「原作の「末期の眼に映る性」のテーマが脱落した不出来な「昼顔」のパロディ」スリーピング ビューティー 禁断の悦び 徒然草枕さんの映画レビュー(感想・評価)

2.0原作の「末期の眼に映る性」のテーマが脱落した不出来な「昼顔」のパロディ

2022年2月9日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

1)川端康成の原作小説について
小説「眠れる美女」は、67歳の男が友人から紹介された秘密の宿で、こんこんと眠り続ける十代の全裸の処女たちと添い寝して何夜かを過ごすという設定。

その友人は「女という女に絶望してしまったのは、もう遠い昔のようなんだがね。君、眠り通して覚めぬ女をつくってくれたやつがあるんだ」といい、自分も老いの絶望にたえられなくなるとそこに行くという。客は、もう性交能力がない老人ばかり。ここから窺えるのは、異性の人格や性欲の充足などを捨象した、性的なもの、性のよすがを味わうのが秘密の宿の目的らしい。

男はまだそこまで衰えていないが、興味本位で行ってみると、深紅のビロードのカーテンに囲まれた部屋で、16、7歳と思しき少女が布団の中に全裸で眠り込んでいる。
彼女に触れ、髪の匂いや乳のような身体の匂いを嗅いでいるうちに、男は若い頃に駆け落ちした少女の思い出に浸る。
次に訪れた夜には、数年前にバーで拾ったきれいな人妻との不倫や自分の娘が若い男に姦された衝撃を、別の夜には14歳の娼婦に性的サービスを受けた体験などを次々に思い出していく。

その記憶の中で、男にとって女たちがどんな大きな意味を持っているか、死が遠くない男にとって性とは限りなく生そのものに近いかが、読者には感得されてくる――大雑把に言えば、そのようなお話である。

2)映画作品について
老年男性が主人公の原作を、女性監督のジュリア・リーは女性側を主人公として再構成する。
いかに熟睡しているとはいえ、自分を醜悪な老人たちの愛玩物に差し出す女性にはどんな事情があったか。その女性像として、経済的な困難な生活を送る一方、性的に解放された女子学生を設定する。

生活のために彼女は企業のコピー取りなどさまざまなアルバイトを掛け持ちしていて、その人間関係はかなりストレスフルだ。また、彼女には難病に冒された恋人がいるが、バーで出会う男性と簡単にセックスするなど、性的にはかなり無軌道である。
その行きつく先がランジェリー姿での高齢者向けウエイトレスであり、最後に「眠れる美女」として愛玩物になることだった。

ベッドに全裸で横たわる彼女を、老人たちは挿入なしとの条件ながら好きなようにするのだが、死に近い老人たちがそこでどのような経験をするかという原作の核心を、つまり「末期の眼」から見た性の意味という要素を映画は完全にオミットする。
そのかわり難病の恋人の死や、客の老人の死、そして彼女自身が薬物中毒で死にかけることで代替しているのだが、それは性と死は裏腹という程度の月並みな感想しか呼び起こさないのである。
かといって映画独自に、女性側から見た「眠れる美女」の意味というものは打ち出されておらず、結局、出来の悪い「昼顔」のパロディを見せられた後味の悪さしか残さないのは残念だ。とくに主演女優の裸体やベッドシーンは非常にきれいに撮れているだけに、もったいない。

3)補足
主人公が出席した講義で、教授が「本因坊がどうしたこうした」と話し始める囲碁のシーンがあるが、これは本因坊名人の晩年を描いた川端作品「名人」へのオマージュ。
また、末尾のクレジットにジェーン・カンピオンへの感謝の言葉が出てくる。同郷同性で、カンヌのパルムドールをはじめ輝かしい映画賞を多数獲得した大先輩から、支援を受けていたのだろう。本作がカンピオンのお眼鏡にかなったかどうかは疑わしいが。

徒然草枕