「「どこに行けと言うのか?」「悔しい」」ひめゆり Imperatorさんの映画レビュー(感想・評価)
「どこに行けと言うのか?」「悔しい」
初めて知る人には、時系列や地理関係は理解困難なはずだが、自分としては、比較的分かりやすいドキュメンタリーであった。
米軍のアーカイブ映像も、きちんと日時を考慮して使われているようだ。
1994年から2006年にかけて撮りためた証言映像とのこと。証言者は、次第に思い出すにつれて、言葉が溢れてきたという。
上映後のトークで監督は、観客よりは、戦争で亡くなった人に悲劇の歴史の全体像を観てもらいたい気持ちで制作したという主旨を語っていた。
映画は、有名なマーラーのアダージェット(交響曲第5番第4楽章)で始まる。
哀調を帯びた音楽に、心をつかまれる。だが同時に、こういうムードで押していく作品なのかな、という懸念もあった。
しかし、その後はほとんどBGMは使われず、生存者の証言を中心にして進められる。実のところ、素っ気ないほどに、誇張のない作品だ。
映画は、3章で構成される。
第1章は、壕の中での医療活動のことが語られる。傷病兵の看護にあたる、地獄の日々。
砲撃に遭い、余裕がなくなる中で、次第に人間性までもが失われていく。
第2章は、5/29の首里陥落から、6/18の“解散”命令に至るまでが描かれる。「“解散”だ。後は自分でなんとかしろ」と言われても、米軍に完全包囲された中で、一体「どこに行けと言うのか?」
“友軍”が駆けつけてくれると、勝利を願っていた学徒たちは、絶望に陥る。「何のために頑張ってきたのか、悔しい」。
第3章は、“解散”後の悲劇が語られる。
ある者は丘へ、ある者は海岸へと逃げまどい、動けない者は壕にとどまる。「生きて虜囚の辱を受けず」の思想教育ゆえに、死は覚悟している。しかし、「死ぬ前に、ひと目家族に会いたい」。
一般に、沖縄戦が語られる時は、住民を犠牲にして戦闘を継続した軍を批判する視点から描かれる。最近のドキュメンタリー映画「生きろ 島田叡」をはじめ、ほぼ例外はないと思う。
もちろん当然だし、自分も全く異論はない。
しかし本作では、証言者は、自身が経験したことだけを語る。当時知り得なかった知識や、戦後学んだ価値観を投影して、何かを批判することはない。
あの時、あの場で、ひめゆり学徒が経験していたのは、「生徒さーん」と助けを求める傷病兵の看護であり、また、米軍の砲撃、射撃、そして火炎放射器の中での決死の逃亡、それだけだ。
それゆえ、本作はライブ感のある証言集になっている。批判的視点の欠如が良いか悪いかは、別問題だ。
また、第3章の“解散”後の状況の証言が詳しいのも、本作の大きな特徴ではないだろうか。
海岸は住民や兵士で埋め尽くされ、海上の米軍の軍艦と対峙したという。
なぜ、“解散”直後の6/19からのわずかな期間で、大量の犠牲者を出したかが、自分はようやく理解できた気がする。
沖縄戦は、本土よりも早く来る梅雨の季節であったという。
「ひめゆり平和祈念資料館」は民営だが、コロナ禍で来場者が激減し(86%減)、資金難となって、現在、ホームページで寄付を呼びかけている。
自分は行ったことはないが、まだまだ必要とされている施設であり、ずっと語り継がれるべき歴史である。