グラン・トリノのレビュー・感想・評価
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ヴィンテージな最期、そしてラストカットが素晴らしい。
○作品全体
思想や思考が凝り固まった老人がその心を次第に変化していくヒューマンドラマではあるが、その根底にあるのは妻が死に、自身も病に冒された状況での「エンディングノート」。
昔は国を守って戦っていた男は年老いて家族も守る対象ではなくなり、いつしか逆に心配される側になっている。守るべき領土は自宅の庭になってしまった。過去を回顧するばかりで目の前の世界が矮小化しているコワルスキー。その目の前に現れたのが、今一度世界を開かせてくれるスーだ。自身の守りたいものを再び手に入れたコワルスキーが、幾度もこぼれ落ちそうになる「守りたいもの」を静かに拾い続ける姿は不器用ながらとてもカッコよく感じた。
自身の命が短いことを悟って自ら死に場所を選ぶような最期は「旧態依然」というより「ヴィンテージ」という言葉が相応しい。
ラストカットの街を走るグラン・トリノがその「ヴィンテージ」の輝きを目一杯表現しているようで、これがまたかっこよかった。
○カメラワークとか
・やっぱりラストカットが良かったな。グラン・トリノが走り去った後もFIXで撮り続ける道路。行き交う車は様々だけど、同じ道路を走っていて、その先も走り続ける…と言ったような。作品の余韻の残し方としても素晴らしかった。
印象的なターニングポイント
公開時に劇場で鑑賞しましたが、一度くらい観ただけでは、ちゃんと覚えてないものですね。
モン族に良い感情がなかった頑固な主人公が、コミュニケーションを取ることによって分かり合えて、若者たちを大切に想った末に、命を掛けて彼らの未来を守るに至るのですが、そのターニングポイントとなった、欲深い身内より、大袈裟なくらい感謝を示す隣人に心を許すことを選択する一瞬がとても印象的でした。身内より他人ということも実際ありますね。
【87.9】グラン・トリノ 映画レビュー
クリント・イーストウッド監督作品『グラン・トリノ』は、現代社会における人種間対立、世代間ギャップ、そして人間の尊厳という普遍的なテーマを、重厚かつ繊細に描き出した傑作だ。その完成度の高さは、監督自身の円熟した演出手腕、俳優陣の奥行きのある演技、そして示唆に富む脚本が一体となって生み出されたものと言えよう。
『グラン・トリノ』は、そのテーマの深遠さ、物語の緊迫感、そして登場人物たちの内面描写の巧みさにおいて、極めて高い完成度を誇る。作品全体を貫くのは、かつて朝鮮戦争の英雄でありながら、現在は偏屈で孤立した老人となったウォルト・コワルスキーが、ひょんなことから隣人であるモン族の少年タオと心を通わせていく過程である。この異文化間の交流が、ウォルトの内面に潜む偏見や憎悪を溶かし、彼自身を人間として再構築していく様が丹念に描かれる。
物語の構造はシンプルながらも、そのシンプルさゆえにテーマ性が際立つ。序盤のウォルトの排他的な態度は、観客に不快感すら与えるが、彼の過去の傷や孤独が次第に露呈するにつれて、その人間性に奥行きが加わる。タオやスーといったモン族の家族との交流を通して、ウォルトが抱えていた偏見が少しずつ氷解していく過程は、非常に説得力がある。特に、スーがギャングに暴行されるという痛ましい出来事が、ウォルトの怒りと正義感を最大限に刺激し、彼の最終的な決断へと直結する点は、物語の核となる。 暴力の連鎖を断ち切り、新たな価値観を提示するウォルトの選択は、観る者に強い感動と深い余韻を残す。
