白いリボンのレビュー・感想・評価
全6件を表示
謎解きメインではないです
私の中で、ヨルゴスランティモス、ラースフォーントリアー、ハネケ監督は不愉快映画監督(決して悪口ではない!笑)やなと勝手に思っている。ハネケさんはハッピーエンドをいれて2作目の鑑賞。ハッピーエンドで心折れかけたけど、本作はミステリー仕立てなのかな?とか思いながら観ていたが…
謎解きがメインで観たい人は思ったのと違う…と思うだろう。本作は謎解きではなく醜悪な一つの社会を描いた作品だから。まともな大人がいない状況で子どもたちは将来どうなっていくのか。犯人は最後まで結局分からずじまいやけど、まあ子どもたちなのかな…やとしたらなぜあんなに酷いことを?そこが分からないのでとても不気味である。
喉に骨がずっと残ってしまったようなそんな終わり方。
ドクターが助産師に暴言を吐くシーンは、思わず顔を顰めてしまうほど不愉快極まりない。よくあんなシーン思いつくわ…
【”人間とは、欲望を抑圧する程、秘めたる悪性が顔を出す生き者なのである。”今作は、ミヒャエル・ハネケ節全開の、悪意と嫉妬、無関心と暴力をモノクロームの映像で静なトーンで描いた恐ろしき作品である。】
ー ミヒャエル・ハネケ監督作品は数作観ているが、人間の暗部を抉り取った作品が多く、観ている時には不穏感と不愉快な気持ちになるが、何故か見続けてしまう。
それは、人間が持っている悪意を、”貴方にもあるでしょう?”とでも言いたげなミヒャエル・ハネケ節が実に巧妙だからである。
唯一、安らかな気持ちで観れるのは「愛、アムール」であるが、あの作品も深読みすると、怖い作品なのかもしれない。ー
■第1次世界大戦前夜、北ドイツのある小さな村。
ある日、帰宅途中のドクターが誰かが仕掛けた針金のために落馬し大けがを負う。その後も奇妙な事故が次々と起き、村には不穏な空気が満ちていった。誰の仕業なのかと不信感を募らせるうち、村人たちは、村の中に蔓延していく悪意と嫉妬、無関心と暴力を観る事になる。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・この作品のタイトルである「白いリボン」は、村の牧師が息子マルティンが年頃になった時に、その顔つきの変化を見て、夜に自慰を行わない様に寝る時に彼の手足を縛るモノとして登場する。
更に、牧師は娘クララのポニーテールの髪にも同様の「白いリボン」を結び付けている。
・だが、子供達は男爵が支配する小さな村の中で暮らす大人たちの欺瞞に満ちた姿を見ているのである。
表面的には、男爵に媚びへつらいながらも陰では、憎悪している実態を。
・故に、クララは父である牧師に教室での振る舞いを激しく罵倒された時に、昏倒しながらも、その後父が大切にしているインコを鋏で殺害し、十字にした死骸を父の机の上に置くのである。
・村では地位の或る医師が、家政婦に密かに行っていた事も子供達は全て知っていたのである。表面的には地位が有りながら、一皮むけば愚かしき性向を持つ男であったことを。
<村の大人たちは、次々に起こる不可思議な出来事に、猜疑心と悪意と嫉妬、無関心と暴力を示し、無垢であるはずの子供達も大人たちの真の姿を見て、隠された人間としての悪意を示して行くのである。
この作品は、無垢なる子供が、大人になるにつれ猜疑心と悪意と嫉妬、無関心と暴力を振るう生き物に変貌していくというメッセージを、ラストで”第一次世界大戦”に突入していく時代だった事を示したる見事なる作品なのである。>
閉鎖的な村にいるかのような
第一次世界大戦直前の北ドイツの小さな村で起こる、様々な怪事件。最初に起こるのは、ドクターが馬に乗って\帰宅するときに、針金が渡してあって、それに馬が引っかかり落馬して大けがを負う。その後、牧師の子どもたちが村の出口の方に歩いて行き、帰るのが遅くなって夕食抜きになるが、事件に関与していることが示唆される。牧師は、罪を犯さなくなるまで白いリボンを結ぶことを宣言し、後でムチ打ちをすると告げる。子どもたちは、父が入ってくると直立、何も言えない権威者だ。次の事件は、小作人の妻が、製材所の床が抜けて死亡。板が腐っていたのを知っていて、何も教えなかったのは故意ではないか?と息子は憤るが、夫は、大事にしても妻が帰ってくるわけでなく、仕事や結婚、就職がご破算になることを恐れて息子をなじる。息子は、キャベツ畑を荒らすが、自らは名乗り出ない。その夜、男爵のところの息子、ジギが製材所で逆さに縛り付けられているのが発見される。キャベツ畑の件は、小作人の息子が名乗り出るが、ジギの件は誰も名乗り出ない。不思議なのは、誰がやったか本人はわかりそうなものだが、そこの描写は割愛されている。閉鎖的な環境では、権威のある家に対して物が言えないから子どもを虐待したのか?
