「中盤までが良いだけに惜しい」映画は映画だ 因果さんの映画レビュー(感想・評価)
中盤までが良いだけに惜しい
ヤクザのようなアクションスター「スタ」とアクションスターに憧れるヤクザ「ガンペ」の奇妙な交流譚。
序盤〜中盤のガンぺの人間味溢れる二転三転ぶりは見ていてとても面白い。
今まで無慈悲なヤクザ社会の現実に身を投じていたが、映画への出演を通じてフィクションのポジティブな効用に微かな希望を見出すようになったガンぺ。彼は会長の命令に背き、殺害を命じられていた社長を逃してしまう。映画の中のキザな決めゼリフを口にしながら。しかしもちろん、このことによって組織内での彼の立場は危うくなる。
自分に後がないことを知った彼は、今度は「映画と現実は違う」と吐き捨てて映画を降板し、再び社長の殺害に乗り出すものの返り討ちに遭う。しかし社長は前に命を助けられた例として命だけは助けてくれた。あのとき彼が口にした映画の決めゼリフを繰り返しながら。
諦めかけたフィクションの効用がすんでのところで僅かだが機能していたことを悟り、ガンぺは再び撮影現場に戻っていく。おそらく、映画へのささやかな祈りを胸に。
映画に救われた、裏切られた、また救われた、といった素朴な精神作用がヤクザらしいダイナミックな暴力的行動によって情けないほど克明に表象されていてよかった。
「映画は映画だ」という自己暗示にも似たタイトルの先には「それでも我々は映画を信じずにはいられない」という映画への祈りが隠されているような気がする。
しかし終盤の展開に関しては何とも言い難い。谷口悟朗『スクライド』の最終回を焼き増したような泥沼の殴り合いには薄ら寒いマッチョイズム以上の何かを感じることができなかった。
ラストシーンにも納得がいかない。序盤〜中盤までは「ヤクザという社会的ステータスからはみ出してしまったカッコ悪い自意識とどう折り合いをつけるか」みたいな話だったのに、それがけっきょくヤクザ映画にお馴染みの自己犠牲的ヒロイズムによって無効化されてしまうのはやっぱりもったいない。
そういえば、作中での女の扱い方もかなりもったいなかった。ガンぺとミナの交際も、スタとその彼女の復縁も、物語の山場をさらに盛り上げるための外連味でしかなかったような…
こうなるくらいなら、はじめから女を物語から徹底的に排除することで周りが何もかも見えなくなるくらい映画に取り憑かれた男たちの愚かしさみたいなものを皮肉的に描く…みたいな感じのほうがまだ収まりがよかったんじゃないの?と思う。