「トルストイアンにとっては涙、涙」終着駅 トルストイ最後の旅 DOGLOVER AKIKOさんの映画レビュー(感想・評価)
トルストイアンにとっては涙、涙
映画「終着駅 トルストイの死の謎」原題「THE LAST STATION」を観た。
作品:独 英 露 3カ国共同製作
監督:マイケル ホフマン
原作:ジェイ パリーニ
キャスト
トルストイ:クリストファー プラマー
妻ソフィア:ヘレン ミレン
娘サーシャ:アン マリーダフ
弟子チェルトコフ:ポール ジアマテイ
秘書ワレンチン:ジェームス マカウェイ
マーシャ:ケリー コンドン
2010年アカデミー助演男優賞ノミネイト:クリストファー プラマ
主演女優賞ノミネイト:ヘレン ミレン
レオ トルストイの「戦争と平和」、「アンナカレーニナ」を 若い日に読んで、影響を受けた人は 多いだろう。ロシアの文豪トルストイは「われわれは他人の為に生きたとき、はじめて真に自分のために生きるのである。」と 言った。
彼の人道主義と、徹底した非暴力と自己犠牲の思想に共鳴したトルストイアン{トルストイ信奉者}は 彼の理想とする生き方を追求し その動きは運動となって ロシアだけでなく世界中に影響を与えた。
晩年のトルストイは ヤースナヤ ポリャーニャーの生家に住まい、近くの農場では、トルストイアンたちが トルストイの思想を生活に取り込んで自給自足のコミュニテイーを作っていた。そのコミュニテイーを馬で訪ねて行き そこで生まれた子供達を祝福し、和やかな田舎の暮らしを トルストイは楽しんでいた。
世界に名を知られたトルストイの一挙一動は 新聞社によって報道されていたが、厳しいツアーリズムの政権下、彼の一番弟子チェルトコフは 官憲によってモスクワで自宅軟禁され自由を奪われていた。彼は若い秘書ワレンチンをトルストイのもとに、送り込む。
82歳のトルストイには 死が近ずいている。彼は遺産も著作権もみなロシアの国民のものに残したいという意志を持っていた。しかしそれを実行するためには 新たな遺書にそういった意志を明記する必要があった。新しい遺書を作らなければ すべてのトルストイの遺産は妻のものになってしまう。それで 自由を拘束されているチェルトコフは 自分の息のかかった秘書ワレンチンをトルストイのもとに送り込んだわけだった。
画面が美しい。
趣味の良い家具、調度品。サモワールや優雅なお茶のセットやテーブル。庭園での夏の午後のお茶。美しい印象画を観ているようだ。
そして、衣装の素晴らしさ。妻ソフィア演じるヘレン ミレンが シーンが変わるごとに美しい19世紀の貴族女性の服を纏って現れる。凝った刺繍の立て襟、裾の長いドレス、美しい帽子いレースの日傘。やがて貴族階級が民衆の力で引き摺り下ろされることを予兆するかのような哀しいほどの華麗さだ。
トルストイアンたちのコミュニテイーで、自給自足の生活に挑戦する知的女性ミーシャら、自由を求める人々の農婦姿と対照的だ。
またトルストイが晩餐と旅行に出る時以外は いつも百姓服なのも、印象的だ。古い習慣に捉われず 飾らず 実直な作家の生きる姿が胸をうつ。
映画の中で はじめてトルストイが画面に登場する場面が感動的だ。秘書のワレンコフがモスクワから長旅でやっと 彼の家にたどり着く。と、しわくちゃな立て襟シャツにブーツといった農夫姿に 笑顔いっぱいで現れるトルストイの魅力的なこと。弟子のチェルトコフが送り込んだ秘書ならば 大歓迎というムードで 若い秘書を抱きしめて 「僕のことは知っているでしょう。君のことを聞かせてくれ。」と好々爺の顔で覗き込むトルストイに、秘書は感激して言葉を失って涙ぐむ。 良いシーンだ。
