引き出しの中のラブレターのレビュー・感想・評価
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ラスト近くでわかるのだが、キャストが多いことには 理由があった。 ラストシーンは泣ける。 仲代達矢、八千草薫、吹越満などベテランの演技のおかげで いい作品になってると思う。
動画配信で映画「引き出しの中のラブレター」を見た。
劇場公開日 2009年10月10日
2009年製作/119分/日本
配給:松竹
常盤貴子はラジオDJ、
高校生(林遣都)が番組にくれた便りで
彼の父親(豊原功補)と彼の祖父(仲代達矢)の確執を知る。
常盤貴子は自分自身の亡き父(六平直政)との葛藤があり他人事とは思えなかった。
映画を見る前にキャストだけ見ていたのだが、
やけに出演者が多いなと思っていた。
ラスト近くでわかるのだが、キャストが多いことには
理由があった。
ラストシーンは泣ける。
仲代達矢、八千草薫、吹越満などベテランの演技のおかげで
いい作品になってると思う。
常盤貴子37才
吹越満44才
八千草薫78才
仲代達矢77才
満足度は5点満点で4点☆☆☆☆です。
人に歴史あり
ラジオのパーソナリティを務める真生は、4年前に喧嘩して絶縁した父親...
常盤貴子入籍
常盤貴子入籍というニュースを聞いたおかげで、スルーするつもりだった作品だったのに慌てて映画館へ行きました。伝えきれなかった想いをラジオDJが読み上げることによって人と人が繋がるという、温かい作品でした。今年もっとも泣けた映画かも・・・泣き顔を見られたくないので煙が目にしみたように見せるためにそそくさと喫煙室へ・・・
ラジオ・パーソナリティの久保田真生(常盤貴子)を中心とした群像劇スタイルになっていて、意外な仕掛けもあったりするので物語の構成もなかなかの出来栄えです。そこで圧倒的な存在感を示すのが笑わないお祖父ちゃん・仲代達矢。現在、能登演劇堂において若村真由美と無名塾による『マクベス』が公演されてます(観たいけど、チケットはとっくの昔に完売)。
オセロの中島知子もよかったのですが、タクシー運転手として最も注目してしまったのがタクシードライバー役のフットボールアワー岩尾望でした。「また苦情がきてるぞ」「道を覚えろ!」と上司に怒られ、道を間違えてお客さんにペコペコ。「道を知らないならカーナビを使えるようになれ!」。リアルです・・・中島知子が手を挙げた瞬間などは車を停めたくなる衝動に・・・ちなみに私の車にはカーナビがついていません。
親子、夫婦といった家族間の確執がメインのストーリーだったため、わざとらしい恋愛ドラマよりも共感できたような気もします。台詞の中では「元気ですごしていればいい」「親は子の言うことを聞くようになる」といった言葉もいいけど、片岡鶴太郎の「毎日一緒に飯食っていれば・・・」なんてのにはグサリときました。
タイトルにある“ラブレター”という言葉にいい意味で騙されたですが、英語では本来家族間や友人間でも“アイ・ラブ・ユー”を連発するので、なにかと気持ちを伝えるのが下手な日本人にとってはカンフル剤となり得るのかもしれません。もっともケータイメールが流行っているので現代っ子には当てはまらないのでしょうけど。
タイトルなし(ネタバレ)
久々に泣いた。
自分の父親と上手く付き合っていけなかったDJ。
そのDJが伝えきれなかった思いをラジオで募集する。
とっても気になるのは返信の手紙。
それが読まれなくてもだいたい想像はできるし、さらに涙するのは必至だけど、それでも気になる。
じいちゃんが書こうと思ったその辺りをもう少し見たかったな。
でも、やさしい気分になった。今日は父親の誕生日だ・・・。
20151107 思いっきり泣かされました…
ラジオパーソナリティーの真生を中心に、いろいろな人の、伝えたくても伝えられなかった想いが届く、そんなハートフル・ストーリーです。もうとにかく泣きまくりました(涙) 心に引っかかった気持ちがあると、言いたくても言えないよね、と。ここの人がこんな風につながるのね、という発見もあり、個人的にはお気に入り映画の一つになりました。
恋人宛の手紙だけが、ラブレターじゃないんだよ
映画「引き出しの中のラブレター」(三城真一監督)から。
ストーリーは複雑じゃないけれど、なぜか心が動かされた。
手紙のメッセージ力、いやラジオを通した「言葉の力」を再確認した、
そう表現する方が正しいのかもしれない。
タイトルだけで想像すると「ラブレター」の言葉が一人歩きし、
恋愛作品と勘違いされてしまいがちだが、誰かに伝えられないでいる
自分の想いを文字にする時、それを「ラブレター」と呼ぶのだろう。
それを確かめようとメモをしていたら、タイミング良く、
伊東四朗さん演じる、ラジオ会社社長の台詞にぶつかった。
「恋人宛の手紙だけが、ラブレターじゃないんだよ」
そして、その想いをラジオという媒体を通して、
主演の常磐貴子さんが、優しい声でリスナーに語りかける。
「心の引き出しにしまってしまった想いは、そのままでは届きません。
たとえ大切な人が遠く離れていたとしても、ちょっとだけ勇気を出して、
一歩を踏み出してみてください。想いはきっと相手に届くはずです」
「ラブレター」を「恋文」と訳すから、相手が異性になってしまうが、
「大切な人へのメッセージ」と訳せば、誰にでも書ける。
これからも「手紙」をテーマにした作品、観続けていこうっと。
P.S.