また、本作はアメリカ社会が抱える根深い問題を浮き彫りにしている点でも重要である。人種差別、ギャング問題、家族の崩壊といった要素は、単なる背景ではなく、物語の核として機能している。しかし、監督はこれらの問題を決してセンセーショナルに描かず、あくまで個人の尊厳という視点からアプローチしている。その抑制された表現が、かえって問題の根深さを際立たせる効果を生んでいる。
技術的な面でも、作品の完成度は高い。映像、音響、編集が一体となって、ウォルトの内面世界や、デトロイトの荒廃した街並みを巧みに表現している。特に、ウォルトが愛着を持つグラン・トリノが、彼自身の誇りや過去の象徴として描かれるあたりは秀逸だ。この車が物語全体において重要なモチーフとして機能し、彼の変化を象徴する役割を担っている。
クリント・イーストウッド監督の演出は、抑制が効きながらも、登場人物の感情や人間関係の機微を丁寧に描き出している。過度な説明を排し、観客に解釈の余地を与えることで、より深い思索を促す。特に、ウォルトの孤独や苦悩を表現する際の、その表情や仕草を捉えるショットは秀逸であり、彼の内面の葛藤を雄弁に物語る。
また、イーストウッド監督は、社会的なメッセージを押し付けることなく、物語を通して自然な形で提示する手腕に長けている。人種間の和解や暴力の連鎖の終焉といった重いテーマを扱いながらも、作品全体にはユーモアや人間味があふれており、観客を飽きさせない。ウォルトとタオの間の、ぶっきらぼうながらも愛情に満ちた交流は、まさにその典型と言えるだろう。スーが受けた理不尽な暴力が、ウォルトという老人の心に火をつけ、彼が長年背負ってきた「暴力」というテーマと向き合わせる演出は、非常に力強い。
そして、特筆すべきは、イーストウッド監督自身が主演を務めることで、監督の意図がよりダイレクトに作品に反映されている点である。ウォルトというキャラクターは、イーストウッドが長年演じてきた「孤独なアウトサイダー」の集大成とも言える存在であり、監督自身の人生経験や思想が色濃く投影されている。
クリント・イーストウッド演じるウォルト・コワルスキーは、まさに彼の俳優としてのキャリアの集大成とも言える存在である。偏屈で頑固、人種差別的な言動を繰り返す一方で、内に秘めた優しさや正義感を持ち合わせる複雑な老人像を見事に表現。その視線、表情、そして一挙手一投足から、長年の人生で培われたであろう孤独感、後悔、そして諦念が滲み出る。特に、モン族の家族との交流を通じて、彼の心が少しずつ解き放たれていく過程は圧巻。当初の露骨な排斥ぶりから、タオやスーに対して徐々に人間的な情を見せる変化は、セリフに頼らずとも表情や仕草で雄弁に語られる。彼の持つ、暴力と隣り合わせの過去の影と、新たな関係性の中で芽生える人間的な温かさのコントラストは、観客の心に深く刻まれる。そして、スーがギャングに襲われたことを知った際の、彼の内側から沸き起こる怒りと苦悩の表現は、観客に強烈な衝撃を与える。 ラストにおける彼の決断と、その表情に現れる覚悟は、まさに俳優としての彼の真骨頂であり、観る者に深い感動を与える。
ビー・ヴァン演じるタオ・ローは、物語の鍵を握る重要なキャラクターだ。当初は内気で臆病な少年として描かれるが、ウォルトとの交流を通じて、次第に自立心と自信を深めていく過程を繊細に演じている。ウォルトの威圧的な態度に怯えながらも、彼に寄り添おうとする純粋さ、そして暴力の連鎖から逃れようとする強い意志が、彼の表情や言葉の端々から感じられる。特に、ウォルトから男としての生き方を教わり、成長していく姿は、観客に希望を感じさせる。彼の葛藤と成長が、ウォルトの変化と並行して描かれることで、物語に奥行きを与えている。
