日輪の遺産のレビュー・感想・評価
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復興という使命。
鑑賞後、すぐに原作を読みたくなった。(未だ読んでいないけど^^;)
浅田次郎が初めて自由に書いていいと言われ、喜び勇み書いた一編。
本人曰く、若かりし文体の粗さに直したい個所は数々あるんだそうだ。
それでもこれだけの重みあるストーリーに仕上げた手腕はすごい。
私など当初(考えれば当たり前だけど)エ?フィクションなの?と思った。
財宝隠匿、の事実はなかったにせよ、国家挙げての強硬使命の果て、
散らさなくてもいい命を散らした若者が、当時どれだけいたんだろうか。
戦後生まれの私が観ても、ただただ、悲しい。が、
当時を経験した人がよく口にするのは「私だけ生き残ってごめんなさい」
なぜ生きてちゃいけなかったの?んなわけないでしょ、大切な命なのに。
その絶対使命と間違った価値観(植えつけられた)が何よりも凄惨なのだ。
当時は皆、負ければ自決、すぐに自刃切腹や服毒でカタをつける。
それが日本人らしい、御上に対するいちばんの忠誠と看做されるからだ。
なぜこんなことしなくちゃならない?と疑う人間だってかなりいたはず、
筋を通すというのは自分を楽にすることではないのだ、泥沼で生き抜いて
(あ、なんかタイムリー^^;)遡上し、やがて元の位置に再興を遂げること、と
なぜもっと進歩的な考えを持つ人間が国家軍部にいなかったかと悔まれる。
負けを認めるのが怖い人間は、現世界にも大勢いるけれど^^;
いちど負けを認め、這い上がった人間の底力を日本人なら知っているはず。
今なら分かるその決断が、当時は違う決断へと皆を向かわせた…。
まぁこの物語は、結末がどうなったのかは大体想像できると思う。
そこから遡れば、隠匿の使命を帯びた少佐と中尉が(内容を知りながら)
その先の運命に危惧を抱かなかったこと自体がおかしい、日本の行方を
知らされていない女学校の生徒と引率の教師は、それらは爆弾だと、
米国軍をやっつける偉大な兵器であると信じ込み、ひたすら運び続ける。
マッカーサーを蹴散らす軍歌(これをおおらかに歌うからよけい悲しい)を
歌いながらもヘッセなどの詩集を読み耽るくらいのごく普通の平和主義を
唱える学校生徒たちなのだ。米国に勝って戦争が終わったら、をおそらくは
夢見ていたはずに違いない。ところが。。そこへ降ってくる日本降伏のビラ。。
最前線の戦場が描かれるわけではない。
少し前に観た韓国映画での学徒軍による反撃、もかなり悲しいものだったが、
今回の話はすでに終戦間近、しかも日本が圧倒的に不利に陥ってからの話。
物語の軸は、戦後の復興財源に及んでいるのだ(何だかこの部分もタイムリー)
その道筋を選んだはずなのに、なぜこんな結果になってしまうのだろう。
皆が前を向いて祖国復興に使命を捧げる、それが最重要課題だったはずだ。
さて、涙を誘うのはおそらく少女たちとその教師の姿になるのだが、
無垢で純真であることがいちばんの宝だからこそ悲しくなるのではないか。
日輪の遺産とは彼女らの気高い志によって守られた平和への意識の顕れだ。
(大切な命を二度と奪わせないためには生きる使命を与えた方がいいかもね)
今の言葉で、次の世代にきちんと語り続けること
少女達は父母と近い年代、感慨深く鑑賞しました。
奇想天外なお話ですが、重荷を背負って生き抜いた方は私が思うより遥かに多いにちがいない、父もそうではなかったかと、とても身近に感じ心揺さぶられました。
少女達は生命の輝く様を好演でした。描き方は重苦しさはあまりなく、綺麗にまとまった印象でした。
エンドロールが流れた途端大声で「終わった!まったく、なんだ!」と、出ていかれた年配の男性がいてびっくりしました。ご自分の厳しい経験から違和感があったのかもしれません。
だけど、思ったのです、甘いと先輩に思われるかもしれないけど、それでも語り続けて欲しいと。今の人達が、今の言葉で、次の世代にきちんと伝言することに意味があると思います。
広島の被爆アオギリの語り部、沼田鈴子さんがこの夏87歳で亡くなりました。新藤兼人監督の引退宣言はご存知の通り。体験の無い戦後生まれに本格的に託され始めていると感じます。
平成を生きる人達に向けた、戦後世代からの伝言と強く感じた作品でした。
