「さらさらーと、お茶漬けの如し」デッドボール ダックス奮闘{ふんとう}さんの映画レビュー(感想・評価)
さらさらーと、お茶漬けの如し
「地獄甲子園」などの作品で知られる山口雄大監督が、オダギリジョー主演「SHINOBI」にも出演していた坂口拓を主演に迎えて描く、スプラッターコメディ。
現代の日本映画界にあって「スプラッター」の世界を牽引しているのは、「冷たい熱帯魚」の園子温と、「東京残酷警察」の西村喜廣が挙げられるだろう(園をスプラッターに分類できるかどうかは、定かではないけども)。
極端な世界設定と、濃く、濃く脚色された人間達を配置して、画面いっぱいに鮮血を撒き散らす。観客はその一点に、この異色映画作家達の魅力が凝縮されていると思う。しかし、実のところはそれほど単純ではない。その裏にある人間の暗部、憎悪、皮肉を意識した上で、言葉にできない衝動を暴力に落とし込むユーモアの輝き、希少性にこそ、観客の心を捉えて離さない力強さがある、のだ、いや、あるはずだ。
そう、ただひたすらに真っ赤な液体をぶっ放しても「・・・気持ち悪い」で終わってしまうという単純明快な事実を、観客は暗に理解しておきたい。
さて、本作である。現在でも伝説的な人気を誇るコミック「地獄甲子園」をベースに、あちらこちらで「お父さんは、許しませんよ!」の危険な描写が躍り狂うコメディ作品とでも言っておこうか。CGを駆使したコミカルな世界観と、清純派で通してきた星野真理にグラウンドを塗りたくる鼻血を出させる覚悟と意欲は大いに買うべき一本だろう。
だが、それだけである。
それだけである。
暴力と殺戮の先にある空虚感、やるせなさ、開放感をまるで意識せず、ただ叩き合う、殴り合う面白さ、奇抜さに特化した表現への陳腐な姿勢ばかりが際立つ。ではせめて、観客に分かり易いよう配慮できたかと言われると、人物が徹底して淡白に描かれ、命を落としても「・・・そうですか」で終わってしまう。
期待する観客の脳裏を、さらさらっとお茶漬けの如く流れていく味気なさ。これは、作り手の腕の問題ではない。「何かを残したい」という意識が、薄いだけである。
何も、残らない映画。それは、低予算で不細工な俳優ばかり配置しても「なめてんのか!」と怒りがこみ上げる映画より、物語の無いノイズばかりの映像で「金、返して」と涙がこみ上げる前衛映画よりも、罪である。
世界が求める本当の日本映画レーベル作品がこれで、良いのだろうか?