劇場公開日 2011年3月5日

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「争いの無い世界の和平をひたすら願いたい、そしてその気持ちは自分の心から、始まる!」神々と男たち Ryuu topiann(リュウとぴあん)さんの映画レビュー(感想・評価)

4.5争いの無い世界の和平をひたすら願いたい、そしてその気持ちは自分の心から、始まる!

2011年7月15日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

悲しい

知的

難しい

アルジェリア国内のある片田舎で実際に起きた武装集団による修道士殺害事件の当時の真相をドキュメンタリーではなく、ドラマと言うフィクションに置き換えて再現して見せたこの作品は、私には正直理解出来なかった。しかし素晴らしい映画であり、映画として見る価値の有る作品と言う事だけは、理解した。サルコジ政権下での、ブルカ禁止法に代表されるイスラム文化排斥に対し、報復を企てたある武装集団が修道士を殺害する事件を起こすまでの、田舎の村の人々の生活と修道士の日常が映し出されている。修道士は、私欲無く、村人に医療を始めとし、様々な奉仕活動を捧げる、祈りの生活を日々繰り返す。
一方、村人の生活も貧しく、過酷な日々であるが、精一杯に生活を営んでいる。
そこで、武装集団が起こす殺害事件をきっかけに、村の様子が一変して、修道士たちの命も危険になり、教会に留まりそのまま奉仕活動をするか否かで、意見は割れて行く。教会組織や、国は、修道士たちの安全を図ろうと教会からの撤退を求めるが、現場で奉仕する修道士達は、無医村で、自分達の施す医療活動がこの村に必要不可欠である事から、撤退を容易には受け入れようとはしない。しかし彼らも人間であり、自分の死を恐れる者もいれば、高齢の修道士は総てを神に委ねている。家族との関係性に苦悩する修道士もいる。修道士も修道士であると同時に人間である。宗教と、人間が生きる意味、日々の生活と宗教、人間の尊厳と、人種や宗教、文化の差異の問題。これらの差をその時代の政権下に於ける政策のみで変える危険性や、そこから派生する差別、等々一口では答えが出る事の無い難問をこの映画は、見る者達に問いかけてくる。宗教、思想の自由を果たして、法によって、或る時突然に変える事の正当性を考えさせられる。
日本の様に、宗教、思想の自由が認められ、一応それらの選択の違いを法律により、取り締まられる事は無い民族には、難しい。これらの問題は、民族の習慣や、文化のその長い歴史的背景により多くの矛盾を抱えていたとしても、その歴史を無視して新たな法律だけでは、裁けない現実がある。
日本は一神教では無く、憲法により宗教の自由が認められ、同じ一人の人間がこの世に生まれ生活する時にも、大方の人は生まれると神社で、お宮参りをし、結婚式は、教会でして、葬式は寺で仏教であっても、何ら問題無く過ごせる。しかも、その事に疑問や、異議を申し立てられる事も無い。ましてや、それで法律的に自由が奪われる事などは決して無いのだから。
一神教を信じる人達の場合は物事こうは簡単、単純にはいかないのが常である。
武装集団が、起こす殺害は決して良い事では無い。何故なら、どこの宗教も殺人を良い事と認めてはいないのだから。しかし、歴史に裏付けされている文化や習慣を、法律だけで、ある日突然に変える事がもしあるとするなら、法律による、文化や、歴史的習慣の禁止は、それを信じる人達の、存在価値を抹殺する事なのかも知れない。法律は、人々を生かす為に存在するのだ。しかし、その法律が、もしも人々の権利を抹殺する事があってはならないのだ。日本に暮す事の幸福に感謝し、一日でも早い、宗教、思想、文化の違いによる人権の剥奪、差別の無い世界の構築と、世界の人たちの心の平安を祈りたい!

ryuu topiann