劇場公開日 2011年6月11日

「本作の本当のテーマとは?」奇跡 あき240さんの映画レビュー(感想・評価)

5.0本作の本当のテーマとは?

2025年6月17日
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鑑賞方法:VOD

奇跡

2011年
是枝裕和監督作品
本作もまた、家族、親と子供をテーマにした作品ですが、子供の視点から撮られているところが他の作品と異なります

本作はスタンド・バイ・ミーのような子供達の冒険物語のようで実は違います
本作のテーマは子供へのネグレクトだったと思いました
子供達の演技があまりにのびのびとしているのでそこに目を奪われてしまいます
こんな程度のことがネグレクトといえるのか?そう感じる方もおられると思います
こんな家庭2025年のいまはどこにもあると思います
東京とかの大都会だけの事ではなく九州の地方都市でもこうした問題が起き始めた時代だからこそ監督は九州新幹線をモチーフに取り上げたのだと思います

いよいよ新幹線がすれ違うという時に、主人公の小6の航一は、決めていたはずの願い事を言えません
彼の頭の中では、桜島が大爆発しろ!とかまではイメージできていたのに、それからあとは、また家族が一つになって暮らせますようにとの肝心の願い事が頭から消えてしまい、最近の子供達だけの大冒険の様々なことが去来しただけで終わってしまったのです
昨晩泊めてくれた見ず知らずのお爺ちゃんとお婆ちゃんのことが大きく思い出されます
どこかの駅でみた理想の父親の後ろ姿と楽しそうにまとわりつく子供達の光景も
「願い事言えへんかってん」と彼は、弟の龍之介に打ち明けて謝ります
なんで?と聞かれて彼は「家族より世界を選んでしもうた、ごめん」と彼の父のような訳のわからないことを口走ります
弟は「龍之介も違う願い言うてもうてん」とそれに応え、兄は「父ちゃんのこと頼むで」と返します
きっと航一少年は強制的に大人になったしまったのです
奇跡なんか起こらない
桜島が大爆発しないように
家族はもう一つにはなりはしない
両親が、勝手気ままに生きているなら、子供は子供で生きていくしか無いのだと、あの瞬間思い知ったのです
龍之介も、家族をがもと通り一つになりますようにではなく、父のバンドが売れますようにと願ったようです

意味わからへんと何度も繰り返される言葉は、この現実を受けいれられないとの訴えでした、新幹線がすれ違った時、彼は意味が分かったのです
自分達は実は両親に深く愛されてはいない
昨晩泊めてくれた老夫婦の家のように、子供は大事に扱われるべきだ、可愛いがわれるべきだとは子供心に航一は思っています
それでも血が繋がってもいないのに一緒に暮らしてもいない家族でもないのになんでやろ、意味わからへん
でもあの家ではそうしてくれる大人がいた
しかし自分達の両親はそうでないのです
それでも自分達は生きていかないとならないのです
子供一人で生きていくことはできないことぐらいは分かっている
それが彼の言う「世界」ということなのです
その時、彼は子供を脱し、世界を受けいれたのです

子供達はそれぞれに決めていたそこ願い事を大声で叫びました
本当に奇跡が起きるのか?どうか
そんなことはあとにならないとわからない事です

レッドは愛犬が生き返るなんてことが起きるはずも無いのは彼自身がわかっています
彼は小さな妹と父だけの家族のようです
父の生活は荒れていて夕闇の中風俗店に消えます
父はレッドに妹を連れて先に帰れと言ってます
レッド兄妹はまたかと諦めて二人で家に帰るシーンがあります
家に帰っても母も夕飯も待っているとはとても思えません
たぶん、このまえに父が二人に食堂で何か食べさせたのでしょう
レッドには愛犬マーブルがいて面倒を見ています
自分達に家族の愛が振り向けられることがない代わりに犬を可愛いがって自分を慰めているように見えます
愛犬は公園のシーンの時から衰弱していたようです
老犬なのかもしれませんし、餌を満足に与えられていないからかもしれません

愛犬の死は自分達兄妹の運命を暗示しているようにレッドには感じられたかも知れません
奇跡が起きて犬が生き返らなければ、自分達兄妹の運命も変えられないことになる
彼はスーパーの駐車場のスロープを上るときそう思って怖じ気づいたのかもしれません
暗くなってきて小さな妹を一人残して来たことにも気がついたのかもしれません
それが彼に回れ右をさせたように思いました

それでもとにかく、子供の自分達にできることはやり遂げたのです
そこから先はいつかわかることです

阿部寛の演じた担任の男先生の反応のように片親のない子供は普通に一学級に何人もいる時代です
片親がいないからネグレクトされているとは決してイコールではありません
片親であっても子供達がより深い愛情に包まれて育てられている家庭はいくらでもあります

しかし航一の周りにはほかにもまだまだネグレクトされている子供がいそうです
子供達は福岡と鹿児島にそれぞれ帰ります
龍之介の父は息子が昨晩居なかったことに気がついてもいません

福岡の少女めぐみの家でも母も祖母も、
昨晩のことを真剣に心配していた素振りもありません
もしかしたら、少女が友達の家に泊まるなどと言っていたのかも知れませんが、それでもあまり関心がないのです
鹿児島の航一の家では祖父が帰りを今か今かと待っていたようです
祖父が航一の外泊をうまい理由をつけて母と祖母に言ってあったようです
それでも航一は携帯を持っているのに、母が大丈夫?と確認の電話もしていなかったのです
昭和の母だったなら、誰の家に泊まるの?とかしつこく確認して、その家に電話して迷惑をかけますとか挨拶していたでしょう
祖母も母が電話するかどうかを見守っていたはずです
子供達の誰にも親からの電話はなく、子供も親に電話をしません
つまり彼の母は子供に対して無関心だったのです
母は大きくなってと思っているのみです
航一もそれが自分の家庭では普通の事だと思っています
弟の龍之介は自分から淋しいと親に電話すると、その電話を鬱陶しいように思われて嫌われるのではないかと思っていたのです
母は都合の良いときだけ可愛いがるだけなのです
「お父ちゃんのこと頼むで」
子供達のほうがよほど親を心配しているのです、家族を求めているのです
その構造が、新幹線がすれ違った時航一にはわかったのです
そういう奇跡が起きたのです

2004年の「誰も知らない」の延長線上にある映画だと思います
そして2018年の「万引き家族」に繋がっていくベースになった作品と思います
つまり本当もまた日本の家族の崩壊がテーマだったのです
航一は12歳、龍之介は10歳
本作公開から14年過ぎました
あの兄弟はそれぞれ26歳、24歳になっています
早ければ結婚していたり、子供がいてもおかしくありません
親にしてもらったようにしか自分の子供を育てられないと良く言われます
ならば彼らの家庭ではネグレクトが拡大再生産されているのでしょうか?
少なくともこの兄弟が持つことになる家庭はそんなことはないと思います
あの時奇跡が起こっていたのですから

ただ桜島の大噴火の絵が赤く怖いです
何かの暗示とは思いたくありません

あき240
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