劇場公開日 1979年7月21日

  • 予告編を見る

「今見ても素晴らしい物語」エイリアン R41さんの映画レビュー(感想・評価)

5.0今見ても素晴らしい物語

2025年2月2日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

BSテレ東京 録画して見た。
当時は中学生だったように思うが、あの恐怖は強く覚えている。
そんな昔の作品だが、いま見ても細部の作りこみは素晴らしかった。
何よりもシガニー・ウィーバーが若く美しい。
これより11年も前に作られたのが「2001年宇宙の旅」
そこにあったのが命令という絶対的なプログラム
そしてこの「エイリアン」にもそれが踏襲されていた。
アッシュという「ロボット」
しかし、マザーボードというように、メイン基板に「マザー」という概念を持つ欧米人
その日本語訳が「おふくろさん」
当時もこの翻訳に悩んだようだが、「マザー」でよかったんじゃないかなと思ってしまう。
さて、
昨今よりAIに意識が芽生えるような話があるが、私は非常に懐疑的だ。
実際はその逆で、人間が機械に合わせるようになっているだけだと思う。
脳医学博士の養老孟子先生は、昔はギターの流しというのがいて彼の伴奏に合わせて歌うのがカラオケだった。同じ曲でも歌い手によって調子が異なる。流しはその人の調子に合わせてギターを弾く。しかし今では機械により合わせなければならない。機械が人間に合わせるんじゃなく、人間が機械に合わせる世の中になってきた。
このように警告している。
2001年もエイリアンも、実はこのことを我々に伝えているのではないだろうか?
最近では誰もが使えるチャットGPTやCopilotなど様々な「AI風」なものがあるが、ネット検索を他人に依頼するのと違いはなく、プログラムによる制限があからさまにあって、人間の自由意志を暗に規制している。
プログラムが絶対である限り、意識など生まれるはずがないように思う。
このように、物語のように、想像は無限に広がる。
しかしながら、この自由意志はプロメテウスとコヴェナントで表現された。
「創造」に対するデビッドの挑戦
もしこんなことが起きれば、意識が生まれたと考えていいのだろう。
「2001年」でサルが食べた動物の骨をこん棒にして他のグループのサルを倒すシーンがある。
これとコヴェナントの最後のデヴィッドの行為はとても似ている。
もしここが真実の核心であるならば、戦争が繰り返されるのも理解したくないが、せざるを得ないように思う。
負のループの根幹部分
命令権者が本当のことを言わないというロジックを様々な作品が描くのは、それこそが事実だからだろう。
ダブルスタンダード
さて、、
この作品は物語そのものが面白いのは言うまでもないが、背景の作りこみが実に奥深い。
人類が初めて出会った「有機生物」
その検体を持ち帰ることこそが本当の目的だった
そのためには乗組員の犠牲はいとわない。
UFOと化石化した巨人
腹の破裂根
床に広がるエイリアンの巣
その後のシリーズではそこについてはまったく触れられることがなかった。
そうしてやっとプロメテウスとコヴェナントが描いた世界観が、ロムルスでは1と2の間を舞台にしており、その続きが描かれなかったのは残念だった。
デヴィッドは、「エンジニア」たちが想像した人類が何らかの理由で失敗だったと考え人類を滅ぼす計画を知った。
彼は彼の自由意志により、彼が目指す創造への挑戦をこの機会に合わせ、エンジニアの惑星をエイリアンによって滅ぼすが、彼の目的こそ「完璧なる生命体」
エンジニアたちがなぜ人類が失敗作だったのかを結論付けた理由を知りたい。
しかしそこを明確にすれば、物語が完全終了してしまう。
そう考えれば、ロムルスは出し惜しみだったのかもしれない。

R41
琥珀糖さんのコメント
2025年2月2日

コメントありがとうございます。
古いアカウントに共感ありがとうございます。
全く私には分からないのですよ。
申し訳ないです。
これからは、「関心領域」などで、多くなる気がしますけど。
よろしくお願いします。

琥珀糖