劇場公開日 2011年7月9日

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「親が子どもに遺すもの この映画をみて、たくさんの親と語り合いたい。」海洋天堂 とみいじょんさんの映画レビュー(感想・評価)

5.0親が子どもに遺すもの この映画をみて、たくさんの親と語り合いたい。

2022年8月30日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

泣ける

幸せ

萌える

お金? 学歴? 生き方? ありのままの自分を受け入れられ、大切にされた記憶…
 自閉症スペクトラム障害+知的障害の子を持つ父と子の映画ですが、”障碍者もの”とひとくくりされてしまうにはあまりにも惜しい。

 映画の最後のテロップ「平凡にして偉大なるすべての父と母へ捧ぐ」
 この映画のテーマはそれに尽きます。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

『北京ヴァイオリン』の脚本家が、
ご自身の14年間の自閉症施設でのボランティア活動で接している人々の現状を、世の中の人々に理解を深めてほしいという思いから、脚本を書き、監督した映画。
 だからか、究極の問題提起をしつつも、ファンタジーと言いたいくらいに、温かさにあふれています。
 一つ一つのエピソードを取り上げれば、もっとドラマチックな演出も可能だったでしょうが、あえて?たんたんと綴っていきます。
 まるで、音の強弱の変化やいきなり光る等が苦手な自閉症スペクトラム障害の方も鑑賞できるように、こんな演出・映像・音楽 にしたのかと思うほど。
 監督が関りを持たれた方々を存じ上げませんが、一つ一つのエピソード、一つ一つのシーンに、実在の”あの人・この人”を思い浮かべてしまうほど。
 それゆえか、ラスト、主人公の突飛なアイディアも、素直にすうっと入ってきます。実際にやる人はいないでしょうが、その想いは痛いほどわかります。(ライナスの毛布?)

そんな脚本を読んだジェット・リー氏が、すぐに出演を決め、
彼の呼びかけで、超一流スタッフが集合して、作られた映画。

リー氏はスマトラ地震被災の後、”壱基金”を創立。チャリティ活動に専念した後の、復帰第一作。

しかも、壱基金は、毎年模範プロジェクトを選出しているそうですが、監督がボランティア活動をしていた施設が、偶然にも第1回最優秀団体だったという縁。

大福(ターフー)役のウェン・ジャン氏は、約3か月間、モデルとなった子どもと一緒に食事をし、寝て遊び、水泳をしながら、自閉症に関する約300時間分の映像資料を見たとのこと。さらに大福の全シーンを何回もリハーサルし、大福の動きから反応、台詞の声や語調などを完璧に作り上げたとか。

          (パンフレットより)

そんな想いの詰まった映画。

☆   ☆   ☆

丁寧に作られた映画です。 悲しいと言うより切なさに胸がしめつけられ、なのに希望を貰えます。
 映像、音楽、演技…穏やかな時間が流れていきます。父の死期は着実に迫り、息子のこれからの生活は?と衝撃的なエピソードで始まり、内容的にもじりじりと焦りを感じさせるのに、一方でじわじわと大きな愛に包まれていきます。眼鏡をかけ背を丸めて繕いものをする父、時にユーモアあふれるエピソード、切ないエピソード。そういう一つ一つのエピソードを丁寧に紡いでいきます。

善意の人々しか出てこないという評もありますが、あの父子と共に生きて、悪意的な事が出来る人がいるのでしょうか?
 父・王心誠の、責任を全うしようとする姿勢、周りの人への思いやり、あの笑顔。大福のあの笑顔。つい「一人で頑張らないで。私にできることはない?」と言いたくなってしまいます。尤も気休めだけの言葉をかけるのは、無責任でしかないのだけれど。
 そんなことを重々承知している心誠と柴のやりとりを見ていて歯がゆかったし、大人的にはそれしかないよねと涙が出ました。息子・大福のことも含めて受け入れたいと心底思っている柴。それに感づいているにも関わらず、距離を縮められない・かえって拒否するようにふるまう心誠。切ない。好きな人の力になりたいのになれない、見守るだけの柴。頼ってしまえば楽なのに、大福との大変な生活に巻き込みたくなくて、自分の死後の柴を思って、律する心誠。

バスの乗組員が象徴する世間の無理解。
 これだけ思いやり溢れている人々に囲まれていてさえ、親が子を残して安心して死ねない社会。
生きていく環境を自分が生きていけるように変えられない大福。環境に合わせられない大福。
自分がいなければ、どうなるのか。切実な想い。

人とまったく関わっていないかのように見える大福。でも、いない鈴鈴を探し求める大福。施設に入った初日、父がいないことで情緒不安定になり自傷する大福。自閉症スペクトラム障害の方にはよくあるエピソード。自分のことを本当に思ってくれている人をしっかり見抜いています。
 そんな大福を心配し、心誠が思いついたアイデア・その発想に唸ってしまいました。息子と同じ目線を持っていたこの父ならではのアイデアでしょう。笑わば笑え、と言いたいですが、涙があふれてきました。と同時に明日がキラキラ光って見えます。

☆  ☆  ☆

日本では、
発達障碍者支援法もあり、
東京の特別支援学校高等部では、教員が企業を回って、その方のその特徴を活かした仕事を創出し、卒業した後もフォローし、
ハローワークでも、手帳を持っている人しか使えませんが、ジョブコーチがいて、
就労支援事業所もがんばっていて、
グループホームの試みもあり、
 (とは言っても、新設しようとすると、大家が良い顔しないし、近隣の方々からクレームがあったりして、難しいと聞きますし、何より、運営費も難しいという話しを昔ききましたが、今どうなのでしょう)
と、支援者は支援者なりに頑張ってはいます。
 パンフレットには、辻正次先生のコメントが寄せられていました。「~行動の仕方のバリエーションの学習が少ないため、パターンを崩されると混乱し、パニックになることもあります。しかし、視点を変えてみれば、通勤や掃除など、一度覚えたことは確実にやるため、安定した生活の中で自分の役割・仕事が見つかると活躍できることも多いものです。~(抜粋)」
 私のお気に入りは、古いですが杉山先生の『発達障害の豊かな世界』日本評論社。最近では、本田先生の『自閉症スペクトラムの子のソーシャルスキルを育てる本』講談社とか。

とはいえ、”合理的配慮””個性"「世界に一つだけの花」と言いながら、できるようになるための横並びの教育・躾等で、傷ついて、引きこもりになる子どものなんと多い事でしょう。
 就職しても、パワハラ・モラハラ。
 その子の特性を大切にして、得意を伸ばすのではなく、”足りない”を責める。令和の合理的配慮ではなく、昭和時代の「障碍者はすべからく、健常者に近づける」やり方。強者の価値観の押し付け。二つ目人間が、一つ目の国に行ったという、落語を知らないか。たまたま、マジョリティにいるから、健常者と言われているだけなのに。

と、そんな不幸とは関係なくとも、
 映画でのやり取り:柴が言う。「施設においてくれば、面倒見てくれるわよ」
         心誠が返す。「それで、大福は幸せになれるのか?」 (思い出し引用)
 大切な人を思う、究極かつ唯一の想い。障碍と言われてしまう特性を含めて、得意・不得意だけでなく、何が心地よくて、幸せで、苦手で、嫌いなのか、世の中に同じ人はいません。
 ありのままの息子を、ありのまま受け入れて、大切に接してくれるのか。
 制度や施設があるから、救われる人はたくさんいますが、施設や制度があればいいというものでもありません。
 柴や水族館館長や、鈴鈴が自分なりのやり方を考え実行したように、何ができるのか、そう考えていけるような余裕を持ちたいと思いました 。

とみいじょん