台湾人生のレビュー・感想・評価
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日台関係の歴史の一端
企画・監督の酒井充子さんのドキュメンタリー、台湾三部作、「台湾人生」、「台湾アイデンティティー」、「台湾萬歳」の第一作。
酒井監督は北海道新聞の記者時代、 ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞をとった1994年の台湾映画「愛情萬歳」を観て台湾に興味を抱き訪台、バスを待っていた時、近所の老人に流暢な日本語で話しかけられ、子供のころお世話になった日本人の先生の話を聞き、増々、台湾と日本の関係に興味を持ち、新聞社を辞して取材、ドキュメンタリー制作に踏み出したと語っています。
映画には日清戦争の戦利として得た1895(明治28年)から1945(昭和20)年までの半世紀、日本統治期に青少年時代を過ごした台湾のお年寄り5人が登場します。
今でも根深い韓国の反日感情に比べて台湾の親日感情の深さは何なのでしょう。
確かにインフラ整備を進め台湾の近代化に貢献化した面もあるでしょうし、幼少期に刷り込まれた価値観、日本語教育の功罪、名残りなのでしょう。
「犬が去って豚が来た」と揶揄される戦後の蒋介石・国民党の圧政に比べれば日本のほうがましだったというのが本音かもしれません。
老人が語るには志願兵として散々、日本に尽くしたのに日本政府は見捨てたままと口惜しそうに嘆いていました。学校や戦場で受けた人種差別の屈辱の話がある反面、私財を投じて進学を助けてくれた恩師の存在など玉石混合。
昨今、きな臭い台湾有事の話題が強まる中、日台関係の歴史の一端を知り勉強になりました。
確かに、ご老人たちは日本語で話してくださってはいるのですが、聞き取りに難あり、できれば字幕補完が欲しかったです。
犬さりて豚来たる。
親日家の台湾人の話。
こう言った方は今はほとんどいない。イデオロギーは残っているかもしれないが、実体験をした方はいないと思う。昭和3年生まれで、95歳ですからね。
さて、現在の台湾はどうなっているのだろうか?
私はこの映画が上映される以前に阿里山に登り(登山列車がある)、新高山の日の出を拝んだ記憶がある。
228事件の事を日本人の演出家が何一つ検証せずに映像にするのは、プロパガンダ色が残念ながら隠せない。
台湾は1987年まで戒厳令をひいた軍事国家だった。また、228事件は1949年2月28日の事ではあるが、当時の日本国政府はそれを強く避難している訳ではない。
【1895年から1945年までの51年間、日本の統治下にあった台湾で教育を受け、日本語を話すことができる“日本語世代”の人々の生き様を描き出したドキュメンタリー作品。】
■元新聞記者の酒井充子監督が“日本語世代”の老人と出会い、足かけ7年の取材活動を経て完成させた意欲作。近くて遠い台湾の知られざる一面を優しいまなざしで見つめる。
酒井充子監督が“日本語世代”の5人にインタビューを行い、当時や戦後の話を通して、台湾と日本の密接な歴史を振り返る。
◆感想
・当時の日本の思想統制により、日本文化に染まって行った男女5人へのインタビューで綴られる。
・だが、日本敗戦後、台湾では2・28事件により、”白色テロ”が横行し・・。
-この辺りの事件をテーマにした映画は、多数ある。-
<今作は、大日本帝国と中華人民共和区の狭間の中で懸命に生きた人々の実録の声をキチンと拾い上げて映画がした貴重な作品である。>
初めて監督の舞台挨拶のある上映会に行ってきた。 80歳以上の台湾の...
初めて監督の舞台挨拶のある上映会に行ってきた。
80歳以上の台湾の方は日本語が堪能である。
それは日本が統治していたという事実があるからだが、その後中国から国民党が入ってきて日本統治の名残をなくそうとする政策をしていく。
日本の文化をなくしていこうとするが、80歳以上の方々のココロは生粋の日本のココロになっていて、それが染みついている。
その日本に対する忠誠心ともいえるココロを日本政府は日本人ではないということでナイガシロにしてしまう。
そういう複雑な状況の中で、日本人教師の墓参りをしているシーンはインパクトがある。そこまで日本人教育がされて、それが人のココロに受け入れられている。
以前、ソウルのカジノ行ったときに、おばあちゃんから日本語で話しかけられた。それも日本統治の名残だなーとは思ったが、その時は大学のときで、そこまでの深い思いはなかった。
何をもって日本人なのか。
民族をもって日本人?
日本人としての教育されたから日本人?
天皇に忠誠を誓って日本人?
それを考えさせられた。
監督は隣町の出身。上映後の監督のコメントでもっと映画の内容が分かってよかった。最近ドキュメント系も好きになってきた。
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