アーニー・ハー演じるスー・ローは、物語において多層的な役割を担う存在だ。モン族の若き世代を代表し、伝統とアメリカ社会の狭間で生きる人々の知性と適応力を体現。聡明で活動的な彼女の姿は、ウォルト・コワルスキーの偏見に揺さぶりをかける。当初、ウォルトの人種差別的言動に困惑しながらも、スーは彼の内なる温かさや正義感を見抜き、徐々に敬意と友情を育んでいく。特に、ウォルトがモン族の祝宴に参加し、文化交流を通じて絆を深める場面では、彼女の知的な落ち着きとウォルトへの感謝が繊細に伝わる。
そして、物語の決定的な転換点となるのが、スーがギャングによって暴行を受けるという痛ましい出来事だ。このシーンにおけるアーニー・ハーの演技は、肉体的・精神的な苦痛を伴う深い絶望と、それでも失われない人間の尊厳を、痛々しいほどにリアルに表現。彼女のこの悲劇は、ウォルトの心に深い憤りと、長年封印してきた暴力への衝動を呼び覚ます。同時に、ウォルトが暴力の連鎖を断ち切る究極の自己犠牲という決断を下す、最も強力な動機となる。 スーの役柄は、単なる被害者ではなく、ウォルトの行動原理を決定づける触媒として、物語全体に重くのしかかり、作品のテーマである「赦し」と「尊厳」を深く掘り下げる。
ニック・シェンクとデイヴ・ヨハンソンによる脚本は、緻密に構成され、練り上げられている。ウォルト・コワルスキーという一人の老人の内面的な変化を軸に、人種問題、世代間ギャップ、そして赦しと自己犠牲という普遍的なテーマを見事に織り交ぜている。
物語は、ウォルトの妻の葬儀から始まり、彼の孤独と偏見が提示される。隣に越してきたモン族の家族への嫌悪感、そして彼らが抱えるギャング問題への介入を余儀なくされることで、ウォルトの日常が大きく揺れ動く。当初は一方的にタオを庇護する立場であったウォルトが、次第にタオやスーから人間的な温かさや文化的な価値観を学び、彼らとの間に確かな絆を築いていく過程は、非常に丁寧に描かれている。
特に秀逸なのは、ウォルトが抱えるPTSD(心的外傷後ストレス障害)と、朝鮮戦争での経験が、彼の偏見や孤独の根源として描かれている点である。彼が長年抱えてきた「人殺し」としての罪悪感と、それを乗り越えようとする最後の戦いが、物語のクライマックスで結実する。この「最後の戦い」へとウォルトを突き動かす決定的な引き金が、スーが受けた暴行という非道な出来事である。 スーの尊厳が踏みにじられたことは、ウォルトにとって自己の「正義」と「守るべきもの」を再認識させるきっかけとなり、彼が暴力の連鎖を断ち切るために、自らの命を犠牲にする選択を促す。このウォルトの選択は、単なる自己犠牲ではなく、彼自身の魂の救済であり、深い感動を呼ぶ。
また、脚本は決して説教くさくなく、過度な感情移入を促すこともない。登場人物たちの行動や心情を丹念に描写することで、観客自身が彼らの葛藤や変化を追体験できる構成となっている。ユーモアを交えながらも、社会の暗部を鋭く突くセリフ回しは、登場人物たちの人間性をより際立たせている。
そして、物語全体を貫く「グラン・トリノ」という車の存在が、象徴的な役割を果たしている。ウォルトの誇り、過去、そして彼が守りたい未来の象徴として、その存在は物語に重層的な意味を与えている。最終的に、グラン・トリノがタオに託されるという結末は、ウォルトの精神が次世代へと受け継がれていくことを示唆しており、希望に満ちた幕切れとなっている。
