「ラブロマンスとしては、いま一歩。クラッシックファンがニヤニヤとシューマンやブラームスのエピソードを楽しむ作品ですね。」クララ・シューマン 愛の協奏曲 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)
ラブロマンスとしては、いま一歩。クラッシックファンがニヤニヤとシューマンやブラームスのエピソードを楽しむ作品ですね。
シューマンの物語かと思ったら、こちらは奥さんのお話。ドイツでは国民的に敬愛されている著名ピアニストでした。ヨーロッパ共通通貨ユーロに統合される前のドイツマルク紙幣に、クララの肖像が使われていたことからも、いかにクララがドイツ国民に愛されているかを示しています。
本作は。伝記ではなく、病がちな夫ロベルトとちょっとプレイボーイ風のブラームスとの間で揺れるクララが描かれます。ふたりのキスシーンもあり、本作はふたりの不倫説に沿ってストーリーを組んでいます。その根拠として、ロベルトが「俺は知っている」とうわ言のように遺言を残したために、ロベルト没後 150年を経た現在でも不倫説が絶えないのです。でも、定説としては、それを裏付けるものは全く何もないようです。
但し劇中ブラームスは、シューマン家に下宿して、シューマン夫妻との結びつきの深さが描かれます。ロベルトは、後継者として指名するほどブラームスを熱烈に賞賛し、聴衆にブラームスの作品を広めるために重要な役割を演じました。
1855年ごろのクララへの手紙の中で彼女のことを「君」と表現するなど、恋愛に近い関係になったと推測される時期もあったようです。一時期は「末子フェリックスはブラームスの子供」という誤報まで飛び交ったほど、親密な付き合いであったといわれています。 でもねぇ、クララは14歳年上であり、同じピアニストとして、すでに彼女は国民的スターであっただけに、どこまでが恋愛感情で、どこまでがファンとしての尊敬する感情だったのか微妙です。本作でも、恋愛と尊敬のどっちつかずの描写に終わったため、ラブストーリーとしては、いささか盛り上がりに欠けました。
特に、途中ささやかなことでブラームスがシューマン家を出ていき、数年後にまた戻ってくるシーンがありましたが、何でそんな行動をブラームスが取ったのか、はっきりしませんでした。
ただし、この三角関係は複雑です。劇中夫のロベルトは、ブラームスと緊密な関係を深めるクララに嫉妬する反面、音楽面では後継者に指名したヨハネスを妻に奪われる焦燥も表しています。ロベルトはクララも、ブラームスも両方を独占したかったのでしょう。 その執着と嫉妬心がロベルトの病を悪化させ、アヘン・チンキへ依存する要因になっていく様が、本作では克明に描かれていきました。
ただそれでもシューマン一家は予定調和のように、終始円満に描いたところは、いささか不満です。
なお、ブラームスはクララが没した翌年、劇中のセリフで約束したとおり、後を追うように病没しています。
本作では描かれませんでしたが、ブラームスがクララの危篤の報を受け取りとったときのシーンも加えて欲しかったですね。
彼は、慌てて汽車に飛び乗ったため、間違えて各駅停車の列車に乗ってしまったのです。そのために遠回りとなりクララの葬儀に立ち会えず、ボンにある夫ロベルト・シューマンの墓へ埋葬される直前にやっと間に合い、閉じられた棺を垣間見ただけであったそうです。
ブラームスとの親密さを描きつつも、音楽家として致命的な病気となる三半規管と中耳炎によって偏頭痛に苦しむ夫ロベルトへの献身ぶりがメインで描かれています。男から見れば、ロベルトとブラームスとどっちに気があるのと言いたくなるくらい、画面のクララは割りきっていました。女心とは、そういう器用なものでしょうか(^^ゞ
但し、クララはロベルトの音楽的な才能に神髄していたことはもよく伝わってきました。
「交響曲第3番 ライン」の初演で、なんと夫婦付随で式台に立つところは如実に表れています。すでにまともに指揮出来るような精神状態ではなかったロベルトだったのですが、それでも当時のドイツの社会では、女性が単独で式台に立つことは許されなかったのです。
指揮者どころか、作曲家としても世間は認められておらず、女性というだけで曲を正当に評価してもらえなかったのです。
クララは、作曲家としても幼くして才能を発揮していたが、37歳の頃に作曲をやめ、ピアニスト及びピアノ教師として生きる事を決意せざるを得なかったのです。劇中彼女が作曲したロマンス・ヴァリエ(ピアノのためのロマンスと変奏)がバックに流れます。女性ならではのきめ細かで、叙情に満ちた旋律でした。
クララの作曲は当時のモーツァルトやベートーヴェンが同年代の頃に書いたものと比較しても遜色がなく、作曲をやめていなかったら彼女は最高の作曲家として名を連ねていたかもしれないという人もいるほどです。
そんな女性差別が背景にあったため、書き上がったばかりの「ライン」第一章を、病の夫の代演でデュッセルドルフ管弦楽団でクララが指揮するところのシーンは感動的。
叙情的な曲想が多いシューマンのなかでも「ライン」は雄大でのびやか。それを女性のクララがダイナミックに指揮するところは、なかなかの見せ場でした。
このように書いていると、どうしても本作はラブロマンスとしては、いま一歩で、クラッシックファンがニヤニヤとシューマンやブラームスのエピソードを楽しむ作品としか言えなくなります。
特にブラームスが自らハンガリー狂想曲をピアノ演奏するシーンなんかクラッシックファンとして興味深かったです。
そして劇中に流れる曲はどれも名演奏ばかり。できれば音のいい劇場で見て欲しい作品です。
主演のマルティナ・ゲデックは、『マーサの幸せレシピ』の時とはイメチェンして、ブラームスに対して大人の円熟した色気見せて、いかにも年上の素敵な女性という感じを上手く演じています。そして夫ロベルトといるときは、よき妻であり作曲のパートナーとしての表情を見せ、子供の前ではよき母親ぶりを器用に演じ分けていました。