では、息子夫婦と孫を事故でなくした老夫婦をベテランの上原謙氏と入江たか子氏が哀愁たっぷりに演じたところが流石、実に印象深いです。
そして大林宣彦監督映画の常連、本作では和子の幼なじみ五朗を演じた尾美としのり氏の和子に対するほのかな愛情と優しい眼差しが観ている方も感情移入ができて良いですね。
本作のもう一つの魅力は坂が多い古き尾道の街並みと空気感。
古風な原田知世氏の魅力にぴったりな佇まいですが、小津安二郎監督が『東京物語』(1953)でも同地に魅了されフィルムが無くなるまでカメラを回し続けたと言われるように実に魅力的。
昔ながらの瓦屋根や光が差し込む格子を実に上手く活用、構図に取り込んでいますね。
松任谷正隆氏の劇伴とも実にマッチしています。
そして長い石階段も画面に奥行きと上下の動きも演出できるので、映画としては街の空気感ともども実に良い舞台です。
今観るとSFジャンルとしての派手な特殊効果などもありませんが、キャスト(原田知世氏)、舞台(尾道)、音楽(松任谷正隆・松任谷由実)、そして大林宣彦監督の確かな演出で、令和の今観ても一切古さを感じさせない、不朽の青春映画の傑作ですね。
さよなら丸の内2
独特の雰囲気が映画全体の基調にもなっている
劇場では初めて観ました。
原田知世さんが本当に可愛いらしいですね。
原田さんと相手役の高柳良一さんの演技がかなり素人寄りに思えました。特にクライマックスでの2人での掛け合いは、棒読み?の応酬。
でも、未来人を演じた高柳さんには、あえて台詞の「棒読み」をするように大林宣彦さんは演技指導したらしいですね。
本当なのかは分からないけれど、確かに、独特の雰囲気は出ていて、映画全体の基調にもなっています。
エンディングは、各場面で原田さんが主題歌を唄うシーンの連続なのだけれど、これが角川映画が完全にアイドル路線に切り替わったことの象徴みたいな感じでした。
尾美としのりさんの演技は流石です。
映画人の作った温もりのある映画
まずはファーストシーンからして
ピリッとしない合成のせいもあり
ふわふわした年代に合ったシーンになった。
星空のスキー場、帰りの列車、笑顔、
笑顔のシーンにあのチェロが加わる。
その旋律は障子越しの少女の影に重なり
多感な印象に変化、テーマとなる。
所々に現実と未来感を取り入れ
原作と出演者の持ち味を生かした。
手が届きそうで届かない”感”
微妙な感情のブレが心に留まる。
和子の戸惑い
深町の存在
吾郎のこと
教師の関係
和子の家族
待つ老夫婦
”亡くなった孫のものを買ってはいけません”
”いけませんかね…”このセリフと表情が深い。
時間をごちゃ混ぜにし
仕掛けもループさせ
永遠の中に世界を置いた。
書いても書いても書ききれない
監督の選択は映画史に残るもの
最後の最後に見せたシーンで
”これは映画だ!”その確信で終わる。
すばらしい。
※
まんまと術中にはまりました
角川春樹×大林宣彦×原田知世が織りなすタイムトリップものの不朽の名作!!
タイムトリップものの原点にして、全ての作品の帰結の手本となる不朽の名作!!
角川映画と言うと、とかくイベント映画的な要素がクローズアップされ、その話題性が先行するようなプロモーションが大きく取りざたされるが、実は一本一本の作品のクオリティの高さの裏付けがあってこそだと実感させられる。
大林監督のコメンタリーでも語られる通り、28日間という短い製作期間、ローバジェット作品にも関わらず、これだけの魅力ある作品として4作のリバイバルが繰り返されるのも、ひとえに角川春樹のプロデューサーとしての洞察力、大林宣彦による作品への愛情、それに応える原田知世の確かな演技力によるコラボがあったこそと頷ける。
ラストの二人の出会いは全てのタイムトリップもののお手本ともなるべき心奪われるラスト!
40年前の作品とは思えぬ映画の素晴らしさがここに凝縮されている!!