いつもの事ですが、ユースケ・サンタマリアが意外に良いです。
浅田次郎の同名の小説の映画化。著者本人が映画化を熱望してきたと言われており、ようやく、その願いが叶ったと言う事になります。
山下財宝なら知っていますし、有名ですが、マッカーサーの財宝って、M資金??? と言う感じになりますね。でも、マッカーサーが非常に裕福であったことは事実なので、それと絡めた話と考えて良いのだと思います。この辺りの設定は、フィクションなのですが、もちろん史実にも触れられていて、近衛師団所属の軍人で、しかも、終戦直前の話ということなので、8月14日の宮城事件の件にも触れられています。終戦前夜の騒動と言えば、阿南惟幾自殺も有ったのですが、この件についても触れられています。
まぁまぁ良い映画だと思います。劇中、思わずウルッとしそうなところもありました。ですが、ちょっと不思議な感覚が残ったのは事実。それは、主人公は誰?と言う事。映画の宣伝ポスターは、堺雅人、中村獅童、福士誠治の三人を中心に作られているので、この三人の誰かが主人公かといえば、・・・どうでしょうね? 間違いなくこの三人は、重要な役割を果たしているのですが、財宝を隠すという任務を果たしたら、それっきりフェードアウト感満々だし。う~ん、でもなぁ。話の作り上は、堺雅人が主人公で、物語の語り手が八千草薫と言う事でないとおかしいと思うんですけどね。
さて、演技の方ですが、出てくる度に言っているような気がしますが、ユースケ・サンタマリアがいい味出しています。普通のテレビに出てくる時のいい加減な感じではないです。
物語としては、日本のシーンと、アメリカのシーンのつながりが無いですね。逆に言うと、アメリカのシーンがなくても、この映画は成立しています。なんで、あのシーンが有るのでしょうか?
微妙に突っ込みどころ満載なのですが、中々、良い映画だとは思います。コピーか何かに、「今の日本に必要な作品」と言う事があったと思うんですが、「なるほど、そういう事ですか。」と思いました。
純粋に国を思う少女たちと比べて、軍上層部の大人たちがなんとだめで醜いのか
原作者の浅田次郎氏が思い入れのある作品という。
太平洋戦争の終戦直前、マッカーサーから奪い日本に移送された莫大な財宝。敗戦を予期した陸軍上層部は戦後日本の復興のために極秘裏に隠匿を策する。そのために選ばれたのは、三人の軍人と一人の教師に引率された20名の女子中学生たち。
トラックに乗せられた少女たちは、行き先が空襲のある立川や府中の飛行場ではなく、多摩の山林なのにほっとするのだが…。この任務を少女たちに委ねたのは、猜疑心がなく純真で秘密保持に好都合だったから。
近衛師団の中では腰抜けと揶揄される穏健派の真柴少佐(堺雅人)、大蔵省から軍の経理部に引き抜かれた小泉中尉(福士誠治)、前線で片足を負傷した運転手役の望月曹長(中村獅童)、教師の野口(ユースケ・サンタマリア)は憲兵に取り調べを受けたこともある平和主義者。
彼ら四人の大人たちに下で、きつい肉体労働ではあっても特殊任務のために白米やおやつまで支給されて、ここでは少しやさしい時が流れる。しかし、敗戦が決定的となって彼女たちの立場は暗転する。
純粋に国を思う少女たちと比べて、軍の上層部の大人たちがなんとだめで醜いのか。
終戦後と現代の部分が途中入るのだが、そこは原作と異なる。財宝の扱いについてはこれでいいのかとも思うし、不満なところもあった。
少女達がとても哀しい。
終戦間近の上層部からの密命に駆り出された少女達のひたむきさがあまりにも哀しい。
教師役のユースケ・サンタマリアも良い味だしてました。
民間人を巻き込んだ挙げ句、平気で切り捨てるような時代にただただ悲しくなった。
ラストで減点される人も多いことでしょうけれど、本作で何を伝えたかったかということを感じてほしい。
本作の遺産といわれているのが終戦後のようにまことしやかに噂されたM資金。その出所は、元々マッカーサー一家が東南アジアで、現地人から搾取してかき集めた金銀財宝のたぐいを、山下奉文司令官がマレーで横取りして日本に持ち帰ったという設定になっていました。だから冒頭で、マッカーサーが日本に降り立ったとき、自分のものを取り返しに行かなくてはと言ってのけます。史実をドキメンタリータッチで描くなかで、フィクションを取り混ぜていくことで、抜群のリアルさが際立つスタートです。歴史ミステリーとして、終戦後M資金と呼ばれた巨大な謎を巡っての大仕掛けな謎解きが描かれるのかと期待させられました。
