「滑らかなカメラワークと純情の描き方」サンザシの樹の下で よしたださんの映画レビュー(感想・評価)
滑らかなカメラワークと純情の描き方
未見と思いレンタルしたが、どこかで観ていた。最近こういう観たことを忘れてもう一度観るパターンが多い。こうして鑑賞記録を残せるサービスはやはりありがたい。そして何度観ても良かったと思える作品ならこういうことが何度あってもいいと思う。
これぞチャン・イーモウと呼べる流麗な横方向への移動カメラ。菜の花が咲き誇る道を主人公の女の子が駆けるシーンは、「初恋のきた道」でチャン・ツイィーが演じたもののコピーと言えるが、それに劣らぬ美しさと初々しさがある。そして、なんども繰り返される自転車のシーン。滑らかな移動は、被写体が感じている心地よさを観客も一体となって感じることができる。
登場する男の子と女の子。この二人の気持ちの昂ぶりは、彼が川の水に入ることで、それまで鏡のように静かだった水面が、ざぶざぶ乱されることで表現されている。この渡し船のシーンと昼休みの水遊びのシーンは見ていて本当に気持ちが良い。無邪気に水の感触を愉しみ、恋のことだけで頭の中がいっぱいという、青春の特権的な感覚を共有することができる。
そして、二人の距離が極限まで縮まる様子は、彼が彼女の足に触れることに象徴されている。素足でセメントを掻き混ぜたせいで皮膚が爛れたときと、男の子の入院先で就寝前に足を洗うときの二度、女の子は彼に素足を触らせることになる。
女性が素足を男性に見せることが性的忌避を伴う行為であった文化をこの二人は生きている。そのことを考慮すると、そこでのこの行為はつまり性的なものと等価である。
それにもかかわらず、彼女はこれを男の子の親切として受け止めて、なんの警戒もなく素足に触れさせる。男女の性的な交わりについての何の知識もない彼女が、素足を男に触らせることの危うさと純粋さを、これらのシーンは存分に画面に表している。
このように画で勝負している映画を観ると、また映画を観たくなる。間違えて二度目を観ても損した気にはならなかった。