1911のレビュー・感想・評価
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100周年記念とはいえ・・・
100周年記念に製作された映画とはいえ、、、
ねぇ、、、
僕たちはただ平和に暮らしたかっただけ
この腐敗した清王朝を打倒して平和をーー
みたいな言い回しから始まるんだけどね。
歴史に鋭い人は、すぐに脳裏に浮かぶんです。
平和どころか反対にぶち壊しにして多くの人達に恨みを買い台湾に落ち延び、台湾でもしでかした。行く先々で迷惑掛けただけの傍迷惑な連中・・・腐敗してたのは自分達国民党というオチなんです。
この映画で描かれるのは冒頭の綺麗事を謳って闘争しているときの部分だけ。
ジャッキー・チェンさんよくこんな仕事引き受けたな・・・と関心する。
歴史好きにはたまらん
孫文は有名でも彼の軍事面でのパートナー黄興については日本ではあまり知られていない。だが黄興がいなかったら辛亥革命は成功できなかっただろう。それほど黄興の功績は大きかった。冒頭のシーンで秋瑾が処刑されたが彼女のことも日本ではあまり知られていないが、秋瑾は女性革命家としていまでも中国では大変人気があり、浙江省杭州市には彼女の銅像も立っている。歴史的事実に忠実な作品作りには大変好感が持てた。習近平独裁体制が確立する前の作品だからあそこまで史実に忠実に描けたのだろう。当然のことながらこの歴史劇には中国共産党はなんの関係もないのだ。彼らは先人の流した血の上に築かれた革命の果実の簒奪者にすぎないのだから。
歴史の勉強
『孫文の義士団』で描かれた内容から5年後の話。黄興(ジャッキー・チェン)と孫文は革命軍のリーダー、革命軍の資金集めとして同盟会の指揮を高めていた。冒頭では女性初の処刑者が処刑台に向かうシーンで、まるでキリストのような扱いだった。
アヘン戦争後から始まった列強の中国進出により、清朝の衰退は目に見えていた。おかげで人民が苦しい生活を強いられていたのだ。革命とは清朝の封建制を断ち切り、人民による統治を行うこと。そう主張する革命の父とされている孫文の物語。
ジャッキー・チェンは総監督も務めていて、アクションが炸裂するのは僅か。銃撃で指を吹き飛ばされるところが痛々しかったけど、革命を遂行するために奮闘する勇ましさ。やはりジャッキーだな。
ストーリー的には清朝の皇帝を退陣させるまでのもので、袁世凱や汪兆銘も登場するが、あくまでも無私無欲の孫文中心。これから先も激動の時代が続くので、続編ができるのなら見てみたい。
諸葛孔明や孫文の子孫が?何故?今あんな国にΣ( ̄。 ̄ノ)ノ?
昔の日本人には、あの国は兄だった。
四書五経を始め、様々な学問を通じ、仁義礼知信を学んだ。
・・学んだはずなのに!いつの間にか?兄は消え?追い越してしまっている現状・・。
蒋介石は何故敗れ?
毛沢東は文化大革命を支持し、その系譜が天安門へとつながり?
ウクライナから空母を買うか?
どこで?あの国と我が国はこんなに差が開いたんだろう???
はい。
こちら中国近代史に暗い方は、サッパリ分からないでしょうな*・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)'・*:.。. .。.:*・゜゚・*???
映画偏差値?や、映画経験値?が高い映画です。
ジャッキーは出ますが・・
アメリカ横断するでも無く!
香港の警察で、バス止めたりデパートの吹き抜けから降りたり?するでも無く!
木のカンフー人形とも戦わ無いし!
酒飲んで強くなったりもし無い!
本作期待はしないでね。・゜・(ノД`)・゜・。?
感動?尊崇の念は抱きますが、それだけです!
遠足は家に帰る迄が⇒遠足!
革命は成し遂げまともな国になってこそ⇒革命!
ボーイズムービー女人禁制!
ま、お時間有る方ならドゾ♪(*^^)o∀*∀o(^^*)♪?
★は、DVD80円水準にて!
戦闘シーンばかりで見分けがつかない
ジャッキー・チェン、ウィンストン・チャオ、リー・ビンビン。
*
原題はずばり「辛亥革命」
戦闘シーンは派手で迫真的だが、どの戦闘もみな同じようだった。
多くの人物が出てくるので、孫文、黄興、袁世凱、隆裕以外の人物の見分けは苦しい。
歴史物(史実もの)は壮大な流れを追えば追うほど焦点がぼけやすい。
本作も歴史のダイジェスト版の感じが強い。
辛亥革命前後の歴史について詳しくないと流れを追うことすらままならず、理解は難しい。
字幕版だったが、ほとんどがアフレコと思われ、やや違和感があった。
特にジャッキー・チェンの声が、タイミングは外れていないのだが、音質に違和感があった。
物語の中心となる時代、孫文と日本はかなり関係が深いし、明治維新が革命に大きい影響を与えているはずだが、お家の事情だろうが、孫文と日本の関係はほとんど触れられない。
孫文と王興の信頼関係、友情が素晴らしい.....