ところが、その後の展開は意外にもファンタジーに近い少女たちのひと夏の物語となったのでした。
舞台は、現代へと飛びます。原作も始まりは現代ですが、地上げ屋の丹羽と武蔵小玉市で福祉関係のNPOを切り盛りする海老沢とが、旧日本軍とマッカーサー将軍が終戦前後に壮絶な奪い合いを演じた財宝の恐るべき秘密に迫っていく原作のストーリーとは、大幅に変更されています。
軸となるのは、学徒動員された先の軍事工場で空襲に遭った20名の女学生のなかで唯一生き残った久江の回想。その夫の金原の病死をきっかけに息子や孫に、一冊の古い手帳を紐解きながら、胸にしまっていた秘密を語り出すというもの。
久枝が語るには、軍事工場で死んだことにされているクラスメートは、実は全く違った場所に狩り出され、極秘の任務に従事していたというのです。
それが真柴少佐を責任者とした、マッカーサーの財宝を極秘に運び出し隠匿する作業でした。古いノートは、一連の顛末を記録した真柴少佐のものだったのです。軍部も、敗戦を覚悟して、財宝を軍備に使うのでなく、戦後の貨幣価値の安定と復興資金に使用するため、国内の戦争継続派の軍人や、取り返そうと捜索してくるだろうマッカーサーから守るため、一時隠匿したのでした。
軍の上層部は非情にも、真柴少佐に終戦の詔勅となる玉音放送を拝聴したら、女学生に青酸カリ入りの食事を振る舞えというものでした。少女たちには全く罪はありませんでした。けれども、担任の野口はヘッセやトルストイ、モームを敬愛する平和主義に対して特高警察は危険思想の持ち主として、マークしていたのです。たったそれだけのことで、むごい極秘任務に狩り出されたしまった女学生たちの心に焼き付く幼い笑顔が印象的です。少女たちの健気な笑顔、素直で純な表情を見せるところなど見せつけることが本作の目的だったのです。
とかく戦争映画は、反戦の主張がくどく述べられたり、悲惨な末路が強調されがちです。まして本作では、M資金を巡る旧日本軍とマッカーサーの奪い合い合戦というサスペンスとしても魅力的な原作ストーリーも用意されています。しかし佐々部監督は、本作を描く上で、あくまで可憐な少女たちの笑顔を描くことにこだわりました。そして、それを久枝の回想とすることで、現代からの視点として描いたのです。これは監督の前作『夕凪の街 桜の国』でも使った監督の得意な演出方法です。
少女たちの悲惨な最期を敢えて見せず、久枝の回想として笑顔だった少女たちの映像で終わらせるます。その笑顔は現代の久枝とその孫たちまでが見ることになります。久枝が息子や孫を連れて、少女たちが自決した財宝の隠し場所を訪れたとき、少女たちが霊となって復活するのです。その時一家は、少女たちの笑顔を目撃します、少女たちの国の再興を願う思いが現在に繋がっていることを感じさせる巧みな演出です。時代を交差させて観客の心にも少女たちの笑顔を焼き付けるのです。その結果、彼女たちがいのちを落とすことに仕向けたものへの憤りを感じざるをえなくなります。彼女たちが歌う軍歌『出てこいミニッツ、マッカーサー~♪』が心に焼き付いて離れなくなるのは、そんな可憐な笑顔だからこそのもの。
あまりネタバレしたくないのですが、少女たちは殺されたのでなく、自ら服毒したようなのです。その思いは具体的には全く語られません。担任の野口も、財宝の秘密を守るために自ら死を選びます。そんな犠牲を払ってまで、何を守って、どんなことを願って散っていったかということに思いを寄せるとき、深い感動が突き抜けていきました。
これがもしM資金の秘密を掘り下げていったら、戦後の政商などが跋扈するドロドロとした政治劇となって、少女たちのピュアな思いがかき消されていたことでしょう。ラストのマッカーサーの対応や通訳を担当していたイガラシ中尉が語る後日談には、無理に辻褄を合わせたような疑問が残るでしょう。あれはたぶん監督はわかっていて、わざとケムに巻いているのです。もし突っ込むと、終戦後の生臭い暗部をこじ開けなければいけなくなります。それは何としても避けたかった。つまりは、皆まで語るなというところでお茶を濁しているわけです。そこで減点される人も多いことでしょうけれど、本作で何を伝えたかったかということを感じていただければ、仕方ないなぁと思われることでしょう。
