必死剣鳥刺しのレビュー・感想・評価
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串焼きとは違う・・・
悪政の陰に女あり。藩の財政が苦しく、奥の予算を減らすように提言したばかりに勘定方の安西(瀧川鯉昇)が切腹させられた。などなどと、悪政続きだった・・・らしい。
閉門とは自宅の納屋などに閉じ込める罰のこと。現代の禁固刑に当たるのだろうか。その罰の1年間世話をしていたのは睦江の姪にあたる里尾(池脇)だったが、やがて叔父に心を許して、再婚話も断った。三左ェ門は中老・津田(岸部一徳)から上様と険悪な間柄となった従弟にあたる別家・帯屋隼人正(吉川)を討ってほしい密命を伝える。
必死剣とは兼見が編み出した秘剣。名前の通り、半ば死んでいる状態、絶体絶命のときにのみ使う剣なのだ。そのため、兼見と結ばれた里尾を知り合いの家に匿わせる・・・
帯屋を斬った直後、家臣たちは兼見を乱心による騒動だとして大勢で囲む。津田にだまされた兼見。刑が軽く済んだのも帯屋を斬るために仕組まれた罠だったのだ。「これが鳥刺しか?」「いや違う・・・」
ラスト15分は確かに壮絶な殺陣。血まみれ泥まみれ、たった1人で剣客(といっても、人を斬ったことがないような家臣たち)を相手に斬られながら立ち向かう。半死状態のときに使う鳥刺しはいつ出るのか?と、狙うは津田だろうとわくわく。死にながら鳥刺しするなんてところも想像できたけど、「ダイの大冒険」のヒュンケルを思い出しちゃったぜい~
藤沢作品ということで他の映画とも比較する要素は美術面や言葉。下級武士の薄汚れている障子や低い天井がなかなか良い。美術面だけ見れば山田作品を超えているかもしれないほど。言葉は残念ながら標準語すぎて東北らしさが伝わってこない。恋する池脇にももうちょっと感情移入したかったところだ。なんだかんだ言って、最後の15分しか見どころがないのが惜しい・・・
死しての最期の一撃
藤沢周平の時代劇小説の映画化。
本作が公開された2010年は時代劇の当たり年。「最後の忠臣蔵」「十三人の刺客」のような良作もあれば、「座頭市 THE LAST」「雷桜」のような凡作もあったが、本作は勿論当たりの方。秀作と呼ぶに相応しい。
開幕早々、ただならぬ事態が起きる。
とある藩の藩士が、女を刺殺する。
藩士の名は、兼見。
女は、藩主の愛妾。
一体、何故…?
この愛妾、藩主の寵愛をいい事に、まるで女帝のように傲慢に振る舞う。藩政にまで口を出し、無能な藩主は言いなり。
藩の行く末を案じる側近たち。
そんな悩みの種を兼見が斬ったのだ。
しかし、それだけの理由なのか…?
兼見には妻が居た。が、病気で亡くし、生きる気力を失っていた。
愛妾の刺殺は、藩の行く末と同時に、死に場所を求めていた兼見の、死を覚悟しての凶行だったのだ。
斬首が当然と思われていたが、1年間の閉門という軽い処分に。姪の里尾が献身的に尽くす。
閉門が解け、再び藩に仕える事になった兼見に、藩主へ謀反を企てている男を斬れとの密命が下る。
だが、この密命にはある策略があった…。
映画は淡々としているが、書いたあらすじのように、じっくり作品世界に浸れる。
死に場所を求め、それを許されなかった“捨て駒侍”の、翻弄された運命が胸に迫る。
兼見ともう一人、無情に斬り捨てられた男が。藩主の従弟、帯屋。
彼が藩主に謀反した理由は、身勝手極まる藩政とそれによって犠牲になった民たちへの怒り。
決して悪人ではない。ただ藩主にとって“邪魔者”だっただけ。
二人が剣を交えるクライマックスは緊迫感溢れると共に、背負わされた罠と背負った背景の哀しみが浮き彫りになる。
“必死剣鳥刺し”…
踏みにじられた人としての尊厳、武士としての誇りへの、その名の通り死しての最期の一撃。
豊川悦司が名演。佇まいが素晴らしい。
静かに怒りに震える吉川晃司も秀逸。
岸部一徳のさすがの狡猾さ、村上淳の馬鹿殿もさることながら、関めぐみのビ○チぶりに天晴れ。地味な女優だけど、これまで見てきた中ではベストパフォーマンス。