映像は、デトロイトの荒廃した街並みと、ウォルトの自宅という限定された空間を巧みに使い分け、物語の舞台設定を効果的に表現している。特に、ウォルトの自宅の庭やガレージが、彼の内面世界を映し出すかのように、細部まで丁寧に作り込まれている。グラン・トリノの美しさ、そしてその存在感が、ウォルトのキャラクター性を際立たせる視覚的な要素として機能している。
美術は、アメリカ社会の多様性と、それぞれのコミュニティが持つ特徴を繊細に表現。ウォルトの自宅の古びた内装や、モン族の家々に見られる民族的な装飾品など、それぞれの生活様式を物語る小道具が、リアリティを高めている。衣装も、登場人物の性格や社会的背景を反映しており、ウォルトの質素な服装、タオのストリートカジュアル、スーの控えめながらも知的な装いなど、細部にまでこだわりが見られる。
ジョエル・コックスによる編集は、物語のテンポを効果的に制御し、観客の感情の起伏を巧みに誘導している。ウォルトの偏屈な日常から、タオとの交流が深まるにつれて物語が加速していく様は、編集のリズムによって見事に表現されている。特に、スーの暴行後、ウォルトの決意が固まる場面の緊迫感と、そこからのクライマックスへの展開は、編集の巧みさが際立つ。 観客を物語に引き込むその手腕は秀逸である。また、余分な説明を排し、必要な情報のみを提示することで、観客に想像の余地を与える抑制された編集スタイルも、作品の完成度を高めている。
クリント・イーストウッド自身が手がけた音楽は、作品の雰囲気に深く寄り添い、登場人物たちの感情を静かに、しかし力強く表現している。派手なオーケストレーションではなく、シンプルなピアノやストリングスを主体とした楽曲は、ウォルトの内面世界を反映するかのように、どこか物悲しく、しかし温かさを感じさせる。
音響デザインもまた、作品のリアリティを高める重要な要素である。ウォルトの愛犬の吠え声、銃声の響き、そしてグラン・トリノのエンジン音など、日常的な音の配置が巧みであり、物語の世界観に没入させる効果を生んでいる。
主題歌「グラン・トリノ」は、イーストウッドとジェイミー・カラム、カイル・イーストウッドが共作した楽曲であり、作品のテーマを凝縮した歌詞とメロディが、深い感動を呼ぶ。ウォルトの人生と、彼が最後に掴み取った尊厳と平和を歌い上げるこの曲は、映画の余韻をさらに深める役割を担っている。
作品 Gran Torino
監督 (作品の完成度) クリント・イーストウッド 123×0.715 87.9
①脚本、脚色 ニック・シェンク A9×7
②主演 クリント・イーストウッドA9×3
③助演 ビー・バン A9×1
④撮影、視覚効果 トム・スターン B8×1
⑤ 美術、衣装デザイン ジェームズ・J・ムラカミ B8×1
⑥編集
⑦作曲、歌曲 音楽
カイル・イーストウッド
マイケル・スティーブンス
主題歌
ジェイミー・カラム B8×1
これぞ男。
自分の命を犠牲にして、タオとスーの生活を守った。
人を殺す苦しみなどタオには分からなくて良い。
タオをトロ助と呼んでいたが、彼の成長に人生の喜びを感じ
ていた。報復の最後はどちらかの死。だが勝ったのは、
ウォルトだろう。一生忘れる事ができない殺す苦しみを
チンピラに与えた。
最後は心の綺麗なタオを信じてグラン・トリノを授けた。
形見のグラン・トリノがある限り、ウォルトに教えてもらっ
た事は彼の中で生き続けるのだろう。
私の好きな映画ベスト3に入る映画だ。
西部劇
良い作品でした。
家族とは?