牧師の息子、マルティンが危ない行為をして、神様に自分を殺す機会を与えようと試したと教師に告白。時系列からするとマルティンが、何らかの事件への関与をしているように見える。ジギの件のとばっちりで、教師が気にかけていた娘エヴァは、男爵から乳母の仕事を解雇され、教師の家へ泣きつく。
入院していたドクターが息子が会いに来ようとして途中で発見されたのを聞きつけ、退院を早めて戻ってくる。息子のルディは、父が帰ってきてもトイレに隠れて迎えようとしない。屈折した思いを感じた。この辺りから、牧師、男爵、ドクターら、父親が非常に権威的で陰険、父のやることは絶対的で口答えができないような雰囲気を顕著に感じた。牧師は、マルティンを問いただすが、哀れな少年と同じことをしたのかに、ハイと答える。マルティンは、寝ている時、紐で拘束されるようになる。
ドクターは、近くに住む中年の女であり子ども二人の世話と医療行為の手伝いをしている助産婦ワグナーとできている。家令のところの赤んぼが熱を出し、ドクターに診てもらう。冬なのに窓が開いていたと指摘している。誰かが窓をワザと開けていたかのようだ。教師は、エヴァの両親の所へ会いに行く。深夜に荘園で建築途中の小屋が火事になる。牧師の子どもたちが気づいて、父母に知らせようと騒ぐが、このことについては何も知らなかったようだ。男爵に対する嫌がらせとみられる。次の朝、小作人が首を吊って自殺している(ように見える)発見した息子は、一回気づかないふりをする。このシーンは謎。母に伝えようともしない。あまりにも表現があっさりしすぎていて戸惑った。
ドクターは、助産婦に「お前に飽きた。お前は、醜く、汚く、皺だらけで、息が臭い」「もう終わりにしよう」「他の女を思いながらお前と寝るのは・・・」「結局、お前がまた相手で反吐が出る思いがして」「相手は誰でもよかった。牝牛でもな」「私が無分別な態度をとったら」「とれよ。タダではすまない」と惨い言葉を投げつける。助産婦は、妻に酷い扱いをしていたこと、娘にも触れていること、妻を愛していたのは嘘であったことに触れ、汚い仕事をやり子供たちの面倒を見た自分を捨てたりできないはずと非難する。
小作人の棺が、ひっそりと馬車で運ばれる。誰も一言も話そうとしない。
新年を迎え、牧師の家では、牧師が白いリボンを外すことを子供たちに告げる。「私は、お前たちを信じている。」寒い間、村を離れていた男爵夫人とジギが戻ってくる。
教師と一緒に牧師が神学を教えに教室にくるが、子供たちは大騒ぎしていて、牧師から説教される。娘が先頭に立って騒いでいたことに触れ、去年、純潔、罪、わがまま、妬み、無礼、嘘、怠惰を避けるために白いリボンを結んだのにと不満を言うが、娘は失神する。
ドクターの家の2階では、深夜、ドクターと娘が関係を結んでいる。牧師の家では、説教された娘が父の書斎から鋏を取り出して、父が飼っていた小鳥を捕まえ、十字に串刺しにしてしまう。その後、熱を出して寝込んでしまう。
教師は、エヴァが会いたがっていると知り、馬車を借りて町まで行くが、会えず、家令の娘エルナから、看護婦の息子カーリが悲惨なことになるという夢を見た話しを聞く。
教師がエヴァを馬車に連れ出し、池でピクニックをしようと誘うも、エヴァは固辞する。逐一行動を報告されるので、変な噂が立つのを恐れてのことらしい。
牧師の子どもたちは、教会で罪を洗い流すお浄めを牧師から施される。この子供たちが何等か事件に関わっていることを示唆する場面にも感じた。助産婦の息子カーリが、行方不明になり、夜、森の中の木に縛り付けられいるのが発見される。彼は目隠しをされ、顔面を殴打されていた。失明の恐れすらある。手紙には、「お前たちの主、嫉妬深い神である私は、親の罪によって、その子、孫、曽孫の代まで罰を与えるだろう」と書かれてあった。