中国の歴史背景を十分理解していないので、難しい映画でした。
恐らく、大河ドラマで一年は描けるであろう内容を2時間程度に凝縮しているため、かなりの駆け足になってしまっていたと思います。
ジャッキー・チェン主演100作品目という記念すべき作品ですが、肝心のカンフーシーンの見せ場もなく、残念な感じです。
辛亥革命からも100周年ということで、中国の方にとっては重要な年なのでしょう...少しだけ、理解が深まりました....。
革命のリーダ孫文とその右腕軍司令官王興の信頼関係、友情に感動しました.....。
スケールの大きい躍動、重々しい歴史
規模が大きい話。
動物としての生物=人間のスケールが大きい
城のような広い空間でものを考える習性は、大国なりのリードするサイドの手綱の難しさを思わせる。
数億人をかかえる国。
昔から情報はやり取りしていたものの、現実は深く、繋がる鎖も多岐に渡る。
重たい身体を引きずりながら進む船の規模を思わせる、悩み、葛藤、複雑さに輪をかける内情・・・
込み入った人生の、それぞれの内面の思惑が溶け合い、
火花を散らして、気持ちの世界と現状の外面がスパークした。
ジャッキーちぇんの 鍛え上げられてがっしりした頼もしい姿が命エネルギーの燃焼を彷彿とさせ、
冷やっこい冬の映画館に、灰色のヘビーなしわがれ声が重厚に響いた。
辛亥革命、結局よく理解できませんでした
辛亥革命から100年を記念して製作されたと思われる本作。確か、売り文句は「レッドクリフ」のスタッフが結集!とかだったかと。
そもそもレッドクリフがたいしたことの無い作品ですから、アピールポイントを間違っているとは思います。
また、ジャッキーチェンの長年のファンとして見に行きましたが、近年、さすがにアクションが厳しくなったせいか従来とは全く違ったカラーの映画が増えておりますので、本作もいわゆる「ジャッキー映画」を期待されると間違ったことになります。
本作をお勧めするのは、ジャッキーが出ていればとりあえず見ておこう、という熱烈ファンの方、及び辛亥革命とはなんぞや?という興味を持てる方に限定されそうです。映画としての面白さを期待される方にはおやめになったほうが良いですよ、とお伝えしておきます。
歴史もの・史実もの好きの方には、正直この映画を見ても、辛亥革命についてはよくわからないままですよ、ともお伝えします。編集の問題がそもそもの脚本どおりなのかは不明ですが、流れが非常にわかりづらく、大きな話の流れはぼんやりと見えるものの、直前で示されたストーリーと次のシーンのつながりがぶつ切り状態で、「なぜこのシーンがここで??」と悩まされること請け合いです。最終的には「よくわからなかった」という感想にならざるを得ません。
想像するに、100年という記念の年に何か残るものを作りたかった人がいたんだろうな、ということかと。
好奇心の強い方なら、この映画では消化不良でよく分からないから、辛亥革命について改めて学ばれる方もいるかもしれませんね。
独りよがりな時の富野カントクと同じにおいを感じました。残念です。
溥儀が懐かしい。
J・チェンが映画出演100本目を記念して総監督も務めた作品。
1911年の辛亥革命をテーマに、
孫文の右腕として尽力した男・黄興の姿と、
革命に身を捧げた名もなき若者たちの運命を描いた歴史大作。
一応字幕版が観れたのでそちらを選んだけれど、
冒頭から丁寧に日本語での歴史説明、劇中でも右に下に左にと
字幕が相次ぎ^^;全部を読み切れないのでけっこう大変であった。
歴史に埋もれた名もなき革命派たちに敬意を表した作品である。
しかし実際の革命は決してドラマチックな展開という訳ではない。
例えば大河ドラマ的にひとりの戦士にスポットを当て、
彼の生涯を掘り下げてドラマチックに描くこともできたかと思うが、
淡々とその歴史事実を追うに留まっている。
ジャッキー観たさに足を運んだ観客は、予想以上に地味な展開に
けっこう驚くんではないだろうか。ジャッキーがよりシリアスである。
(とはいえ、一瞬カンフーやるんだけどね。あれもどうなんだろう^^;)
彼のシリアスな演技はここ最近、けっこう観てきたが、
今回もなかなか良かった。孫文の右腕・黄興をシブく表現している。
いやしかし。。
辛亥革命、いくら歴史で勉強したとはいえ(未だにうろ覚え)
