「中途半端なリメイクで不自然さばかりが目立つ」死刑台のエレベーター 温故知新さんの映画レビュー(感想・評価)
中途半端なリメイクで不自然さばかりが目立つ
映画.comの緒方明監督のインタビュー記事(2010年10月8日)を読んで、9日に「死刑台のエレベーター」を観た。
「不倫の果てに人を殺してしまうということは、50年前と現代ではまったく意味合いが違うわけです。おそらく不倫の概念そのものも変わっているでしょう。そこをリアリズムで埋めていく作業っていうのが、演出家としては一番気を使ったところですよね」
緒方明監督のこの言葉に期待して観たのだが、残念ながら、1958年にフランスで公開された『死刑台のエレベーター』のリメイク作品を作るならば、エレベーターに閉じ込められるという設定自体を変えたり、結論を変えたりするくらいの大胆さが必要だったのではないか、と感じる作品だった。
吉瀬美智子、阿部寛は熱演だったと思う。雰囲気のある映画ではあった。
ところが、まず、ストーリーを進めるための仕掛けがあまりにも不自然。なぜ、停電になるとわかっているエレベーターに乗るのか。犯罪の証拠になりうる携帯電話をなぜ車に置き忘れるのか。なぜキーをつけたまま車をとめておくのか。完全犯罪を目指す男がここまでドジかと思わせる場面が多すぎた。これでは「完全に犯罪が成立」してしまう。
そうした細部だけでなく、なぜ、追ってきた男に暴力団組長が優しくするのか、赤の他人だった女性が、人を殺した人間となぜ一緒に死のうと思うのか。なぜ主人公たちは社長を殺そうとするのか、登場人物たちのコミュニケーションや頭の中が理解できないのだ。
数えきれない不自然さをあえて気にしないよう努力し、せめてラストで決めてくれればと期待して観ていたが、ラストは「なぜこんなことで死刑になるのだろう」というエンディング。これでは、50年前と変わらない。
映画はフィクションなのだから、事実と違うじゃないかと怒ったりはしない。何百発も銃で撃たれても主人公には当たらない。それはいいと思う。練習もしないで本番を迎えたオーケストラが名演で観客を泣かせる。それもかえって作品を盛り上げる。
しかし、不注意としか思えない矛盾に満ちたストーリーの不自然さがここまでくると、もう喜劇にもならない。
この映画はサスペンスなのだろうか。一つもどんでん返しや驚きがなかった。
例えば、ビルが5:30に全面停電するといった現代にはありそうもない設定はやめ、インテリジェントビルの社長室に侵入するために組んだプログラムが裏目に働いて、エレベーターもとまってしまうとか、完全犯罪が成立したかにみえた数年後に刑事が証拠をつかみ、犯人を追いつめる・・・くらいのリメイクをしたほうがよかったと思う(エレベーター、完全犯罪にこだわるなら)。
もとの作品の本質的なテーマをリメイクするならば、こんな無理な作品にはならなかったはずだ。