劇場公開日 2008年10月4日

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「真実とは?・・・考えさせられる秀作だ。」宮廷画家ゴヤは見た jack0001さんの映画レビュー(感想・評価)

4.5真実とは?・・・考えさせられる秀作だ。

2008年10月14日

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異端審問:Inquisitioという、キリスト教の歴史において最も恥部とも思えるシステムがあった。
ユダヤ教やアラブの宗教に殉じる人々、あるいは単なる誤解によってそう決めつけられた人々を異端と称し、連行し拷問により強制的に自白させ、やがて火刑などを執行する。
その異端審問を行う施設は異端審問所と呼ばれ、非人道的な行為が日常的になされていたという。
異端審問には、中世初期のもの、スペイン異端審問、ローマの異端審問の三つに大別され、各々異なった時代背景と特徴があった。
中でもスペインでは、キリスト教に改宗したイスラム教徒やユダヤ教徒に対しても、カトリックの国内統一と安定を目的とする恐怖政治そのものを遂行したという。
18世紀末スペインの宮廷にて、ゴヤという天才画家が筆をふるっていた。
彼は国王カルロス4世や王妃、その周辺の貴族の依頼による宮廷作品に従事する傍ら、巷の貧しい人々を描き、権力や不正に対して辛辣な内容の作品も残し続けた。

「宮廷画家ゴヤは見た」はその文字通り、当時の風刺や非人道的な異端審問の事実を伝えるメッセージと、その時代に翻弄されていく一組の男女が織りなす物語だ。
画家フランシスコ・デ・ゴヤの伝記や自叙伝ではなく、あくまでも一人のクリエイターらしい目で追う時代の正負そのままだ。
芸術作品を堪能する目的というよりも、中世ヨーロッパ動乱の歴史と暗部を理解するべく鑑賞された方が納得いくことだろう。

不条理さ、運命の果敢なさ、あらゆる事象のめまぐるしさ、別離・・・etc.いつの時代でもどの国でも有り得る物語として。

監督は巨匠ミロス・フォアマン:Miloš Forman、かつては「カッコーの巣の上で」や「アマデウス」でオスカーを受賞した人だ。
切り口の鋭さや描写を崩すことなく現代に反映させる、その説得力では定評のある人だ。
「アマデウス」でも垣間見せた重厚さと思惑が折り重なるストーリーを、18世紀スペインという設定で描く。
とは言うものの、彼にとっての時代背景などどうでもよいことであり、常に現代をテーマとして置く人なのだと思う。
200年以上も前の出来事、そんなことは重々承知。
大切なのは、同様なことが世界の片隅で今でも繰り返されている、それを切に訴えるということ。
ちなみに彼はユダヤ系の血筋、両親はともにアウシュビッツで亡くなったという悲しい過去を持つ。
「過去を題材にして、今を伝える」という意義を知る立派な映画人だと思う。

俳優陣の活躍ぶりにも注目していただきたい。
異端審問の犠牲となり不運な運勢を辿ってしまうイネスには、ナタリー・ポートマン:Natalie Portmanが扮する。
1994年のリュック・ベッソン監督の「レオン」にてスクリーン・デヴュした女の子も、今やハリウッドでは引っ張りだこな女優だ。
別解釈になるが、彼女の演技から得たものは、改めて自分自身の成長の未熟さと後悔かもしれない。
彼女のように、常に進歩をする姿勢は是非見習いたいものだ。
そしてもう一人、この物語の主軸を担った存在はロレンソ神父役のバビエル・バルデム:Javier Bardem、生粋なスペイン人俳優だ。
教会の権威復興の為に一役買った男が、様々な歴史的事件の中で多くを獲得しそして喪失する。
非常に難しく重厚な役回りを淡々とやりこなしてしまう演技力、久しぶりな演技派を発見した気分だった。
「ノー・カントリー」で見せた非道な殺し屋同様に、彼の存在感のある演技は映画界の未来そのものだろう。

ミロス・フォアマンがゴヤを選んだ理由は個人的憶測でこういうことなのだと思う。
ゴヤの作品には、そもそも二面性がある。
宮廷の華やかさとリアリティを描く画家そのものとしての目と、版画などをタブロイド化して世間に暴く風刺家らしい目利きの確かさだ。
彼の履歴上、前半後半とではその作風も相当な落差があったようだ。
「カルロス4世の家族」「マドリード、1808年5月3日」「巨人」・・・etc.各々の作品にて表現する世界観は全く異なったもの。
しかし一貫していることは、どこかで必ず暗黒な部分が強調されているという点だ。
そこを観て見ぬ振りをするか一点凝視するかで、社会への視点やアプローチさえも変わってくる・・・それは今も昔も関係のないこと、それを多くの人々に気づかせたいのだ。

時代や国柄ではない、ましてや人や文化の違いもない。
人が人として為すべき倫理を凝視するならば、答えは決まっている。

ただ知って欲しいのだ。
真実は一つだということを!

jack0001