嵐が丘(1939)のレビュー・感想・評価
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運命の歯車は止められない
原作は残念ながら未読です。
キャシーとヒースクリフ、主人公の二人は単純な男女の恋愛関係ではなく、もっと宿命的な何か、劇中のキャシーの「二人は一心同体だ」的なセリフがありましたが、まさに表裏一体の存在なのです。それゆえに愛だけでなく憎しみも倍加させてしまうのでしょう。
表面的に見ると、キャシーの移り気が短期間で極端すぎて、二重人格なのではと疑いたくなるくらいなのですが、映画では十分読み取れない行間に、当時の階級差別の激しさがあったのだと推察できます。
キャシーが、ヒースクリフへの蔑みをエレンに語るシーン。隠れてヒースクリフが聞いていて、稲妻が彼の苦渋の表情映し出します。パンフォーカスで奥行きを活かした素晴らしいショットです。
死の床においてキャシーは、世評や優雅な暮らしでは得られない真の幸福に気付きます。そして風雪の夜に幸福追求を成就させるのです。彼らだけの幻の王国で。
「プロミシング・ヤング・ウーマン」のエメラルド・フェネル監督が本作を撮影中とのこと。女性映画の騎手がどう仕上げるのか、とても楽しみです。
ヒースクリフの復習劇とキャシーとヘアトンの恋愛劇のはずだ。
先ず感じた事は『ペニストン』って男性の象徴だと思うが、何を意味するのか?
映画と小説は別の芸術だから、比べる訳には行かないと思う。しかし、この映画には原作があって、原作と同じ題名なのだから、原作の持つ主旨を変えては駄目だと思う。
この映画を見る限り、主旨を大きく変えているとまでは言えないが、ヒースクリフの性格が、名優ローレンスオリビエの印象に、悪い影響を与えない程度に描かれている。その点が共感できる範疇ではなかった。
また、映画の尺があるから、その時間の中で
100%表現する事は難しいと感じる。しかし、この原作は3代に渡る貴族2家族の愛憎でなければならない。それが、この映画では、2代に縮小されて、ヒースクリフとキャサリンの恋愛だけに収められてしまっている。ネタバレになるが、ヒンドリーはフランソワとの間にヘアトンと言う子供を作り、キャサリンはエドガーとの間にキャシーと言う子供を産んでいて、その続きがまた、恐ろしい愛憎劇を繰り広げられる。つまり、この映画は片手落ちの次元ではなく、原作の10%にも満たない。
さて、原作本の挿入画をバリュティスと言う画家が描いているが、僕は、この画家の展覧会を見に行って、『嵐が丘』のリトグラフを拝見させて頂き、その『オドロオドロした姿』に『嵐が丘』と言う題名がぴたりと感じ、原作を読む気になった。(6年くらい前)
読後、一人の貴族の気まぐれで、拾ってきた『ロマ』の子供に、メチャクチャにされる貴族の落ちぶれ方が、痛快で僕は感動したと記憶する。(あくまでも、僕のその時の解釈)(映画では、ヒースクリフが中国とインドとの間の貴族の子となっているが、原作は拾ってきた浅黒い子になっている)
キャシーとヘアトンで大団円になると言うことは、ヒースクリフの血は途絶えたという事だ。つまり、ヒースクリフは最初から招かれざる客で、彼の復習劇は、保守的なイギリス社会を前にして、一瞬で終わったという事だ。
原作は言うまでもなく、傑作だと思う。
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