次々と歴史上の人物が列挙されてもまったくついていけなかった^^;
日本でいえば江戸幕府が倒れ、明治維新が始まった頃と似ている。
現に孫文たちはそれを手本としてこの革命を推進したのだろうが、
やはり自国の歴史について今一度しっかり学ばなければ(如何せん)
他国の歴史になどおいそれと手は伸ばせないよな、と反省しきり。。
そういう意味では、いい作品であったと思う(推奨します)
孫文。まさに革命の父。素晴らしい人物だったのは一目瞭然。
袁世凱も清朝も皆んな阿呆に見えてしまうほどだったが、映画的には
その阿呆を演じた袁世凱がより人間的で大衆意識に近いものがあった。
真面目な教科書のように描かれている本作に、足りない民意のような
視点を彼が持ち合せていることによって、なんとなく映画らしくなった。
紫禁城のシーンでは、
「ラストエンペラー」で幼い溥儀が登場したあのシーンが再現されている。
何とも懐かしくて目頭が熱くなった。
日本も他国のことをあれこれ言えないが、
今の中国を見て、当時の孫文や革命派たちは何を思うだろうか…。
(しかしジャッキー、シブくなったなぁ。息子も共演していたのね!)
革命という名の痛々しさは中国そのものである
枯れてもなお闘志を捨てないジャッキーの男の美学が『ベストキッド』以上に銀幕を駆け巡り、同じ故郷を持つ者達が殺し合いをしなければならない戦争の愚かさを痛感、胸の奥が熱くなった。
革命に命を捧げた兵士達の魂は誰が供養し、代弁してくれるのか?を絶えず問い、葛藤する一方で、諦めず闘い続けなければならないのが、指揮官の哀しき運命。
アクションを抑え、静かに戦火へ飛び込み、無惨に散る若者へ追悼するジャッキーの闘将は哀愁感が増し、真骨頂とも云える大作に仕上がっている。
しかし、悲しいかな…我は日本人である。
中国史に疎いため、分裂した中国で威嚇し続ける両軍の思惑や利権を狙う他国の牽制etc.駆け引きを把握したくても、膨大な情報量の流れが速すぎて、把握しづらい。
特に新政府発足を巡る孫文と朝廷との水面下での一進一退は複雑化が加速。
日本軍が絡む『ラストエンペラー』が理解の限度だった私には、苦痛を極めた。
しかも、政治面での覇権争いは孫文中心でマッチメイクを仕掛けているため、実戦重視のジャッキーはメインイベントから離れ、リングから次第に遠ざかっていく。
あれだけ貫禄に満ち溢れた存在感がどんどん薄くなってしまったのは率直に寂しい。
孫文を狙う暗殺団を往年の見事なカンフーアクションで一網打尽にする場面は、ジャッキーらしさが唯一光っていて嬉しかったけど、早い段階で肉弾戦から頭脳戦へのスライドするのでファン心理は戸惑いが濃いであろう。
かつて独裁者・猪木に刃向かい革命をもたらした20数年後、満を持してブツかった小川直也との試合は《世紀の大凡戦》と叩かれまくった時の戦士・長州力のファイトを何故か思い出してしまった。
やがて袂を分かつ孫文は差し詰め、ドラゴン・藤波辰彌と云うべきか。
彼も新日本プロレスの社長の座に就くも、すぐに政権は崩壊。
新日本プロレスから去っていった。
ほな、皇太后は猪木元夫人の倍賞美津子で、両軍間で暗躍する袁世凱は新間寿で…
…その辺にしとこう
やっぱり長州はカムバックするべきではなかったと思う。
そんなプロレスの変動を他国の人々に力説したところで、何のこっちゃっ?っと首を傾げるばかりに違いない。
とどのつまり、そういう映画なのである。
では、最後に短歌を一首
『裂けた舵 契り(千切り)の指で 断つ(起つ)鎖 嵐になびく 革命の旗』
by全竜
日本人向きじゃないかなぁ
この映画を見る前に、近代中国史を勉強しておく事をお勧めします。じゃないと、置いてけぼりをくらいますね。例えるなら、明治維新の映画を中国で上映するような物で、その国の人じゃないと難しい所があります。
ただまぁ、ジャッキー自身が“映画人生の集大成”と称してはばからないスペクタクル超大作という謳い文句には若干、誇張があるかなぁ。
希薄なエピソード、断片的なストーリーの寄せ集め状態に。
