グラン・トリノのレビュー・感想・評価
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モン族の家で、文句はなしよ
映画「グラン・トリノ」(クリント・イーストウッド監督)から。
会話のテンポがよくて、なぜか汚い言葉でも、
すんなり受け入れられたのは、不思議であった。
これは、もちろん脚本の素晴らしさもあるんだろうけれど、
字幕を読んでいる私にとっては、翻訳の妙でもある。
こんな言葉を訳すのは、若い人なのかな?と思ったら、
なんと戸田奈津子さんだった。(笑)
日本語訳でしかわからないフレーズが満載。
気になる一言もその1つ。
「モン族の家で、文句はなしよ」は、メモして笑えた。
主人公が口から血を吐く。「大丈夫?」と訊ねる人に
「舌を噛んだだけだ。下(1階)でもっと飲もう」と返す。
若い女の子を、これまた若い男3人が追いかけるのを見て
「三バカ大将が、後を追ったか」。
物語的には「少しは自分に磨きをかけろ」が光った。
磨き方を教えるのではなく、自分で試して覚えろ、
そんなメッセージが伝わってきた映画だった。
じじいの勲章。
我が家にも手のつけられない偏屈ジイさんがひとりいる。
この頑固ジジイときたら、今の若者の全てが気に入らないx
あっちで文句をつけ、こっちで愚痴を言い、でも結局は
何も変わらないことに嫌気がさしては、ブ~ブ~唸っている。
アレ?これってイーストウッドのポーランドじじいと一緒だv
この映画、おそらく私位の歳の人間が観れば大感動だが、
鼻ピにヘソ出しルックの若者が観たら、なんて言うだろう。
「あ~つまらねぇ!この説教ジジイが!」
そう思ったら大成功!…という卿の高笑いが聞こえてくる。
10代でこの感動を理解できれば、相当の年寄りになれる。
愛車グラン・トリノは、大事に温存されてきたこのジイさんの
価値観そのものなのだ。誰にも触らせず受け付けもしない。
孤高のイメージが自身の孤独を暗示し始めてもこのジイさん、
相変わらず悪態をついて、他を一蹴する。
身内にまで嫌われているこの男の一挙手一投足がいちいち
可笑しくて、ずーっと笑いっぱなし。こんな頑固ジジイを諭す、
27歳の童貞野郎(神父さん)のめげないしつこさにも脱帽した。
なのでこの映画が面白くなかった若者には申し訳ないが、
私には文句をつけようにも見当たらない。「チェンジリング」で
あんなに感動したばかりなのに、もうすっかり今作の虜だ。
そしておそらくそれが「今の自分」だからなのだ、と感じる。
長い人生を生きてきたポーランドじじいには、幾多の陰惨な
経験もあったろうし、愛妻との素晴らしい想い出もあったろう。
普通人間は、そうやって人生を歩む毎に丸くなろうものを(爆)
彼は、俺を誰だと思ってるんだ!と言わんばかりに猛々しい。
イーストウッド卿の、本性はこうかもしれない^^;
懺悔とか、ちゃんとしているのかしら…(大きなお世話ですね)
しかし作品としての資質は、相変わらずまったく無駄がなく、
ゆったりしているのにテンポが乱れず、すべてのドラマが
順序良く統合されていく。無名のキャスト達が喋る台詞にも
何かしらの意味があり無駄がない。ギャグまで的を突く始末。
隣に越してきたモン族(ホンモノらしい)姉弟との交流を通して、
改めて自身を学び始めた彼に転機が訪れ、やがて彼は
彼らを守るためにチンピラに正義の審判を下すのだが…。
おおよその予想通りだったラストは、もちろん悲しくて、
泣けはしたものの、なんともいえない清涼感にも包まれた。
多くの西部劇でドンパチを演じ分けてきた彼のカッコ良さが、
こういう形で次世代に語られるとは、実は思っていなかった。
彼はすでに若者たちの未来を見渡しているのだ。
エンディングテーマに酔いしれつつ(頑固な声で、唄ってます)
こんな遺言状のような作品を作ってしまった彼に脱帽するものの、
いや~まだまだ。ポーランドじじいには卿として君臨してほしい。
傑作なんか作りやがって。このバカタレが。(T_T)
(イカれイタ公も、アイルランドの酔っ払いも、そう思ってるぞ)
欲するなら,まず与えよ.
この映画の主人公ウォルターの周りには,
与えることに無関心で,
欲することしか知らない人たちばかりがいた.
ソファが欲しいとか,宝石が欲しいとか,
野球のチケットが欲しいとか,
そういう連中ばかりに囲まれて暮らして来たがために,
ウォルターはすっかり偏屈になってしまっていた.
電話がかかってきたり,人が家に訪ねてきたりすると,
彼は挨拶も抜きにして,まず相手の要件を尋ねる.
「で,何が欲しい?」
彼に言わせれば,人が電話をかけて来たり
家に訪ねてきたりする理由は常に決まっているのだった.