また秘書ワレンチンが トルストイの妻ソフィアに始めて会うシーン。「あなたは”戦争と平和”を読んだ?」と問われて、彼は「勿論です。何度も。」と答えて、ソフィアに睨まれ、「い、いえ、2回読みました。」と答え、ふたりで微笑する そんなシーンも良い。何度も何度も 簡単に読み返せるような小説ではないものね。
そして、ソフィアは トルストイがこれを書いている時 わたしが清書してあげたのよ、小説の中の女性の会話ではわたしが沢山アドヴァイスしたのよ、だから”戦争と平和”は、わたしたち二人で作ったようなものなのよ、と言ってきかせる。そんなソフィアの言葉に嘘はないだろう。本当に仲の良い夫婦だったのだろう。
しかし、トルストイは 愛人をもつ。自由に羽ばたいて因習や拘束を超えて創造を続ける。嫉妬に狂いトルストイを独り占めしたい妻の心情などおかまいなしだ。トルストイは愛人との性交渉、ベッドの中のことまで隠すことなく秘書のワレンチンに語って聞かせる。若いワレンチンには恋愛経験がないので、理解できずにいて、トルストイに笑われる。
そんなワレンチンも コミュニテイーのなかで生活している女性 ミーシャに出会い、恋に陥る。はじめて出合った愛に有頂天のワレンチン。しかし、ミーシャは刹那の感情よりも、自由を求めて止まない女だ。習慣からの自由、拘束からの自由、婚姻からの自由、を求めてワレンチンのもとを去る。
弟子のチェルトコフが自由になりトルストイのもとに帰ってきた。
遺言の作成が急がれる。時間がない。トルストイの偉業をロシア国民に残さなければならない。
一方、妻のソフィアは仮病を使ったり 様々な方法で夫の目を自分に向けさせて、遺言状作成の妨害をする。困難を乗り越えて チェルトコフはトルストイを家から離れた森に呼び出して遺言にサインをさせる。それを知って 狂ったように夫を責めるソフィア、、、安住の場を失ったトルストイは 妻も家も捨てて旅に出る。
しかし、高齢に無理がたたり旅の途中、ロシア南部のアスターポポ駅で肺炎を患って、彼は倒れる。心の平静を求めて妻や家を捨て旅に出た はずのトルストイが 熱にうかされて帰っていく場は、ソフィアのもとだ。ソフィアの腕に抱かれてトルストイはその人生という長い旅を終える。
わがままで嫉妬深く 独占欲のかたまりのようだったソフィアが 長い生涯を共に連れ添った夫が息を引き取る間近に、聴こえないトルストイの言葉を聞きとり、他の誰にもできない会話を交わし 優しく見送ってやった。毅然としたソフィアの顔が光を放つ聖母の顔になる。美しい瞬間だ。
総じて原作「トルストイ死の謎」より ずっと映画の方がよくできている。トルストイを愛する人々の心を裏切らない。
トルストイを誰よりも愛していながら 真の彼の理想を決して理解することのなかった妻ソフィアと 芸術家として自由を求めるトルストイとの軋轢がよく描かれている。老練のふたりの俳優の演技がみごとだ。
対する 若々しいミーシャの新しい時代を切り開こうとする女の知性と行動力、ケリー コンドン演じるミーシャが きらきら輝いている。
ミーシャの「自由」がまったく理解できなくて 傷つくワレンチン、、、内気で チェルトコフと、ソフィアとの間で どちらに組することも出来ず 苦しむワレンチンを 今がシュンのジェームス マカォイが演じていて適役だ。この映画、ヘレン ミレンにしても、クリストファー プラマーにしても、英国俳優のなかで一番うまい役者だけを引き抜いて集めてきたみたい。
とても良い映画で、これを機会にトルストイが好きになって読んでみる人も多いかもしれない。トルストイアンはハンカチを持って行ったほうが良い。