平山秀幸の正統派演出は、匠の技。
池脇千鶴もしおらしい好演だが、ラブシーンはちょっと蛇足に感じてしまった。淡い想いのままの方が良かった気がする。そこだけ残念。
久々に面白かった時代劇。
役者陣の熱演が光る時代劇。最後に明かされるこの妙な題名の意味。正にあっと驚く何とやらで、伏線も効いていて自分は純粋に楽しめた。殺陣シーンも迫力があって、あれだけ血がドバドバと出る時代劇は久しぶりに見た。ラストシーンで池脇千鶴演じる、里尾が抱いていた赤ん坊は、あの一夜の契りで生まれた子なのか? それを考えると安易にハッピーエンドにしなくて、武家社会の非情さと悲恋を際立たせて余韻が残る。
主人公の資質不足
総合65点 ( ストーリー:60点|キャスト:65点|演出:70点|ビジュアル:70点|音楽:65点 )
まず主人公の兼見三左エ門を演じる豊川悦司、体型がたいして筋肉もないし細いわりに脂肪もあってたるんでいてだらしない。一年間の蟄居の後の風呂で見せる体がやつれていないし、それからさらに二年後の風呂の場面でも同様の体型。たしか剣の達人なのだから、二年もたてば鍛え直していなければろくに剣を振ることも出来ないはずだ。それでは剣の達人である吉川晃司演じる帯屋隼人正と戦えないでしょう。せめてやつれた体か鍛えた体かどちらかに合わせて撮影に挑んでほしかったが、役作りが甘いのではないですか。女優として名声を確立していながら、猛特訓して肉体改造して『G.I.ジェーン』で特殊部隊兵士役に挑んだデミ・ムーアを少しは見習ってほしい。
客観的に見て一番正義感があって勇気と力もあったのは吉川晃司だが、ちょい役でしか出てこないため彼の人物像に迫れていないのは不満が残る。これでは中途半端な役回りで終わっていた。案外気に入ったのが、寵愛をいいことに藩政に干渉する連子を演じる関めぐみの演技。こういう立場を勘違いした理屈の通じない組織の害毒って時々いるよなと、現実に存在する人々の姿と照らし合わせて関心してしまった。
重大犯罪を犯して殿様にも嫌われている様子でもそのわりに家老に助けられたということで、家老が黒幕で何か陰謀が進んで、いずれその捨て駒に使われるのだろうという物語の流れはすぐに読めてしまった。この時代なんて不合理が普通にゴリ押しされてまかり通って、それでも階級の低い者はそれに甘んじなければならないというものだろうから、それはそれでいい。
だが一度は藩のために命を捨てる覚悟で連子を殺した兼見であるのに、藩を混乱させ続ける馬鹿殿様のために再び命を張ることを覚悟するという展開に疑問を持たなかったのだろうか。それとも封建時代の社会制度には逆らえず思考を止めて流されてしまったのか。個人的にはどうせ命懸けならば、帯屋と組んで藩政を改革するくらいの覚悟を決めてほしかった。黒幕一人くらいは退治したところで、一番の正義が死に一番の悪が残され、それが主人公の決断のために引き起こされたという物語は決してすっきりするものではない。
別にめでたしめでたしと終わってほしいとは思っていないし、勧善懲悪でなければならないとは思っていない。だが兼見の見せる覚悟に、主人公としての資質が足りないように思えるのだ。この程度ならば、最初の行動は妻が死んでやけっぱちになっただけともとれる。これならば帯屋が主人公であったほうがまだ良かったかもしれない。題名にもなった剣術の必殺技が一つの見所なのだろうが、こちらのほうも現実性がなくて納得しかねた。
ただ時々見せる時代考証のしっかりとした所作は良い。城の中で兼見が襖を開けて入っていく姿が実はかなり気に入っている。
なぜバカ殿を…監督の力量の限界か(重度ネタバレ)
本作は庄内地方でのロケ。自治体のバックアップ、細かい所作も再現されており、抜群の雰囲気ですが、いささか「原作のまま」と言った感があります。
人物描写としては、妻の姪との濡れ場が余計。主人公のストイックさがぶちこわしです。また1年蟄居していた割にはふっくらな主人公の裸体(うう)もやけにでてくるのと相まって、緊張感を削ぎます。
本作の見所としては、吉川晃司さんでしょう!!
