マイレージ、マイライフ : 映画評論・批評
2010年3月16日更新
2010年3月20日よりTOHOシネマズシャンテほかにてロードショー
予め壊れることで歪な社会に適応してきた心の漂流
空港を根城に全米各地へ飛び回るスーツ男の生態が、往年のウェルメイド・コメディを思わせるタッチで活写されていく。軽やかに描かれるのは、未曾有の不況下に各社へ乗り込みリストラを告げる専門職。何ともタイムリーかつ皮肉なモチーフではないか。淡々と職務をこなし、マイルを貯めることに唯一生きる価値を見出す彼のクールを通り越しどこか可笑しくも麻痺した日常に、ジェイソン・ライトマンは揶揄と憐れみの眼差しを向けている。
たとえ首切りを言い渡そうとも、人生最悪の瞬間を迎える心情への想像力をあえて封印する。恋愛さえも合理的に済ませ、自己のスタイルに陶酔して他人と深く交わらない。磊落か冷血漢か。そうではないだろう。ジョージ・クルーニーが体現するのは、生きづらくやるせない状況でも何とか自分を保つため、人間性を捨象してしまった中年男に他ならない。
これは、予め壊れることで歪な世の中に適応してきた男に訪れる、変化と修復のドラマだ。自らと同じ匂いを放つ存在と出逢ったとき、初めて心は揺らぎ、己の身にも事業仕分けの手が及ぶとき、自我のシールドは綻んで、なりふり構わず孤独から抜け出そうともがく心の漂流が始まる。繋がっているようでいて実は希薄な関係性に満ちた今。主人公の存在証明=マイルを換言すれば、さしずめツイッター上のフォロワーか。人生の重さを真に量るものとは何かを求め、32歳の映画作家が用意した結末にかすかな希望を抱くなら、貴方も淋しげな同志かもしれない。
(清水節)