「希薄なエピソード、断片的なストーリーの寄せ集め状態に。」1911 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)
希薄なエピソード、断片的なストーリーの寄せ集め状態に。
さすがに130億も投じた戦闘シーンの迫力は見応えがあったものの、総じてエピソードが駆け足で、断片的なストーリーの寄せ集め状態になってしまいました。1895年第一次広州起義より始まった辛亥革命は、1911年の武昌起義で武昌の武力制圧に成功するまで、10度の起義の失敗を繰り返し、数多くの革命活動家の犠牲を余儀なくされていたのです。その16年間の激動の歴史を僅か2時間に凝縮するのは困難なこと。『レッドクリフ』のように一つの戦闘だけに凝縮すれば、中身を濃くすることもできます。しかし、辛亥革命全体を2時間で描くのは無理があるのではないでしょうか。
そのため、主役も明白ではなく、群像劇にも見えてしまうところが中途半端なんです。 本来はジャッキー・チェンが演じる黄興が軸になるべきところが、途中から孫文の欧米での活動が主体にかわり、後半では袁世凱の台頭と共に、袁世凱の政治的な駆け引きが軸となっていくのです。そのため黄興の出番は後半極端に少なくなってしまいます。黄興を主役に、彼の視点に絞って、辛亥革命にどう関わったのか描けば、グッと黄興に感情移入するヒューマンドラマとして感動できたのではないかと思います。
この黄興は、孫文の右腕ながら、中国国内でもあまり知られておらず、ジャッキーも本作の台本で初めて知ったそうです。けれども史実に触れると大変魅力ある軍事リーダーだったようで、どんな危険な戦場でも駆けつけ、自らが矢面に立って戦闘を指揮する命知らずな指揮官だったようです。そんな侠気に優る黄興にジャッキーも惚れ込み、自らプロデュースして製作に当たっていた『十二支』の製作を一旦中止し、本作の製作に取りかかったそうです。
但し、本作のジャッキーの演技は、堅い気がします。シリアスな黄興役は、コミカルさをワンシーンを除き封印。コミカルなアクションを信条としてきたジャッキーにとって、こうしたシリアスな演技で新境地を開拓しようとしているのは、理解できます。でもどうしてもしっくり来ないのは、役柄に彼の生真面目さが被って、役作りを意識すればするほど役柄のもつ存在感を弱めているのかも知れません。例えば高倉健なら、そこに立っているだけで、演じなくとも存在感を感じます。彼にとってもそんな存在感を掴むまで、シリアスな演技では手探りしているのかもしれません。『新少林寺』では一変して水を得た魚のように生き生きした熟練の演技を披露しているだけに、同時期に見比べると違いがはっきりしてしまいます。
また、革命の広がり方も違和感を感じました。当初は失敗の連続で、初めての武装蜂起では、黄興を除き中国同盟会の若いメンバーが尽く戦死してしまいます。そんな辛酸が続く中、武昌で武装蜂起では、中国同盟会は既に大規模な反乱軍を形成して清国軍を圧倒するところが描かれます。その間の説明がないので、小さな武装蜂起がいつの間にか突然、大規模な軍隊に変貌しているかのように見えて、唐突過ぎるように見えてなりませんでした。
この中国同盟会の若いメンバーが犠牲となる覚悟を決める冒頭のシーンでは、新婚なのに妻に遺言を遺すなど、本来なら悲劇的な展開に涙を誘われるシーンです。けれども、エピソードの描き方が掘り下げていなく、涙も流す暇なく彼らは戦死していくのでした。
出だしが似ている『孫文の義士団』では、義士となる登場人物と関わる家族や恋人とのやりとりを丁寧に挿入して、感動を盛り上げていったのとは天地の差を感じてしまいました。
いろいろ突っ込みどころをあげつらいました。けれども本作で描かれる革命の精神は、頭が下がる思いです。ジャッキーが語るように、辛亥革命もなければ、またこの英雄たちもいなければ、今この新中国なかったことは事実でしょう。本作でも革命の初期がいかに困難な状況にあったか、たっぷり描かれます。国外追放となった孫文も、海外の華僑を訪ね歩いても、なかなか革命への資金提供につながず辛酸を舐めるところが描かれていきます。それでも孫文は怯むことを知らず、革命の勝利を信じ、革命の意義を海外の同胞たちに蕩々と説き続けたのです。その演説は、当時の華僑の心を捕まえたばかりでなく、映画を鑑賞している小地蔵も感動してしまいました。きっと孫文は、時代を変えるために使命を持って生まれてきた天使の仲間なのでしょう。
復興を目指す日本にとっても、この孫文の不屈の精神力に励まされるところは大きいと思います。そこに本作が今年公開される意義があると強く感じた次第です。