出演者たちの演技はすこぶる良いです。級長の久枝を初めとする森脇学園の女学生たちは、まるで天使が降臨したかのような可憐さを終始ふるまいていました。ユースケ・サンタマリアは、柄にもなくインテリで信念ある教師役を熱演しています。
後に久枝の婿となる鬼曹長の望月を演じた中村獅童は、気骨ある軍人ぶりを熱く演じて見せてくれました。大蔵省から出向してきた小泉主計中尉は、軍人としてはヒビリでしたが、国家の財政再建には表情を変えて、真剣な目付きで政策プランを語るところが素敵でした。難しい役どころを福士誠治が好演しています。
でもやっぱり凄いのは真柴少佐を演じた堺雅人です。特に久枝を殺そうとした謎の伝令の軍人に相対し、この子には未来があるんだとたたみ掛けるように言い放つシーンには、グッと胸が熱くなりました。少女たちを殺す命令と、少女たちを助けたい気持ちで揺れるときの表情も堺ならではのポーカーフェイスな表現でしょうね。
戦争中の少女達がけなげで思わず、涙が・・・
「夏が来~れば、思い出す~」それは、毎年恒例の夏のイベントと呼ぶのは、おかしいが、敗戦記念日の8月15日に合わせてこの時期は、TV、映画共に、戦争関連の作品が、目白押しになるのですが、戦後66年も経つと、また一段と戦争体験者が減る為に、特にドキュメンタリー作品以外の、ドラマ作品の場合になると、映画俳優及び、スタッフの殆んどが、戦後生まれの為に、何となく映画を見ていても、映画が描き出すその世界観が、「甘いし、リアリティーに欠けてしまうと思い、どん引きしてしまう!」と言ったら失礼だろうか?
子供時代に、両親や、祖父母から毎年浴びるように、戦争体験談を聴かされていたし、当時の新聞記事などを読まされた私には、本作は、綺麗すぎる気がした。
私は子供時代の影響があってかどうか、理由は定かではないが、数年前イラク戦争に参戦した米兵士の聞き取り調査の為に、渡米した経験がある。
戦地と言う現場に於いては、敵を大量殺戮しなければならない、米兵達の苦悩がそこにみてとれた。彼らの緊張感とか、彼らの胸をえぐり取り出される程の苦しみが殺す側にさえ存在していた。しかしこの映画では残念な事に、その様な当時の日本兵の本当の気持ちが全面には、描かれる事が無く、観客の胸に無理矢理短剣を突き刺す様な、衝撃的な戦闘シーンも無ければ、全編に渡り、戦時中という緊張感が得られないのは、残念であった。
しかし、とは言うもののこの作品は、原作が浅田次郎氏であるだけに、先の戦争の善悪や、開戦までの過程の是非を問う様な、戦争を批判して、戦争の無い平和な社会の必要性を訴えているのでは無い点が、やはり素晴らしいと感動するお話であった。
例え、戦争中であろうが、なかろうが兵士である前に、一人の人間として、いかに清く、懸命に、理性を持って生きるか、或いは、兵士に限らず皆、人それぞれの生き様こそ、大切であると、この作品は、教えてくれる事が、何とも素晴らしいと思う。そして、生き残る事の重荷、戦死せずに助かる人の悲哀が、胸に迫ります。八千草薫さんの芝居が素晴らしい!
勤労奉仕として、動員させられる20人の少女達が、けな気で、何とも愛しい。戦争時代は、みんな学生は、軍需工場に駆り出され、勉強どころでは無かったのだから、今は本当にその事を思えば、天国だろう。いくら受験戦争でも、勉強が出来る幸せが今ここには有るのだから。
そして、私達は良くも悪くも、本当に多数の先人の人々の犠牲の上に今日の社会が成立している事をいつでも知る必要が有ると思う。8月だけでは無く、何時でも、自分達ノルーツや、過去を知る事は、大切な事であると思う。そして、今の価値基準だけで、過去の過ちを批判してはいけないと思う。
何時の時代も、善人も、悪人も同居しているのだ。今、私達に求められているのは、「自分は、どんな人間として、この生を全うすれば良いのだろうか?」と言う事ではなかろうか?
千年に一度の震災を経験した日本人は、この先どう生きるのが良いのだろうか?受け継がれて行く私達の、生命と日本文化。この作品を見て、明日の貴方の生き方を模索出来たら、きっと素晴らしい人生の生涯学習をした事と思う。貴方なりの答えをこの映画から見つけ出して欲しい!
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