ボローニャの夕暮れのレビュー・感想・評価
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溺愛
基本的には娘を溺愛する父親の姿を描き、家庭は崩壊するも、時間はかかりながら家族愛を取り戻す物語。
薄幸の少女といった雰囲気だったジョヴァンナ(ロルヴァケル)。美術教師をしているミケーレ(オルランド)の唯一の自慢は世界的な有名画家ジョルジョ・モランディと同窓だということ。男性ともしゃべる機会のない娘のことを思い、女たらしだが人気者の男子生徒ダルマストリに娘に気があるふりをするよう頼む。折しも全教科で落第点を取っているダルマストリ。進級の決定権が自分にあることもあって、頼み易かった・・・ジョヴァンナはまんまと思い上がって、自分を愛してくれてると勘違い。親友でもあるマルチェッラがそのダルマストリを誘惑したかのような恰好になり、腹を立てたジョヴァンナが彼女を刺殺したのだ。裁判では、未成年であることや、精神鑑定によって精神病棟に入れることで結審。父親ミケーレは頻繁に面会に行くが、なぜか母親デリア(ネリ)は全く行けないのだった。
デリアは社交的で誰もが羨む美人。過去には家族で社交ダンスに参加するも、母親のステキな踊りを見て、ジョヴァンナは倒れてしまったこともあった。父親とは真逆で、放任的。愛情が薄いようにも見えるが、娘からは憧れの女性でもあり、他人に自慢したいくらいの母親だったという構図。
アパートの隣人は何事においても親身に世話してくれるセルジョという警察官がいる。戦争が始まり、セルジョの妻は爆撃で亡くなった。そのおかげで、一層彼ら夫婦に親切になるが、ファシスト党支持のため、終戦後、パルチザンに銃殺される。そういや、被害者マルチェッラは上院議員の姪でもあり、その母親もバリバリのファシスト。終戦後は豪邸に住みながらもみじめな生活だったようだ(よーわからん)。
殺人事件前はそれほどわからなかったのに、逮捕後は精神薄弱の雰囲気が出てきた。病院では徐々に子どものように心が退行しているかのようで、ミケーレの溺愛ぶりにも拍車がかかる。そして、ミケーレは妻ダリアをセルジョに託す。二人が肉体関係はないものの愛し合ってることを察知したからだ。
終戦後、ミケーレは退院したジョヴァンナとカラー映画を観に行き、映画館でダリアを目撃。もちろん娘に離婚したなどとは伝えてない。しかし、母親を愛し焦がれていた娘のまなざしに困惑しながらも、1か月後には3人で一緒に暮らすことになった・・・終。
シーン一つ一つがかなりぶつ切り状態。家族の再生というテーマも、結局は全てを破壊した戦争によるものに思えてしまう。それにファシスト批判なんてものは全く無い。
人間の不器用さ
この映画は、個人的には「再生」の物語には思えない。
あまりにも、崩壊が衝撃的であるのだ。
この家族を崩壊に導いたのは、
父親の娘に対する重たすぎる愛情か、
それとも母親の「女」に対する執着心か、
または子の異常なまでのコンプレックスか。
見る人によって、これは異なるのかもしれない。
でも、この人々の立場が異なるにしろ、
もしかしたら誰もがなりえるかもしれない姿である。
それに気がついたとき、人間のあまりにも不器用な姿を、
愛おしいとさえ感じた。
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