主人公との対決は稀に見る名シーン。ただ主人公との交流を通し、おそらくは「バカ殿」と対局にあったであろう、彼の思想や心性が描かれなかったのは残念です。主人公とのからみがもう少し欲しかった。
そして、ラストの切り合いですが、往年の名作『切腹』にも劣らない大立ち回りですが「オチ」がいただけない。東映作品なのに、お客に「後味の悪さ」を感じさせてしまいました。
山田洋次・深作欣二監督といったエンターテイメント重視の作家でしたら、おそらく原作を改編し「バカ殿も斬る」「一矢報いる」という展開にしていたと思います。
脚本の流れから、どう考えても「諸悪の根源」は藩主。主人公に思い知らされる、もしくは後に讒言で罰せられる、というフォローがなければ不自然です。
「敢えてラストを変える」という決断ができなかった監督の限界=本作の限界だと思います。
なんだかなあ
藩の勢力争いに利用された主人公の最後の死闘で 秘剣がどのように表現されるかワクワクであった。
感想としては 原作の小説を読んでいないことからこの作品の質的なコメントは避けたいけれども この映画の出来具合はどうかという点においては いささか言いたいことがある。
まず ディテールが稚拙というか 無理があって笑える場面・・・・・子供が 細い竹の先に「モチ」という粘着力の強い素材をつけて 枝に留まっている雀を捕らえるシーンは 子供時代に遊んだ者であれば 誰でもわかることだが 先ず 雀が木の枝に留まるというときは 夕方、寝床である木々の茂みに群れで集まるときか 水を求めて庭の木々に一時的に ほんの数秒留まる程度である。
それを下から 子供に替わって 主人公である豊川悦司が同じ道具で 射止めるシーンは白けてしまった。
監督が悪いのか 原作者が知らないのか・・・・あれはあり得ないことだ。 どうせなら 水辺のカモでも川岸の
それこそ茂みから一発で確保するほうがまだリアリティがある。
それと 藩主の妾を殺めた仕置きとして一年間の閉居を命じられるのであるが 一年後の彼の入浴シーンでの彼の肉体は 肥満気味で 背中を洗うシーンでも肉付きのいいそのシーンにまた白けてしまった。
豊川の役作りへのこだわりの甘さがこういう場面で露呈するのも残念だ。
ただ顔の髭だけが異様に伸び放題であったがそれが閉居の表現だとしたら いくらなんでも馬鹿にしている。
最後の秘剣を披露にしても一度 こと切れた後 家老役の岸部一徳を一刺しで殺害するというのも 小説の世界とはいえ 無理な筋書きだとしかいいようがない。
殺陣による瞬間の出血シーンはあまりに生々しすぎて異様な感じがした。ああいう場面にこだわるとしたら
監督の感覚を少し疑うことになる。もっとリアリティをだすべきところを模索したほうがいい・・・とさえ。
彼の秘剣シリーズは 普通に考えてもあれはないんじゃないの と揶揄したくなるようなアイデアがある。
時代劇は好きではあるが 剣を題材にした小説つくりのむずかしさは よほどわかってないと秘剣はつくりえないと思われる。
人生終焉の地を求めて
一人の男の死に場所を求める旅、とでも言おうか。
まるで司馬遼太郎「燃えよ剣」の土方歳三のような。
そんな男の生き様を日本らしい時代劇で見せる。
時間軸を行ったり来たりしながら主人公の人間性を見せる。
そして、行為に走った背景を見せる。
見てる側(我々は)は肩入れしたくなるのがどちらかは明白だ。
忠義を差し置いても大切なものはなにか。
しかし、最後に向かうシーンは残酷でありながらも非常にリアル。
こんなことは当時や今の社会生活では弱肉強食は日常茶飯事であろうし、主人公も半ば分かっていたかも知れない。
やはりそうだったか!という表情としてみるか、まさか!という表情にとるかは見てる側の自由だ。
その選択を与えてくれる演技をした豊川悦司は見事。
そして個人的に肩入れしてしまう別家・吉川晃司も見事な殺陣。
吉川晃司は、役者としてスクリーンに出たときは目力が良い、目の動きでその人を表すのが上手い。
殺陣以外にも別家の義を見てしまうため、主人公とどうして!と言いたくもなるが、そこは最後のカタルシスのためには必要というもの。
全体的には静かな展開で進むものの、日本劇のよさを改めて知る佳作でした。
この坦々とクライマックスへと向かう雰囲気が最高!