移民が根を張り、一歩踏み外すとスラム化する恐ろしさを感じた
銃がないと、生き残ることも普通に生活することさえも危うい悲しい世界だ
移民を受け入れたために壊れ始めたドイツ
2025.5
日本が「明日は我が身」となりつつある今だからこそ強く強く感じる
『大草原の小さな家』の頃のアメリカは良かったが、この映画を観ればアメリカの家族崩壊が日本を遥かにしのいでいることが分かる
日本は更に先祖を捨てる方向に進んでいるのが歯がゆくて仕方ない
自分の頑固さ等が招いた結果だとは言え、あんな息子達にウォルトが呆れるのも仕方ない気もする
それは、隣家の’民族’としての強い繋がりが対比されてより鮮やかに浮かび上がる
生と死の意味………
戦火を生き抜いた、つまり地獄を味わった人が到達した人生観に神父もひれ伏する
そんな映画だ
何度も登場する「懺悔」という言葉は、クリスチャンではないためどうしても違和感を感じるのだが、なかなかのキーワードではある
結果としては、「懺悔」できて良かったのたが
吐血からは老い先短いことも連想され、だからこそ消えゆく命を最大限に輝かせようとした命がけの正義の闘いに拍手喝采‼️
敢えて銃を使わずに勝利したラストシーンは気高くそびえ立つ
ただ、だけれどもウォルトによって1つのギャングが消えたとしても、既に対立するギャングが近くに存在しているあの世界に希望の光がさすとは思えない
クリント・イーストウッド、さすがの演技だ
真の友情を得たので
観た直後、余韻というのかな、じわーっと来ますね。
長く人生を共にした妻を見送る葬儀のシーンから始まる。
ウォルト•コワルスキー。(クリント•イーストウッド)
長くフォード社で働いて来た。
財産と言えば、手入れの行き届いた自宅と、
わが子のように愛し磨いて来た愛車グラン•トリノ。
二人の息子とその家族がいるが、
それぞれから煙たがられる存在。
でも、イーストウッドお祖父ちゃんと
息子たちの顔が似ても似つかない。
イーストウッドお祖父ちゃんは、
若い頃の超イケメンが元なので渋カッコいい❗️
高身長だし背筋伸びて。
息子たち?ブテッとした容姿で
お顔も父さんを大事にしようという表情じゃない。
嫁、根性悪さが出ている。
孫娘、祖母ちゃんの葬式に来る格好か⁉️
距離置きたくなる気持ちわかるなぁ。
ま、イーストウッドお祖父ちゃんも、
息子や孫に、ズケズケ嫌味たっぷりいうからなぁ。
血🩸は繋がっているが、心❤️はどうなんだろう❓
若い神父登場。
キューピー、いや、老けた天使みたいな神父。
この神父に失礼な言動、言い放題。
トヨタのランドクルーザーに乗り早々に帰る息子家族。
隣に越して来たのは、マン族という中華系家族。
イエロー❗️ と言うコワルスキーじいちゃん。
お祖母ちゃんと言葉通じないまま睨み合う。
この家のタオという息子の従兄弟、ガラ悪すぎ😱
揃いも揃ってダサ過ぎな奴ら。
コワルスキーがアジア人の印象を
コレだと思っていたら、 嫌うのわかるなあ。
いや、しかし、コワルスキーじいちゃん、
人種差別発言ばかり。
朝鮮戦争従軍経験のあるコワルスキーじいちゃんは、
“死”に対して一生忘れられない思いを持つと、
若い神父に打ち明ける。
タオが従兄弟の仲間に唆されて、
グラン•トリノを盗みに来るが失敗、
コワルスキーじいちゃんに見つかった。
息子がたまに電話して来たから何事かもと思えば、
NFLのチケットを融通して欲しいだと。ガチャッ☎️
タオを脅しに来る不良たち。
コワルスキーじいちゃんが気づいて
朝鮮戦争時のことを持ち出し
アジア人をやっつけた話をし追い返す。
翌朝、タオの家族親族が御礼を持ってやって来る。
謝るタオに、
“今度庭に入ったら命は無いからな。”
