牛の鈴音のレビュー・感想・評価
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その鈴音は牛の声。
豊かさとは何か?ありあまるお金、最先端の文明、情報収集による知識。これらは先進国と呼ばれる国では、ある程度、一般の人々でも得ることができるだろう。たとえ農業に従事している老夫婦でも。それは日本でも韓国でも同じだ。しかし本作の主人公、79歳のチェ爺さんと76歳のイ婆さん夫婦は、まるで文明から取り残されたような生活を送っている。掘っ立て小屋のようなみすぼらしい家、農作業や移動に使うのは年老いた牛。機械や自動車は使わず、牛に食べさせる市販の飼料も使わなければ、農薬も使わない。唯一の娯楽は古ぼけたラジオだけ。こんな生活を続けるのは、エコを意識した高邁な気持ちからではなく、牛と共に暮らしてきたお爺さんの頑なさからだ。片足に麻痺のあるお爺さんは、萎えた足を引きずりながら辛い農作業を黙々とこなす。お婆さんは最初から文句ばかり。「あんたと結婚したばかりに苦労ばかりする。私は本当に不幸だ」と。無口なお爺さんはそんなお婆さんの文句を尻目に、毎日牛に食べさせる草を刈る。お爺さんの年老いた牛はお爺さんにとって、お婆さん以上の伴侶だ。文句一つ言わずに力仕事をこなして来た。牛が動く度に首につけた鈴がリーンと鳴る。その高く澄んだ音色は牛の心の声だ。言葉は交わさなくとも、強い絆でお爺さんと結ばれている。お金や文明社会とは変えられない「心の豊かさ」がここにある。だが、寄る年波はお爺さんにも牛にも今までの生活を続けさせてはくれない。お爺さんは医者から農作業を控えるように言われ、牛は獣医から冬は越せないと宣告される。お婆さんに説得され、渋々牛を売りに出そうとしたが、老牛の目から涙が落ちる(確かに涙が落ちた!)のを見たお爺さんは、自分で牛を看取ることを決意する。お爺さんの頑固さは愛と優しさの裏返し。牛はお爺さんの愛情に応え、老体に鞭打って薪を運ぶ。そうして最期の日、お爺さんは30年以上着けていた鼻輪と鈴を牛からはずした・・・。あの鈴音はもう聞こえない・・・。その代わり文句ばかり言っていたお婆さんが、牛への感謝を述べる。残された老夫婦のために、十分すぎるほど蓄えられた薪の山に胸が熱くなった。
牛の一生
おじいさんと牛(農耕牛)の絆が優しい時間をくれました。
おじいさんは老いた牛を手放そうとせず、でも家畜なので、おばあさんと口論になりつつも仕事をさせています。
おじいさんは牛に感謝と愛情を感じてるきらいがあり、とても癒されます。
最後、本当に死んでゆく牛を涙なしには観られませんでした。
ただの小さな作品と侮るなかれ!泣けますよ。
爺さん&雌牛vs婆さん。
まさかこの作品が地元で観れるとは思ってもみなかった。
近所にシネコンが出来てから寂れかけていた駅前映画館。
かなり思いきった懸けに通じるド根性?をみせてくれた。
いやホントに素晴らしい。
なんでこんな作品を観て泣けるのかと自問自答する。
昔の日本にだってこんな風景はゴマンとあったろうし、
こんな老夫婦は今もどこぞの山村にいるのかもしれない。
本当に、こんな、当たり前の映像に泣ける自分というのが
いかに便利で無情な世の中に生きてきたことを痛感する。
便利=幸せだと信じて発展してきた先進国が失くしたもの。
不便で汚くて辛くて長い一日が懐かしいと思える不思議。
それを、なんともいえない表情で見つめる、雌牛。
この牛、本当にいい顔をするものだから、たまらんわ^^;
題名の鈴音とは、爺さんが牛の首に付けた鈴の音である。
歩けば鳴り、食べれば鳴り、それがまたとても美しい音だ。
朝から晩までこの老夫婦は本当によく働く。
爺さんの方は黙々と(足が悪いので)這いつくばって働くが、
婆さんの方はまぁ~よく喋る。っていうか愚痴をたれる^^;
あまりにうるさくリズムに富んでいるため、BGMのようだ。
それが田畑と牛に降り注ぎ(爆)作物の成長を促す…という、
思わずコントか?と思うような展開もあるが実話なんだな。
あまりに古臭いので、よほど寂れた村なのかと思いきや、
周りの農家は機械化されており、この爺さんちだけだった。
15年で寿命を迎える牛が40年も長生きし、こき使われ(爆)
しかしこの偏屈な爺さんのこだわりぶりが雌牛の命の源だ。
婆さんより雌牛命!?ともいえる爺さんの行動には苦笑い。
そんな爺さんに愚痴を吐きつつ、しっかりと支える婆さん。
9人もの子供を立派に育て上げた夫婦の真髄がここにある。
果たして本当に、不便=不幸なんだろうか。
私達が見落としてきたものがたくさんあるんじゃないか。
あれだけこき使われながら、無農薬の草を毎日いただき、
オンボロ牛小屋で40年も生きてきた牛がいるのだ。
爺さんが倒れれば、長い道のりを牛車で病院まで出向く、
DJより喧しい(すいません)愛情溢れる婆さんがいるのだ。
お盆に訪ねてきて、食べるだけ食べて、牛なんか売れ!と
言い放つ子供達になにが分かる!?とつい思ってしまった。
このシーンでまた「グラン・トリノ」を思い出してしまった私。
爺さん&婆さん&雌牛の偉大なる三角関係に乾杯!!