男爵は警察に通報し、刑事が取り調べをするが、夢を見たといったエルナも本当に夢であったと言い張る。ドクターが、カーリの診察に訪れるが、泣き叫ぶだけ。川辺で男爵の息子ジルと家令の息子2人が笛を作っているが、そのうち一人がジルを川に投げ飛ばす。もう一人がそれを助ける。牧師の家では、小さな息子が保護していた野鳥を死んだ小鳥の代わりに鳥かごに入れて持ってくる。家令は、家に帰ると笛を寄こせと息子を問い詰め、殴る蹴る。出さないと殺すぞとまで言い放つ。男爵の家に向かいかけたところ、息子が笛を吹き、家令は階上に上がり、息子をムチ打つ。男爵が家に戻ってくるが、妻は、子供たちを連れて、ここを出ていくと告げる。銀行家のイタリア人と恋におち、子どもも大好きだと。ここを支配しているのは、悪意や嫉妬や無関心や暴力よ。ジギの笛が限界よと。もううんざりなの、迫害だの脅迫だの復讐だの。この妻が言うことが、この村に起こっていたことなのだろう。そこに家令がやってきて、男爵は出ていく。サラエボ事件が起こったことを知る。
看護婦ワグナーが、教師に自転車を借りにくる。家令が馬車を貸してくれないと。カーリ事件の犯人がわかったから警察に行くと。陰口はもうたくさんと。ワグナーの家の窓から牧師の子どもたちがのぞき見しようとしている。教師は、カーリの面倒を誰が見ているのか心配になり、ドクターを訪ねるが当分の間休業の張り紙。牧師の家のクララとマルティンに話を聞こうとするが、何も知らないと口をつぐむ。教師が牧師に一部始終を伝える。二人が何か知っているのでは、ドクターの事件、ジルの事件のとき子供たちが関わっていそうなこと、エルナがカーリが乱暴される夢を見たのは、誰かの話を聞いたからではないかと牧師に話す。牧師は子どもたちが疑われたと思い、不快だと言い、刑務所に入れるぞと脅す。
助産婦が戻って来ないので、家令に断り、家に入るがカーリの姿もなかった。
暫くして村は、助産婦とドクターの噂でもちきり。カーリの父親はドクターで、二人の関係を隠すために助産婦を中絶させようとしてカーリが障碍者になったとか、ドクターの妻の死も怪しい、二人が手を下したのではなどなど。平気で人を殺せる二人が、村のすべての事件の犯人なのだと。悪事が露見する前に二人で逃げたことにされる。
やがて第一次世界大戦の火ぶたが切っておろされ、村は変革の期待で、日曜礼拝には全員が出席。今から全てが変わるのだと。徴兵が迫っているので教師はエヴァと晴れて暮らせることになる。
あらすじを追うとこんな感じだ。
もっとも確からしいことを言えば、犯人はこうなる。
①ドクターの落馬事件→牧師の子どもたち。おそらくマルティン。危ない行為、牧師の問いにハイと返事をしている。
②小作人の妻の死→男爵が製材所の床が危ないと知りつつ、伝えなかった。未必の故意。
③男爵の息子ジギへの虐待→小作人の父?妻の分の復讐。面と向かって男爵には歯向かえないので子どもを虐待。息子へのセリフが、少し匂った。息子たちでは平静を保てない。マルティンでは無理っぽい。
④荘園の火事→小作人の父。その後、問い詰められたのかひっそりと自殺している。
⑤カーリへの虐待→ドクターか牧師。ドクター→助産婦ワグナーとの関係が終わり、彼女との間に生まれたカーリが邪魔になった。カーリを診察した時、ずっと嫌がっていた。カーリから聞き、ワグナーが警察に訴えに行くが、権力でもみ消された。牧師→神に反逆する行為をドクターは犯している。その罪は、子どもであるカーリにも及ぶと考え、手紙に書いた。
大人たちは、権威者が絶対な閉鎖的な村では、表立っては何も言えない。権威者たちは、告発されないことをいいことに、皆、好き勝手なことをやっている。そこで、策略やら謀略で相手に復讐をしようとする。子供たちは、その大人の姿を見て、見えない所で情報を共有し、鬱屈した気持ちをより弱い者へ向ける。女たちは、陰険で不実な男たちに愛想をつかし、その許を去ろうとする。
北ドイツは、気候も寒々として暗く、陰鬱で、男たちも頑迷で秩序を重んじるような気質だと思う。そこに、地主制度、キリスト教、ドイツ医学が絡むから、余計に、権威だけが威張っているような末期の時代だったのだろう。本当の犯人は、監督は明示しようとしていない。主人公は、この北ドイツの第一次世界大戦への傾倒を産んだ、煮詰まった閉塞感なのだろう。犯人がわからないまま、次々と事件が起こるので、その村にいて自分も追体験しているかのような不安を惹き起こされる。得体が知れないモヤモヤ感が残り、つい詳細について考察したくなる映画であった。
日本の村に置き換えたら怖さMAX
大人も神様も目をつむるのだと