最後の最後で抜かれる「必死剣」のカタルシス
藤沢周平原作の映画化は逃さず見てるので鑑賞。
監督は違えど、これまでの作品同様に抑揚のきいた演出で、たんたんと日常を描いていく。だからこその、最後の最後で抜かれる「必死剣」のカタルシス。すさまじい…。派手な殺陣ではなく、あくまで人間としての生活を描いていくところが本物。
それにしてもトヨエツと池脇千鶴のあのラブシーンは別に描写する必要はなかったのではと…。そのへんも想像させるだけでよいではないかと。あそこだけちょっと違和感。やっぱり『愛を乞う人』の監督だから?w
所作に長けた演出が光る、様式美あふれる時代劇
ひさびさに品格を感じた時代劇だった。それは、細かく演出された武家の所作によるものに他ならない。割に作品によってムラがある平山監督だが、今回は見事な仕事ぶりだったと思う。
この作品での所作の確かさは、どれをとっても素晴らしいものだった。たとえば、殿様に主人公の兼見が謁見する場面、殿様よりはるかに下の位の兼見は、呼ばれても最初は襖ごしに話をするだけ、指示があっても襖の前の畳のへりは絶対に越えない、というのはこの作品における所作の確かを裏付けているものだ。テレビ時代劇などで、奉行の身の者が将軍の隣にいることがよくあるが、奉行ごときの身分が将軍様に近づくことなど、本当はありえないことなのである。
また、兼見の家の中の所作でも、食事の場面では、一番上座が主人、その下が手伝いに来ていた妻の妹、その下に下働きの女と、それほど重要ではない場面でも所作に配慮した演出をしていたのには感心した。
さらに、主人公と殿様に対立するご別家との決闘場面。普通の時代劇ならば、長い太刀を振り回すものだが、普通、城の中は太刀を使えないようにするために、柱などを低くして狭くしている。この作品では、そのサイズに合わせるように、小太刀を使った斬り合いを演出していたのも誉められていい部分だ。なぜ、それほどまでに所作にこだわったことが良かったのか。それは、時代劇独特の様式美が生まれるからである。
市井の者たちを主としたものに比べると、武家を主にした時代劇は、主じに仕える身の悲しさという物語が多く、それほど大きな変化はない。だから映画で武家社会を見せる場合、その社会独特の様式や品格を演出することが重要になってくるのだ。これを怠ると、ただの安ものの時代劇になってしまうケースがよく見られるが、特に藤沢周平原作の時代劇の場合は、武家のしきたりを重んじたものが多くなるため、余計に重要になってくる。この作品の場合、藤沢作品の最も大事なものをきちんと演出してみせた分、作品としての評価が上がるのは当然だ。特に、それが映画全体に人間的な美しさが醸しだされたのだから、平山監督演出の様式美は大成功だったと言うべきだろう。
ただ、こういう時代劇は、ある程度目を肥えた観賞眼がないと、本当に評価されない。見る側の我々が試されている、という点でも、この作品の位置するものは相当高いと思う。
武士はつらいよ。
原作のイメージ通りの完成度!