と言うコワルスキーじいちゃん。😱
若神父が、赦しを請わないかと諭しに来た。
先に不良を警察に通報すべきだとも。
アホなイタ公の床屋。
タオのねーちゃんスーが、黒人に絡まれる。
相手にしなければいいのに。
じいちゃんに助けて貰う。
しつこい黒人不良にとうとう銃を出し追い払う。
東洋人は利口な筈だ、と言うじいちゃん。 えっ⁉️
タオの様子を見て親切ないい子だと言う。
コワルスキーじいちゃんの心象に変化❓
老人ホームを勧めに来る息子夫婦。 😩
となりの家に食事に招待され、美味しいと食べつつ、
祈祷師の言葉に呆然とするコワルスキーじいちゃん。
そして親近感を持つ。
ユアという女の子と話す。
翌日も御礼を持って来る人たち。
いらない、いらない、と言いつつ、
あっ、美味しかったヤツだな。😊 とじいちゃん。
タオが償いに働きたいとやって来る。
毎日働く内容を聞いて働くタオ。
粗大ゴミを片付けたり、修理したり、
ペンキ塗りしたりよく働くタオ。
近所からスズメバチの駆除も頼まれるように。
血🩸を吐くじいちゃん。
診断結果を聞き息子に電話するが、
忙しそうで相手にしてもらえない。 😔
不良たちが通ると、ガン撃つ真似するじいちゃん。 🤩
工具財閥のじいちゃん。
タオに基本の三種貸してくれた。
不良たちがじいちゃんのグラン•トリノを狙っているとか。
タオに吐血を見られ、病院に行かない、とと言われる。
タオに変な教え?
強い男になる為に理髪師のオヤジとご指導。調教❓
無事🈴?
タオに建設現場の仕事を紹介してくれるじいちゃん。
工具入れなども一緒に探してくれる。親切。
だけど、仕事に精出すタオを不良たちがまた狙う。
タバコ🚬の火まで押し付けられたタオ。😖
知ったじいちゃん、不良に仕返し。😡
タオに、グラン•トリノを貸すというじいちゃん。
タオの家やじいちゃんの家が銃撃される。
スーが帰らない。
そしてポロポロになったスーが。😭
復讐するといきり立つタオに平静になれ、と言い、
綿密な計画が必要だ、とも言い、
自分は、
芝を刈り、風呂に入り、散髪しに行き、
初めてスーツを仕立て、神父に初めて懺悔し、
やって来たタオを閉じ込める。
タオにはさせられない❗️
人を殺した気持ちをタオに味わせたくない。❗️
今夜は一人で行く、と。
🐶もばーさんに預ける。
スーにタオの居場所と鍵のありかを言い‥‥。
警察を呼んだ神父。
従兄弟スモーキーの家に行くコワルスキーじいちゃん。
挑発し、やったことをきちんと非難し、
懐からライターを出す、と言い、
手を入れた途端に、
銃で滅多撃ちされてしまう。 😨
丸腰のにじいちゃんを撃ち殺したヤツら。
長期刑になる、と。 警察官の言葉。
お葬式、神父の話。
タオに、グラン•トリノを譲るじいちゃんの気持ち。
血🩸よりも、人種関係なく、年も関係なく、
心が通じ合った人に、
自分ができることをしたいと考えたじいちゃん、
人の死をたくさん見て来て後悔ばかりなので、
タオには経験させたくない親心❤️
人間の孤独、安寧、尊厳とは
日本公開2009年
数あるクリント・イーストウッド監督作の中でも、胸打つ名作だろう。
ミリオンダラーベイビー、ミスティックリバー、許されざる者、等々でアカデミー受賞歴もあり、父親たちの星条旗、硫黄島からの手紙、などの監督作も数知れず。俳優としても壮大なキャリアをもち、今作制作時は御歳78歳。
その後も制作、出演も続けて現在94歳。デヴィッド・リンチが先日鬼籍に入って、個人的に好きな監督や俳優が逝去する中。昨年、事実上の引退作とも言われている 非常に評価の高い 陪審員2番を制作。UーNEXT配信のみ、という個人的には非常にショックなこともある。ぜひ映画館公開してもらいたいが…。