子供達も幼いうちから骨身に染みついていく。
抑圧されて鬱屈した気持ちは、より弱い存在を
傷つけることへ向かう。
傷つけられるものはそれだけ
価値がないから構わないんだと
言わんばかりだ。
こうした下地があってナチスのファシズムになっていくのだと
納得してしまう。
そして、第三者である教師も、それ良くない、おかしい、と
薄々感じつつも自分の生活から離れてしまえば
あっさりとそれについては忘れていく。
そうやって悪い体制は外へ漏れることもなくいつのまにか
手のつけられないほどに進んでしまう。
こんな状態は常に世界中にあるんじゃないか。
テロや内戦の起きてる国があると知ってるけど、
虐待やいじめや痴漢などがあるとしってるけど、
自分と直接関係ないと通り過ぎていつのまにか後戻りできない
事件などになっていく。
社会の縮図がここにある。
これは第一次世界大戦の前夜。
教師の感覚だと、なんだかよくわからないけど
ヤバイ感じがする、でもはっきりわからない、
確実に嫌な方へ向かってる気はする。
そんな当時の人々の感覚であったのかもしれない。
この村を日本の村と置き換えると背筋が寒くなる。
日本にだってなかったと言い切れないのではないか。
むしろ人間は簡単に悪い方へ流れてしまう。
真実無垢な心でいるには大人はどうするべきか、
社会をどうしていくべきか。
次々と見たくないことを突きつけてくる監督だ。
男たちのクズが止まらない
事件は起こるが犯人探しがテーマではない。
強権的に振る舞う町の名士である父親たちの、
抑圧的・暴力的な行為や思想が、
子供たちや人々に及ぼす影響とその過程を、
丹念に不快感たっぷりに描き出していく。
ドクターが助産婦に吐いた暴言は、
これまで観た映画の中でもトップクラスに酷い。
男たちの抑圧が強くなればなるほど、
子供たちの邪悪な悪戯の対象も、しだいに弱いものへと移行していく。
終盤、時制が第一次大戦直前であることが示される。
時代を支配していたこのような構造や空気が、
国々を勇んで戦争に突入させる引き金になったのか。
このあたりはわからないことが多いので、
色々と調べてみたいと思った。
今と関係ないとは決して思えない。
悪意の連鎖。
名画座にて。
2009年度カンヌでパルム・ドールを受賞した本作。
まぁ…この監督の作品は冷徹で暴力的な描写が目立つ?といえば
確かにそうなんだけど、今回は子供への体罰やリンチ(これも酷いか)
描写はまだ控えめ…でも、言動による暴力もけっこうなものだった。
人間の心にはこれほど悪意が芽生えるものか?と思ってしまうが、
タイトルの白いリボンに示されるように、こんな環境で抑制されれば
自ずと人間の心はねじ曲がり、そして子供達がナチス台頭時代へと
成長していくうすら寒い未来(の歴史)に納得せざるを得なくなってくる。
穏やかに見える農村に潜む異様な悪の気味悪さを謳っているのだが、
しかしここで描かれる事件には現代に繰り越されているものも多い。
利己的な権力を振り回す大人が子供達から崇拝されるはずがない。
一見おバカ?(すいません)にとれる傍観教師が語り部となる回想劇、
全編がモノクロでいかにも…な世界を作り出しているがその世界は
第一次大戦前夜の北ドイツの村から一歩も離れず、排他的な村の
存在を更に浮き彫りにする。不可解な事故や事件の背景は男爵家
への恨みが根幹かと思いきや、数多く描かれる家令や医者や牧師と
いう登場人物にもそれぞれフォーカスして見せるので、何が何だか、
わざと混乱させているようにも感じるし、或いは、必要あったのか?
とすら思えるシーンも数多く描かれる。観進めればおおよその展開、
いわゆる犯人探し(という目では観ない方がいいかもしれないけど)
の結末が分かってくるのだが、そんなことより、このままいけば…と
いう思いが強く圧し掛かってくる。子供達の目や態度を見れば、この
語り部教師ですら気づく恐ろしさが既に潜んでいるのが見てとれる。
とはいえ、最後まで曖昧に真相は…藪の中。
こうして傍らに潜む悪意はある時突然暴挙と化して表面に出てくる。
大概の人間はその兆候に気付かないふりして葬ってしまうのですね。
(だからこうなった、が残酷に観てとれる作品。繰り返される連鎖。)
全6件を表示