何年経っても色褪せない映画というものがあるが、この映画はおそらく、少なくとも自分にとってそういう映画になった。
観る前は、豊川さんが兼見を演じると知り”ええ~?あの左膳をやった豊悦さんに出来るの?””また格好つけてるんじゃないの?”などと思っていたが、なんのなんの、はじまるとそんな印象は一気に吹っ飛んだ。薄汚い髭や浮腫んだ顔、少したるんだ身体などは逆に負の凄みと色気すらを感じさせる。
前半、殺陣や動きのあるシーンは少なく、豊川さん演じる兼見の苦しみ自問しながらも淡々と過ごす日常が描かれる。このシーンを退屈と思ってしまう人も多いかも知れないが、衝撃的なラストシーンに繋がって行くにはこれで良い。各所に静かで巧妙な伏線を配しているわけですから。
ただ、村上淳演じる右京太夫が藩主としての薄っぺらさでは無く、村上淳の薄っぺらさになっていたこと。兼見と里尾の濡れ場を描いてしまうと直接的過ぎて興ざめしてしまうこと。
などが幾らか気になりました。
とはいえ、平山監督がこんなにも本格的な時代劇を撮れるとは!久世さんの、昨今の”どうです?凄い殺陣でしょう?”的なものでは一切ない凄みのある殺陣!世界観を壊さず、効果的に場面を支える音楽!どれも一流のスタッフさんが、良い仕事をしていると唸らせるものでした。
ラスト15分からの大殺陣から、豊川さんはこの作品とともに伝説になり、必死剣鳥刺しが、観客の胸に鋭く突き刺さること必至です。
抑制の美学
襖を開け閉めする時の動作。
静かに味噌汁を啜る姿。
これらの何とも無い動作が、鑑賞から一週近く経った今でもやけに頭に焼き付いている。
本作の登場人物は皆、細かい所作や言葉遣いのひとつひとつが実に慎ましく、気品に溢れている。
主人公・兼見が謹慎を申し付けられた後の一年を描く場面はやや単調にも思えるが、移り行く四季と共に淡々と生活を送る彼らの姿には、日本古来の美しさとはこういうものか、と気付かされた気がする。
不平不満や我欲を抑え、己を厳しく律する姿。自分を捨て、人を思いやる心。
それを丁寧に丁寧に描いたからこそ、己のエゴを満たす事しか思考に無い愚劣な連中に兼見が怒りを爆発させるラストの殺陣は、あれほどまでに凄絶な迫力となったのだろう。
それまでの気品をかなぐり捨て、真っ青な顔で相手を睨め付けながら迫る姿はまさに幽鬼。
最後の最後に繰り出される秘剣『鳥刺し』は、取り立てて珍しい動作を見せる訳でも無いのに、その凄まじいまでの執念にゾッとさせられた。
……しかし、どーしても引っ掛かるのは秘剣『鳥刺し』の正体。
中老・津田は人伝にその秘剣の事を聞いていた。それが主人公のみが会得した剣であり、『必勝の剣』であるという事まで知っていた。
寡黙な主人公が秘剣の事を周囲に言い触らすとは思えない以上、主人公がその剣を実践に用いて勝つ瞬間を見たか、或いはそれが編み出された場面を目にした人物がいると考えるのが自然か。
だが『遣い手は半ば死んでいる』状態で繰り出すといわれる秘剣を過去に実践したなら主人公はどうして生き残れたのか。そもそもどうやって秘剣を編み出したのか……謎である。
また、こと切れた状態にありながら、どうやって己の意思で相手を斬れたのか。一種のヨガのようなもので脈拍や“生きた人間の気配”を抑制したのか(鳥を捕らえた時のように?)。それとも純粋に強い執念が為した業だったのか。いや、小刀の封を解いたあたりに何か秘密があるような気もするし……むむむ、これもまた謎である。
理詰めで考えちゃいけないが、そこが引っ掛かって若干の消化不良を感じてしまった。
けど、良作。
派手な殺陣を期待する人には物足りないかも知れないが、活劇では無く人間ドラマとして観れば。
御上の勝手に振り回される慎ましい下級武士の姿は、僕らと完全に無縁な訳では無く、胸に迫る。
……そう言う僕は慎ましさゼロな人間ですけどね。
<2010/7/25鑑賞>
必死剣鳥刺し
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