今作。彼が監督としても最も脂が乗り切っていた頃の作品。この作品は現在アメリカに続く地平の物語でもある。
よく言われる人種のるつぼアメリカ、そもそもが移民国家のアメリカが背景にある。
クリント演じる朝鮮戦争に従軍、頑固にして差別用語連発のウォルト。隣に越してきたモン族の家族、一族との交流を通し、尊厳ある人としての生き方とは、というひとつの形がラストで感銘を呼び起こす名作。
モン族の少年が、チンピラ仲間と共に、クリント演じるウォルトが大切に保管しているフォードの名車、グラン・トリノの盗みに強引に引きこまれ、失敗。そこから少年タオ、姉のスー、一族との不思議な交流が始まる。その模様はユーモアも交え、なかなか面白い。
ウォルトとタオが擬似親子のような関係になるその過程が、丁寧に描かれる。
ウォルトの生き方はある種の虚構を帯びているのだが、
彼は信念を持ち、血縁家族との関係性は悪く、隣りのモン族の人々との関係性の方が良くなってくるのだ。
ウォルト自身も息子家族、孫たちより、どうしてこのアジア系民族の彼らといる方が良いのだ?と自問する場面もある。
タオに仕事の口を紹介し、順調に進むかと思われた生活も
暴力により暗雲が立ち込める。
モン族のタオ、スーたちの未来にギャングたちがいれば、彼らに幸福は訪れない、と苦悩するウォルトは最期の決断をする…。
監督主演イーストウッド。脚本原案ニック・シェンク
改めてアメリカは移民国家だ。白人、ヒスパニック系、黒人、アジアの人々…モン族の歴史もこの映画で初めて知り得た。
そして銃社会…。
西部劇、ダーティーハリーでならした彼は、銃社会の中
銃で暴力に立ち向かうのか…。
ラストは言葉を超越するシーン…
タオが、ウォルトから譲られたグラントリノで湖畔をドライブするエンドクレジット。
私にはこの映画はクリントイーストウッドの、遺言状にも思えた。
ウォルトの愛犬がなんとも表情豊かで、演技賞あげたいぐらい。
大衆ウケドラマ
不器用な男の生き様
ウォルト・コワルスキー
の前半のYellowに対する偏見は、案外監督自身の偏見に近いものだったのかもしれません。
それでも、知り合うことによって、人は理解し合える。私はそう受け取りました。
傑作。
グラン・トリノの走り去った姿が心に残る。
<追記>
ふと、クリント・イーストウッドの「危うさ」も感じてしまった。
死にかけのおじいさんが最後に気のいいニートの若者を一人前の男にして...
凄惨な戦争時代の話も言葉のみでマイルドテイスト
クリント・イーストウッドが主演・監督するヒューマンドラマ映画。元...
クリント・イーストウッドが主演・監督するヒューマンドラマ映画。元軍人で心を閉ざした頑固な老人が、アジア系移民・モン族と接触することで最後の行動を選択する。
喀血シーンが繰り返されていることから、主人公は進行肺癌に罹患し余命が短いことが示唆される。どうせ散る命なら意味のあるものに、また生きてるうちに朝鮮戦争の贖罪も・・・なのだろう。この死期間近という設定があることで「最後の行動」がより意味深いものになっているように思う。
魅力的なストーリーを優先するのではなく、主人公のこまやかな心情を丁寧に描き出す事に注力されている。またその心情描出はセリフではなく映像で表現されていて、小説ではないが文学臭を感じる。
単なる娯楽映画と一線を画した余韻を残す「文学的映画」と言える。
なお「グラン・トリノ」とは1968年~1976年にかけて販売されたフォード・トリノのうち、第3世代(1972~1976年)を指す。この映画を契機に1972年製グラン・トリノは注目を集めるようになったとのこと。
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