木洩れ日の家で : 映画評論・批評
2011年4月12日更新
2011年4月16日より岩波ホールほかにてロードショー
現在と過去の境界を溶かす鮮烈で美しいモノクロ映像
ワルシャワ郊外の森の中にある古い屋敷。そこに愛犬フィラと暮らす91歳の老嬢アニェラは、遠からず訪れる、漠たる死の予感を抱えつつ、平穏な日々を送っている。
冒頭、アニェラが、女医の無遠慮な「脱いで」という言葉に反発し、猛然と席を立つ気丈さは、どこか狷介(けんかい)な性格を垣間見せるが、愛犬相手の果てのないダイアローグは、彼女の奇妙に満ち足りた孤独を浮かび上らせる。
アニェラは双眼鏡で両隣の家を観察するのが日課で、一方は愛人を抱えた成金であり、破格で彼女の家を買い取りたいと申し出て、不興を買う。もう片方は子供相手に音楽教室を主宰する若いカップルで、彼女は好ましく思っている。
しばし、双眼鏡に映る光景が現実のものか、彼女の甘美な追想のひとコマなのかが判然としなくなる。コントラストの強い美しいモノクロ映像は、現在と過去の境界が溶け出す効果を意図したものであることが明瞭になってくる。
孫娘にあばら家と揶揄される老朽化した家は、隅々にまで膨大な故人の記憶が堆積され、ゴシック・ホラー映画の精霊の気配すら感じさせる。
かつてワイダ、カワレロウィッチらポーランド派の映画では、鮮烈なモノクロ映像が過酷な時代の証言というアクチュアルな意味を担っていたが、本作では夢幻的なノスタルジーを醸成する反時代的な美学的意匠として機能しているかのようだ。
アニェラがある決断をすると同時に、静謐さをたたえていた画面がにわかに活気づくが、見終わるとダヌタ・シャフラルスカというすばらしい女優の優雅なひとり芝居を見ていたという印象だけが残る。
(高崎俊夫)