原点
言わずと知れた、SF作家・筒井康隆の代表作である。
彼の毒のある小説の中では、例外として「お上品」に作られている。
まあ、連載していたのが少年少女向けの学習雑誌ならば
当然なのだが…
そして、これも言わずと知れた大林宣彦監督の「ノスタルジック映画」の
最高峰ともなる。
よく出来た作品ではあるが、どうしても2006年に公開された
「アニメ版・時をかける少女」よりは見劣りを感じてしまう…
ある人は言った「時をかける少女」の要素は「SF」「恋愛」「青春」の
三構造からなると…
原作小説が「SF」大林映画が「恋愛」…ならばアニメは残る
「青春」の路線で行こうと。
俺は、あらゆる作品の中で「青春」を扱ったアニメ版を一番
評価するのである。
…しかし、この初代映像作品がヒットし評価されたから、後の
多くのリメイク作品が生まれ、その中で自分にとっての最高峰の
アニメ版もあると… その部分だけでも★は多くオマケ…
ネタバレも何も、最後の内容は有名だから、触れる必要も無い。
苦い青春の一作
今となっては陳腐なディティールでも
どんなに時代を感じる合成でも
この映画は大切なお宝映画
探偵物語と同時上映だった当時のピクチャーチケットは今も所持している
特に深町君の部屋の秘密基地感や和子の家のレトロ調インテリアが本当に好き
ウィキの演出についての項目で、根岸季衣さんの回顧が載っているんですが
未読の方は是非
これが尾道三部作を創った監督なんだと至極納得する素敵なやりとりです
ずっと見たかった映画
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高校生の知世には幼馴染のゴロちゃんと深町がいた。
ある日を境に知世は同じ日を繰り返すようになった。
そして深町の告白。深町は実は少年時代に死んでいた。
今の深町の正体は1か月前に未来から来た薬学博士だった。
知世らは記憶を操作され、昔から深町がいたことになってた。
西暦2600年くらい?科学の進歩と人口増加で植物がなくなったらしい。
なので原料となる植物を得るために今の時代に来たのだった。
そしてもう去ると言う。去れば知世も深町の中の人も記憶を失う。
そして何年か経って知世は偶然なのか薬学研究所に勤めてた。
そこを深町が訪問。しかしお互い何か気になりつつも、分からず。
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有名な映画やし、ぎゅわんぶらあ自己中心派でパロディを見た。
だから大体どういう話か想像はついたが、予想通りの展開だった。
ただ何で知世が時空を彷徨う羽目になったんかはよう分からん。
あと深町を中心に結構演技のヘタさが目立つw
しかし原田知世、今は歳を食ったが、透明感はこの頃と全く変わらんなあ。
原田知世の透明感
映画というよりはアニメあるいは動画
80年代角川映画にありがちな滑り気味でピッチのおかしい会話がややキツくはあるものの、他に類を見ない先鋭的な演出に瞠目する。特にタイムリープのシーンにおける極端なコマ落としや象徴性の強い合成ショットには一見の価値がある。あるいはカラーとモノクロの間を往還する色彩も。時を超えて再会した二人が二点透視のそれぞれ片方に向かって無言で歩いていくラストカットもキマっている。本編との温度差が激しい和気藹々としたエンドロールは相米慎二が『お引越し』で真似していたんだなと今更ながら。
ただまあこれを「(映画史的な意味での)映画」として評価できるかというと首肯し難い。『HOUSE』のときも思ったことだが大林宣彦は映像を加工する手捌きがあまりにもアニメ的というか動画的だ。生身のショットにそこまでやっちゃイカンだろという映画的倫理をゆうに飛び越え、何もかもを平然と切り刻み、変形・変色させている。合成についても、技術的な問題はあったんだろうけど同時期の『バッグ・トゥ・ザ・フューチャー』なんかと比べるとまったく奥行きがない。ただ、それによって映画とは別次元のパラダイムシフトが起きたことは疑いようのない事実だ。
たとえばタイムリープのシーンにおけるシルエットの演出は『ぱにぽにだっしゅ!』以降のいわゆるシャフト演出を想起させるし、カラーとモノクロを往還する手法はガイナックスの名作OVA『トップをねらえ!』にも受け継がれている(こちらは製作費上の問題ゆえにモノクロになってしまっただけらしいが…)。またクロマキーで切り取られた波が映像を飲み込んで次の画面に移行するというダイナミックなカット割りは、昨今TikTokで「神編集」と持て囃されている動画にもよくみられるものだ。
本作を映画として評価することは難しいが、無数のアニメ、動画コンテンツに与えた影響は計り知れない。私も昔はアニメをよく見ていたので懐かしい気持ちになった。そういえば『フリクリ』のEDはまるごとコマ落としの実写映像だったっけな。
映画の理想の教科書。
なんと40年前の映画ですが、登場人物たちの関係をカメラがきわめて繊細に周到にとらえていることには、本当に驚かされます。物語が転がり出すときの温室、海沿いの崖、終幕での種明かしの掛け合い、どれも会話撮影の教科書のように完璧に画角が組み立てられています。いま映画をこころざす人は、監督でも技術スタッフでも、このあたりのシーンを全ショットくわしく研究してみるべきなのです。
大林監督がどれほどていねいに俳優を動かしているか、どれほど緻密にカメラ位置を決めているか。そのラッシュを、しかし編集室でどれほど深く再発見しながら自在に組み替えているか。映画を作るのに必要なヒントが、この映画にはいたるところに溢れています。
映画にCGI技術が導入される以前の作品なので、当然すべての特殊効果はアナログ。だから新しい技術で撮り直せばもっと面白くできるはず…と思いがちなのですが、やはり当時16歳の原田知世の可憐さや、よい意味でのアマチュア精神とベテランの技術が拮抗しはじめた時期の大林監督の実見精神や…、そうしたものが奇跡のようにそろったこの映画は、やはり唯一無二のものだと思います。
衝撃でした。
時代相応の作品
原作は読んだと思うが、ライトノベルの走りの様な小説。
醤油の匂いを忘れ、ラベンダーの香りに溺れてしまった女性の話。
大林監督はこの話を逆説的にとらえていると僕は思う。
初見の頃はラベンダーの香りに憧れたものだが、何回か見るうちに、一人の女性の人生を狂わせた香りが、ラベンダの香りなのではと感じる。
1975年の頃『時をかける少女=タイムトラベラーだったかなぁ?』を旧国営放送の連続ドラマで始めて見て、ラベンダーの香りに凝ったのはその頃の事。
実はこの映画の初見の頃はラベンダーの香りに溺れていたわけではない。
この映画を見ると、思い出すのはベータ版のレンタルビデオを探していた事を思い出す。始めて、レンタルビデオ店で借りたビデオが『時をかける少女』である。
ケン・ソゴルに何故惚れてしまうのか。今でも分からない。だから、 魔性の香りなのだろう。
主人公、芳山和子は、時を歩いて、普通に50歳のおばさん。果たして、まだ、ケン・ソゴルを忘れられないのだろうか?
大林監督ありがとう!!
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