イグジット・スルー・ザ・ギフトショップのレビュー・感想・評価
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何をもって成功なのかは‥
誰もわからない。結局それはお金なのか、他人からの名声なのか、自身が思うのしかない。非常に面白いドキュメンタリーだった。バンクシーの物事の捉え方に改めて恐れ入った。ティエリーはストリートアートを記録撮影するのには間違いなく長けていたし、その情熱は凄まじい。だからこそ、バンクシーを含む稀代のアーティストたちが彼を信頼し、撮影を任せたのだろう。けれど、それを映画化する監督的才能はなかった。ましてや自身がアーティストとして展示会を開くなどは全く才能がなかったと思う。そもそも彼自身が制作しておらず、ディレクションしてるだけ(それも全てではなく)で、ショーの構想がない。ある意味、宣伝や運営などはプロに任せても良いと思う。アーティストは制作さえすれば良いのだから。しかし、彼は肝心な制作をしていない。。けれど、世の中は面白いもので、バンクシーやその他のアーティストの宣伝のお陰でショーは大成功を収め、一躍ニュースターとして誕生する。地道に個展を開いて徐々に認められていく過程をすっ飛ばし、一気に名声を得る。この名声は本当にアートを理解している人たちから得たものではなく、ミーハー的な要素を多分に含む。それをバンクシーが世の中の風潮として皮肉に表している、それを表現したかったのではと思う。どう映画としてまとまるのだろうと思っていたが、これこそがこの映画の面白いところ。しかし、バンクシーがアート活動をしてみればと言ったことから、本人が暴走してしまった手前もあるかもしれない。あくまでも小さなショーでとは言ったけど。アーティストの善意、好意がそうさせてしまった副産物、シェパードの言った人類学的、社会学的に検証が必要とは正にその通りだと思った。
痛快ドキュメンタリー!
撮影中毒者が撮ってたら撮られる側に。
そしてまさかの大成功。
自分の知識不足でMBWの事は全く知りませんでしたが、なんか痛快でした。
掟破りの行動で、アウトローな筈のストリートアーティストが苦々しく思う存在って面白すぎ!
アーティストってか、アートディレクターですよね!?
そして、メディアの印象操作に左右されるアートの評価基準はやっぱり分かりません!
メディアが無責任に担ぐ裸の王様の描き方・創り方
ハッキリ云って不愉快極まりない代物だ。
何だこりゃ。
個性的デザイナー達がとっかえひっかえ登場してくるが、所詮、落書きは落書きである。
街を汚すだけじゃねぇか。
こんなものゴミだよ、ゴミ。
どこが芸術なのか理解に苦しむ。
特に、ディズニーランドでアルカイダの捕虜のオブジェを飾る暴挙に至っては、迷惑どころか、犯罪以外の何物でもない。
アートは非常識だからこそアートなんだっていうが、常識をわきまえて行うから成立するんだよ馬鹿野郎。
一生ムショ入ってやがれ!とすら思った。
8割、いや9割方0点以下の出来映え。
しかし、サゲ付近で状況は一変する。
取材を続けてきた素人カメラマンのティエリー・グエッタがアーティストに目覚めるのだ。
ココからようやく面白くなる。
一日中カメラを回すのが生き甲斐という林家ぺーみたいなオッサンが、膨大なフィルムを切り貼り整理して映画をこしらえるのだが、コレが酷い出来。
やかましいだけ。
顔と声を隠したバンクシーですら、感想コメントを求められ、顔が強張っていたのがわかる。
んで、よしゃあイイのに、今度は絵描きになりやがった。
本業の古着屋畳んで、デッカい展示場押さえて、華々しく展覧会開くんだが、コレがまた輪を掛けて才能が皆無。
アンディ・ウォーホールのパクリでオリジナリティなんざぁ一欠片も無い。
交流してきたアーティスト達の協力でようやく完成する始末。
だが、世間とはわからぬモノで作品が絶賛され、一躍トップアーティストの仲間入りを果たしてしまう。
それでまたまた、よしゃあイイのに、
「自分の才能のおかげだ」って、
本人勘違いしてその気になっている。
メディアは中身なぞお構い無し。
本質なんてどうでも良い。
無責任に御輿を担ぐ。
裸の王様が如何にして出来上がっていくが手に取れてわかり、感慨深かった。
自惚れた人間の醜さたるや…
天狗になったらロクなこたぁない。
人間は身の程ってぇモノを常に考えるべきだと、この映画を観て教訓となる。
素人は素人として気楽に趣味としてやっていくに限るね。
っと実感したところで短歌を一首
『街を貼る 壁は額縁 宵鼠 芸術(アート)と言い張る 自慰の上塗り』
by全竜
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