「「映画は脚本と演出で決まる」の手本のような作品」アリス・クリードの失踪 マスター@だんだんさんの映画レビュー(感想・評価)
「映画は脚本と演出で決まる」の手本のような作品
冒頭、まったく台詞がないカットが続く。何の説明も無く、だが無駄がなく手際のいい準備が黙々と進められていく。この時点で、観客はただならぬ事件性を感じ、近代捜査の手を掻い潜るべく立てられた緻密な計画のなかにどっぷり浸かってしまっている。
「行こう」やっと発せられた一言から、3人のドラマが乱暴にスタートする。この映画の登場人物は3人だけだ。犯人が用意した密室を舞台に、誘拐犯と人質の女、2対1の攻防が第1ラウンドを迎える。
この映画の面白いところは、ラウンドが進むにつれ、2対1の力関係がころころ変わるところにある。
完全犯罪間違いなしの緻密な計画が、小さな嘘からほころびだす。嘘を隠すために嘘を上塗りし、ほころびはどんどん広がっていく。外界から閉ざされた狭い空間で猜疑心だけが膨らんでいく。嘘の物的証拠がたった1発の銃弾だけというのも面白い。「映画は脚本と演出で決まる」の手本のような作品だ。しかも両方を手掛けたJ・ブレイクソンは、これが長編初監督作品というから驚く。
さらに、3人だけのドラマを盛り上げた役者がいい。
エディ・マーサン演じる主犯格ヴィックは冷静な計画を立てる反面、相棒ダニーにはキレやすく荒いという矛盾した一面を持つ。そのダニーは、思慮が浅くヴィックに罵られると反抗もするのだが、けっきょく逆らえない。マーティン・コムストンのオドオドした表情が、自立できない男の弱さにぴったりで、作品のキーパーソンといえる役どころを好演する。ヴィックとダニー、このふたりの力関係の根源は、意外なカタチで露見する。ここも見どころだ。
そして最後はアリス・クリードことジェマ・アータートンだ。富豪のひとり娘にはまったく見えない。むしろ、“あばずれ”のようなしたたかさを持つ。しかも、綺麗なカットがひとつとしてない役だ。ボンド・ガールも努めた彼女が、この役を受けた勇気はハンパじゃない。