婆さんが雌牛にかける最期の言葉には同志愛を感じる。
よくぞ生きた。よくぞ頑張ってくれた。ありがとう。
愛されて40年、素晴らしい牛生に頭が下がる思いだ。
(私と牛のどっちが?と聞いて牛と言われたら確かに辛いね)
鈴の音が、しずかに、やさしく、とけこんでゆく
ドキュメンタリー作品が受けない
韓国で300万人を動員。この人数は、
韓国国内の15人に1人が観た計算になるそうです。
予告編の短い尺で
眠くなりかけてしまう、
そんな癒し系の映像に魅かれ、行ってしまいました。
☆彡 ☆彡
癒し系ですねぇ
本編では眠くなりませんでしたよ(苦笑)
〈 休むのは死んでから 〉
韓国慶尚北道奉化郡で農業を営む、
老夫婦と40歳にもなる老牛との
毎日の生活を映しだしたドキュメンタリー。
もう、この時点で、大体の想像がつくと思いますが、
派手な出来事もなければ、目を引く事件もありません。
カメラは、淡々と、夫婦と老牛の過ぎていく日々を映すだけ。
イ・チュンニョル監督、
元々テレビディレクターをされていた人で、
今作も、当初はテレビの企画として始まり、
それが、紆余曲折を経て、映画化されることに決定。
自分の父をモチーフにした構想から、
農夫・牛、これに会う人を探し、今作の主人公に行き着いたそうです。
映し出される
おじいさん、おばあさんは、
汗水流して、よく働きます。
機械を使った近代農家を横目に、
手作業にこだわり、牛の食事に悪いから、
と農薬も使わない。愚直なまでに、時代と逆行をした生き方を貫きます。
そんな姿勢をみて、
おばあさんは、おじいさんに、
「機械を買おう」「農薬もまこう」と大きな声で
言い続けるのですが、おじいさんは、まったく耳を貸さない。
おばあさんは、そんなおじいさんに対し、
「わたしほど、不幸な人はいない」だの
「なんで、こんな所に嫁いだのだろう」だの、愚痴をこぼし放題。
この愚痴が、おじいさんを憎んでいる愚痴ではなく、
おじいさんを愛しているがゆえの愚痴だから、なんだか微笑ましくなる。
◇ ◇
観る人によっては、
おじいさんを中心とした
不思議な三角関係に見えるかもしれません。
実は、老牛は雌牛です。
おじいさん、おばあさんは、
老牛がひく、リヤカーに乗り移動をします。
ある日のこと、
坂を上がる老牛が苦しそうにしていました。
すると、おじいさん、おばあさんに「下りろ」と指示。
また、ある日のこと、
体調を崩した老牛のため、薬草をとってきてあげます。
するとおばあさん。「私が体調を崩したとき、そんなことしてもらったことがない」とぼやく。
そして、そんなとき、
タイミングよく老牛の顔がアップになるんです。
当然、牛だからしゃべるはずはないのですが、
なんか、マンガのふき出しみたいなものが見える気がするんです。
どういうことかというと、
こちらで老牛のセリフを考えてしまうんですよ。
たぶん、こういうんだろうな、なんて。しかも口調まで想像してしまう(苦笑)
ラスト、老牛は天寿を全うするのですが、
その瞬間に流れる音楽に韓国映画の真骨頂を感じました。
イコール、露骨に泣かせにくるのがイヤな人は、ここで、
泣くどころか、引いてしまうのかもしれません。韓国映画が
好きな私は「あっ、やっぱり音楽は、こうくるのね」と思ったのち、
うっすらと眼を潤ませてしまうのでした(笑顔)
☆彡 ☆彡
劇場に貼られていた記事を読んでみると、
韓国国内では、この映画を観たあと、両親に
電話をかける、お客様が非常に多かったそうです。
監督は、今作を作り終えて、
「心や目に見えないものを撮る重要さを知った」と語っています。
老夫婦、特におじいちゃんは無口ですし、
老牛も、時折、首にぶら下がった鈴の音をたて、
意思表示をすることはあっても、しゃべろうはずもありません。
静かに過ぎる毎日を見ながら、
ぼんやりとするのもいいかもしれません。
映画館にいるのに、
なんだか縁側でゆったりしているような気持ちになってしまいました(笑顔)
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