「籠の鳥 北朝鮮で生きるということ」愛しきソナ レントさんの映画レビュー(感想・評価)
籠の鳥 北朝鮮で生きるということ
まだ幼いソナが叔母であるヤン監督にカメラを止めてという。その時交わされた会話は単にどんな舞台を見たことがあるかという会話だった。ヤン監督はブロードウエイのミュージカルや野田秀樹の舞台が好きだという。ソナにはわかるはずもないが叔母とのこのような会話をするだけでも楽しいという。
北朝鮮で生まれ育ったソナはこの国以外の世界を知らない。それでもこの国の持つ独特な空気を感じ取っていたのだろう。この国では何が許され何が許されないのか、子供心に理解していたはずだ。だから彼女は叔母のカメラを止めてほしいと頼んだ。
幼いながらも自分の叔母がドキュメンタリー映画を撮影していることは理解していた。カメラの前で自分がうかつなことしゃべってしまえばどうなるか幼心に充分わかっていた。
こんな幼い少女にそこまで警戒心を抱かせてしまうこの国の罪深さ。当然叔母であるヤン監督も姪のソナに不利益になるような映像は公開しないよう配慮していたと思うが、しかし何が問題になるかもわからないのがこの国の恐ろしいところなのだろう。
この国で生まれ育ったソナは本能的にこの国の危険な香りを嗅ぎ取っていたのかもしれない。叔母が気が付きようもない危険な香りを。
あどけない表情を見せるソナはどこの国にでもいる普通の少女だ。だが彼女が住む国は普通ではない。彼女はこれからもこの国で生き続ける。帰国事業が無ければ彼女がこの国で生まれることはなかった。人は親を選べないのと同じく生まれてくる国を選べない。
彼女は幼いながらも自分の運命を受け入れているように見えた。けして叔母のように自由に世界を飛び回ることもできない籠の鳥である自分の運命を。しかし彼女はそれでも悲観的にはならない。彼女は英文科の大学に進学した。こんな国であってもその限られた自由の中で自分のしたいことをしようとする彼女の姿を見てヤン監督は頼もしく感じたはずだ。
いつの日か南北が統一を果たし、彼女のような未来ある若者たちが大空へ羽ばたける日が来ることを願わずにはいられない。
「ディアピョンヤン」の公開が原因で北朝鮮に入国禁止となったヤン監督はもう兄たち家族には会いに行けなくなった。オモニも亡くなり、彼らへの仕送りはどうなってしまったんだろうか。現在ヤン監督は新作に取り掛かっているという。自分の家族の作品はもう作らないと述べていたが北で暮らすソナたちの近況が気になるところではある。