「行き過ぎた邪道は王道になる」スーパー! 13番目の猿さんの映画レビュー(感想・評価)
行き過ぎた邪道は王道になる
冒頭の悪趣味な残虐アニメもさることながら、触手の淫獣の登場や、『JUNO』でアカデミー賞にノミネートされたエレン・ペイジにヒーロー狂いの非常識な相棒を演じさせ、果てはコスプレ姿でオナニーまでさせてしまうなど、この映画、下品さには終始事欠かない。しかしこの映画は、話題になった同じくセルフメイドのヒーローを扱った『キック・アス』に下品さを添加しただけの(キック・アスも十分下劣だったが)二番煎じ作品というわけでは決してない。それどころか、紆余曲折を繰り返したものが逆にまっすぐになる、映画『スーパー!』は悪趣味なコメディが、巡り巡ってヒーロー物の真理を突いたような作品なのである。
バットマンやウォッチメンなど、多くのアメコミ作品が正義とはヒーローとは何かという自問をし続けてきた。もちろん、そのすべてを網羅しているわけではないが、多くのその問いが、更なる疑問を投げかけるだけで終わる一方で、この『スーパー!』は実に完結した答えを提示してくれている。主人公・クリムゾンボルトが悪者を成敗するシーンは、武器にスパナを使用するなど後味が悪く、叩きのめされる悪人は最初の方こそはヤクの売人等だったのだが、次第にエスカレートして、列の割り込みや伝聞で車に傷をつけたというだけの人間であっても、クリムゾンボルトと相棒のボルティーはこれまたスパナでぶちのめしていってしまう。そしてそんな狂った主人公にケヴィン・ベーコン扮する、売人の元締めが言い放つのである。
「お前と俺の何が違うってんだ、お前もイカレてんだぜ!」
確かにそうなのだろう、いや、そもそも人はいくつもある狂気の中から正気を選び身につけて、そして一方で狂気を選んで排除し、それを正義や悪と名付けているだけなのだ。しかしそれを、すべてを承知の上で選びとった主人公のなけなしの「正義」は反論できないほどに誠実で真実だった。
いかなる正義も、どう後付けして如何に自分を救うか、その作業でしかない。それを人の弱さであると空しく思うのか、それとも人の強さであると頼もしく思うのか。冒頭で主人公が下手な絵で部屋に飾る「人生で最高の瞬間」は、うだつの上がらない中年男の自慰行為などではなく、我々が選択しうる最低限の正義なのである。納得のラストはそれに気づかせてくれることだろう。