「芸術の衰退と再生。」夏時間の庭 Chemyさんの映画レビュー(感想・評価)
芸術の衰退と再生。
夏時間―――、陽光きらめく庭で、家族がそろい母の誕生日を祝う。子供達の笑い声の響く幸福な風景から本作は始まる。しかし、この明るく温かいシーンの裏にはかすかに「死」の影がある。死・・・人間の死だけではなく、芸術の衰退を含めたものが本作のテーマなのだ。母が守ってきた大きな屋敷には、コローを始めとする貴重な芸術作品が“日常品”として使われている。マジョレルの机には書類が山積み、ホフマンの戸棚からは飛行機のオモチャ、ブラックモンの花瓶には野の花が活けられる。オルセー美術館の前面協力のもと、これらの芸術品は全て本物だ。普段美術館の展示室の人工光の中で、整然と並べられている美術品たちは、自然光の中で本来の役目に立ち戻り、活き活きとしているようにも見える。しかし、やがて幸福な夏時間は過ぎる・・・。母の死後、遺産を相続した子供達たちは、話し合いの結果、屋敷を売り、美術品を美術館へ寄贈することを選択する。母親の思い出を大切にしたい長男の意思に反して・・・。感傷よりも現実の生活が大事。妹たちを誰も責められない。大丈夫、人間は“思い出”だけで生きていける。その“思い出”を大切にしていけばいい・・・。
時は過ぎ、思い出となり、芸術の「形」も変化していく。コローの風景画は、若い孫たちには「古臭い」ものとなり、若者は若者の文化を育て上げる。幸福な家族の風景で始まった物語は、騒がしい若者のパーティーで締めくくられる。他人の持ち物となる前に、若い孫娘が、屋敷で最後のパーティーを開いたのだ。大音響のロックや、部屋の中でボール遊びをする若者達の姿をどう捉えるか?古きものを冒涜し、芸術に見向きもしない若者を嘆くか?いや、そうではない、後ろを振り向かない若者達の未来を見るべきだ。彼らには彼らの「文化」や「芸術」がある。ゴッホやピカソが当時の保守的な人々から眉をひそめられたように、彼らの「芸術」も大人たちから眉をひそめられている。しかし、ゴッホやピカソが古典となったように、彼らの「新しい芸術」も、未来の若者達から「古臭い」と言われる日がやって来る。そしてそれらの「芸術」も、美術館の片隅にひっそりと展示されるようになるのだ。この時代の変化を嘆いてはいけない。彼らにも大人と共用できる「思い出」があるから・・・。陽光あふれる庭は、時の移り変わりを見ている。本作は日々の細々した生活に追われ、バラバラになっていく家族たちが、美術品を通して同じ思い出を共有することで、絆が生まれるという、普遍的な家族の愛を描いた爽やかな物語だ。