さすがに130億も投じた戦闘シーンの迫力は見応えがあったものの、総じてエピソードが駆け足で、断片的なストーリーの寄せ集め状態になってしまいました。1895年第一次広州起義より始まった辛亥革命は、1911年の武昌起義で武昌の武力制圧に成功するまで、10度の起義の失敗を繰り返し、数多くの革命活動家の犠牲を余儀なくされていたのです。その16年間の激動の歴史を僅か2時間に凝縮するのは困難なこと。『レッドクリフ』のように一つの戦闘だけに凝縮すれば、中身を濃くすることもできます。しかし、辛亥革命全体を2時間で描くのは無理があるのではないでしょうか。
そのため、主役も明白ではなく、群像劇にも見えてしまうところが中途半端なんです。 本来はジャッキー・チェンが演じる黄興が軸になるべきところが、途中から孫文の欧米での活動が主体にかわり、後半では袁世凱の台頭と共に、袁世凱の政治的な駆け引きが軸となっていくのです。そのため黄興の出番は後半極端に少なくなってしまいます。黄興を主役に、彼の視点に絞って、辛亥革命にどう関わったのか描けば、グッと黄興に感情移入するヒューマンドラマとして感動できたのではないかと思います。
この黄興は、孫文の右腕ながら、中国国内でもあまり知られておらず、ジャッキーも本作の台本で初めて知ったそうです。けれども史実に触れると大変魅力ある軍事リーダーだったようで、どんな危険な戦場でも駆けつけ、自らが矢面に立って戦闘を指揮する命知らずな指揮官だったようです。そんな侠気に優る黄興にジャッキーも惚れ込み、自らプロデュースして製作に当たっていた『十二支』の製作を一旦中止し、本作の製作に取りかかったそうです。
但し、本作のジャッキーの演技は、堅い気がします。シリアスな黄興役は、コミカルさをワンシーンを除き封印。コミカルなアクションを信条としてきたジャッキーにとって、こうしたシリアスな演技で新境地を開拓しようとしているのは、理解できます。でもどうしてもしっくり来ないのは、役柄に彼の生真面目さが被って、役作りを意識すればするほど役柄のもつ存在感を弱めているのかも知れません。例えば高倉健なら、そこに立っているだけで、演じなくとも存在感を感じます。彼にとってもそんな存在感を掴むまで、シリアスな演技では手探りしているのかもしれません。『新少林寺』では一変して水を得た魚のように生き生きした熟練の演技を披露しているだけに、同時期に見比べると違いがはっきりしてしまいます。
また、革命の広がり方も違和感を感じました。当初は失敗の連続で、初めての武装蜂起では、黄興を除き中国同盟会の若いメンバーが尽く戦死してしまいます。そんな辛酸が続く中、武昌で武装蜂起では、中国同盟会は既に大規模な反乱軍を形成して清国軍を圧倒するところが描かれます。その間の説明がないので、小さな武装蜂起がいつの間にか突然、大規模な軍隊に変貌しているかのように見えて、唐突過ぎるように見えてなりませんでした。
この中国同盟会の若いメンバーが犠牲となる覚悟を決める冒頭のシーンでは、新婚なのに妻に遺言を遺すなど、本来なら悲劇的な展開に涙を誘われるシーンです。けれども、エピソードの描き方が掘り下げていなく、涙も流す暇なく彼らは戦死していくのでした。
出だしが似ている『孫文の義士団』では、義士となる登場人物と関わる家族や恋人とのやりとりを丁寧に挿入して、感動を盛り上げていったのとは天地の差を感じてしまいました。
いろいろ突っ込みどころをあげつらいました。けれども本作で描かれる革命の精神は、頭が下がる思いです。ジャッキーが語るように、辛亥革命もなければ、またこの英雄たちもいなければ、今この新中国なかったことは事実でしょう。本作でも革命の初期がいかに困難な状況にあったか、たっぷり描かれます。国外追放となった孫文も、海外の華僑を訪ね歩いても、なかなか革命への資金提供につながず辛酸を舐めるところが描かれていきます。それでも孫文は怯むことを知らず、革命の勝利を信じ、革命の意義を海外の同胞たちに蕩々と説き続けたのです。その演説は、当時の華僑の心を捕まえたばかりでなく、映画を鑑賞している小地蔵も感動してしまいました。きっと孫文は、時代を変えるために使命を持って生まれてきた天使の仲間なのでしょう。
復興を目指す日本にとっても、この孫文の不屈の精神力に励まされるところは大きいと思います。そこに本作が今年公開される意義があると強く感じた次第です。
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