劇場公開日 2011年10月7日

  • 予告編を見る

「映画の成せる力」猿の惑星:創世記(ジェネシス) R41さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0映画の成せる力

2024年11月5日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

他に追従を許さないほど多くのシリーズ作が作られている。
宇宙を旅して地球に戻ろうとした宇宙飛行士らは地球そっくりな惑星に不時着した。
そこで見た光景はサルが言葉をしゃべり人間をペットや家畜としていた。
やがて彼らが最も恐れる地へと足を延ばす。
そこで見たものとは…
この宇宙飛行士のショックを、視聴者と共有するように作られているところがこのシリーズ第1作のもっともすぐれている点だと思う。
そして当時の着ぐるみから今ではCG技術が発展し、思い通りの画を作ることができる。
この作品にもそれがいかんなく発揮されていた。
さて、
人は最初のショックと面白さを感じると、その続きやシリーズを見たいと思うようになるのだろうか?
ターミネーター エクスペンダブルズ エイリアン…
そして少し前にはアベンジャーズなるものまで登場した。
これはまさにカップラーメンのようだ。
少し前のガラケーと同じだ。
ここは意外に危険な場所で、どうにか人々を映画というジャンルに留めておきたいのと、当然稼がなければならないという思いがあって、視聴者が求めているものを見誤ってしまっている可能性がある。
ジェイソンボーン最新作が暗礁に乗り上げたというニュースを見た。
ガラケーは運よくスマホというポケットサイズのコンピュータとしてつながったが、カップラーメンはどこに向かうのだろう?
どうでもいいが、カップラーメンの王者は、個人的には欽ちゃんヌードルだと思っている。
カップ麺というジャンル この魅力的な市場を保つには新商品とコマーシャルなどの販売促進は欠かせない。
しかし欽ちゃんヌードルは、昔から何も変えずそのままだ。
販売促進や人々の注目を集めるような仕掛けはすべて他のメーカーがやってくれている。
さて、
少々脱線しすぎたが、
この作品のサブタイトルにあるように、この作品は人類に対し警鐘を鳴らしている。
この設定ができるのが映画の魅力であり力だ。
人間という我が物顔でこの地球上を闊歩し、自然を蹂躙し、動物を一定の場所にしか住めなくして、あるいは搾取し、おまけに毒までまき散らす。
まさに聖書で言うところの「あらためよ」が、この作品を通して語られている。
このことを聖書の言葉こそ登場させないものの、キリスト教社会では誰もが知るこの言葉を背景に置いている。
知らないくても誰にもわかる。
もしいつかそんなことが起きるのであれば、それは知性のある動物で、陸上で言えばサルなのだろう。
ただ、
彼らと人間との特質した差とは、左脳による「認識」または「解釈」という独特なものの有無かもしれない。
動物と違って人には「解釈」という歪曲概念を持っている。
解釈は時代によって善悪を分けるし、もっと細かく分ける。
これがニーチェが言うところの「事実というものは存在しない。あるのは解釈だけである」だ。
見たものそのままではなく、そこに解釈が入ることこそ人間たる所以だろう。
動物は敵意と愛を感じ分ける。
でも絶対にある出来事に解釈は介入しない。
これができる生き物が登場した場合、確実に人類と入れ替わるだろう。

R41
ratienさんのコメント
2024年11月5日

共感、ありがとうございます。

カップラーメンからニーチェまで、なかなか深みのあるレビューで、自分にどこまで理解出来たか分かりませんが、面白かったです。

ちなみにカップ焼そばなら、ペヤングではないでしょうか。

ratien