挨拶の言葉やそれに続く世間話などは,
相手が要件を持ち出すまでの前置き,
つまりはご機嫌取りの欺瞞でしかない.
そのような状況の中で,
ウォルターの家の隣に引っ越して来た人たちだけは違った.
その人たちは,与えることを知っている人たちだった.
隣の家の娘は,
不健康な食生活を送っているヤモメ暮らしのウォルターに
おいしい食べ物があるからと言って,
自宅のパーティーに来るよう誘ってくれた.
ウォルターがある時,隣の家の少年を助けると,
その日以来,彼の家には,花や食べ物などの贈り物を
お礼として届ける少年の親族の人たちの列が絶えなくなった.
ウォルターは,自分の死後,
持ち物をすべてこのモン族の人たちに譲った.
一番の宝物であるヴィンテージ・カー「グラン・トリノ」も,
このモン族の少年に与えられた.
ウォルターがかわいがっていた犬は
モン族のおばあさんに与えられた.
いわば赤の他人であるモン族の人たちが
様々なものを譲り受ける一方で,
身内であるはずのアメリカ人家族の人たちには
何一つ与えられなかった.
欲するなら,まず与えよ.
欲することしか知らぬ者には,
何一つとして与えられないのだ.
しかし,そんな彼らも一度だけ
ウォルターに贈り物をしたことがあった.
ボタンの大きな電話機と老人ホームのパンフレット.
ただしこれは,厄介払いしたいという彼らの思惑が
透けて見えるものだった.
ボタンの大きな電話機は,老人であることの自覚を
ウォルターにうながすための小道具でしかない.
これらの物の贈り主らは,結局,
自分たちのことしか考えていないのだ.
「欲するなら,まず与えよ」の利他精神が
彼らに理解されることはまずない.
この利他精神こそ,
ウォルターが人生最後の瞬間に実践して見せたものだった.
彼は,モン族の人たちが町の無法者らによって
苦しめられていると知ったとき,
この精神にのっとって行動したのだった.
誰かを助けるためには,
まず自分が犠牲にならなければならない.
ウォルターは,命と引き換えに
モン族の人々の苦しみを取り除いた.
具体的に言うと,丸腰で無法者らに挑み,
無抵抗のまま奴らの一斉射撃を受けることによって,
奴らを一人残らず刑務所送りにし,
社会から追放したのだ.
彼がこのやり方を思いついた背景には,
過去の戦争体験があったものと思われる.
彼はかつて朝鮮戦争に従軍し,多数の敵を殺した.
しかもそれは軍の命令で仕方なくやったことではなく,
自分の意思で,自分のためにやったことだった.
(彼自身が神父を相手にそう語る)
しかし,それによって彼が得たものは何もなかった.
期待した充足感や勝利のよろこびは得られず,
罪の意識だけが後に残った.
もしこれが誰かのために,
誰かを守るためにやったことだったとしたら
結果は違っていたかもしれない.
だからこそ彼は無法者連中との対決を
ためらわなかったのだろう.
自分のためではなくモン族の人たちのために行う戦いは,
きっとかつての戦争での戦いとは
違った結果を彼にもたらしてくれる.
彼にはその確信があったのだ.
彼は,この最後の戦いを一人で行った.
本当は,彼にも一人味方がいたのだ.
しかし彼はその味方を戦いに連れて行かなかった.
なぜならその味方の人物は,
自分のために戦いを行おうとしていたからだ.
その人物は,かつてのウォルターと
同じ間違いを犯そうとしていた.
ウォルターが彼を一人残して
戦いへと向かった理由はこれ以外にない.
頼りにならないからとか,
自分ひとり良い格好をしたいから
とか言う理由では絶対にないのだ.
最高!!
久々の当たり作品に出会った感じ。クリントイーストウッド監督作品の中でも私的には上位にランクインする!!ストーリーは単純ではあるが全てのシーンでアメリカに対しての皮肉的な発言をしている様にも思える。人種差別・銃・戦争等。特に主人公の朝鮮戦争帰還兵の払拭する事の出来ない心の痛み、最後に愛する人の為に身を張って守るが・・・・。この作品は絶対に観る価値がある。
今でもアメリカは怖い
見ながら色んな事を考えさせられた。イーストウッドと同じ歳の義父が一人で故郷にいて、母も一人で自分の故郷に住んでいて、最近電話してないなぁーと。
そして自分はあの長男みたいで・・・。
銃社会は怖い。見た人はラストでバンバン撃ち殺すと思った、といいましたが
ある意味それも有りか・・・と。でもそれだとダーティハリーと許されざる者のミックスに。殺人者になってもその方がスカッとするかも?
遠くの身内より、近くの他人 それは同じだなぁと。
でもあのラストはショックですよ。ファンとしては。
彼らいといえば彼らしいけど。
サンダーボルトとおくりびとの臭いを感じました。
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