巷を騒がせた「中島知子」さんが出演していたが、いい味を出していた。
この作品の根底に流れるメッセージを、彼女はどう受け止めたのだろう。
言葉にできない。
この作品の、とくに前半における居心地の悪さは、
タイトルがある意味、代弁してくれている。
引き出しの中(つまり長い間そのまま)のラブレター。
出すなら出す。また、読むなら早く読めばいいのに!
いつまでも決心がつかない。まさにその感覚なのだ。
でもふと考えてみると、人間ってそんなもんかもな。
と思えてくるから不思議だ。
中盤以降、話にグッと深みが増し始めるのは、
誰もが思うようにスラスラと気持ちを語れはしない。
そんな不器用な生き方もいいんじゃないか。と
(この感覚は人それぞれ)認められるようになるからだ。
…ここで描かれる父と娘の関係。
これがまた我が家の状態とピタリとはまって参った^^;
父はまだ健在だ。(爆)たまに会話も、あるにはある。
だが、小さい頃からほとんど口を利いたことがない。
思うに父は、愛情を示すのがものすごく下手な人で、
子供の扱いも上手くない(爆)なのでなつか(け)ない。。
うんと褒めてもらったことも、頭をなでられたことすら
ほとんどないのに、叱り飛ばす時だけは威勢がいい。
今作に出てきた父親同様、心ない言葉を娘に浴びせ、
こちらの心軸を見事に折り曲げてくれるわけだ…(T_T)
どうして私と父は、他の家庭みたいになれないのかと
父娘仲の良い友人を見て、いつも羨ましかったものだ。
人間には相性があるが、それは親子でも存在する。
決して人間的に悪いわけではないが、合わないヒト。
誰よりも大切に想っているのに、素直に言えないヒト。
そういう不器用な人間達が右往左往している世の中
だから、こういう企画があってもいいのかもしれない。
先日の海賊ラジオとは違う感性で(いやまったく^^;)
人々の心を代弁しているのがラジオ・パーソナリティ。
自分の好きなDJの声を聞くだけで、よく元気になれた。
群像劇のような今作の内容は確かにややベタ気味で、
彼らの演技も演出もなんだか学芸会みたいに見える。
でも、もしもこのヒトから、この一言が聞けたなら…と
期待してしまう人間の愚かさこそが人情だと思いたい。
素直になれない自分にとっては、まさにバイブルのよう。
こうしてグダグダと感想(ともいえないが)らしき文章で
映画に対する想いを打ち明けている私も、同様なのだ。
(大切な人が元気なうちに引き出しから出しておこうね)
予想外の良さ
後味が良い♪
ラジオの良さを見直しました
これだけ見るなら、ラストのネタバレシーンで大感激されることでしょうけど、『60歳のラブレター』と比べると演出上の見劣りがします。
これだけ見るなら、ラストのネタバレシーンで大感激されることでしょう。隠れた名作と思えるかも知れません。
でも、似たような作品を見続けたものとして、比べてみると不満が出ます。
まず「ラブレター」という点では、半年前に公開された同じ松竹作品の『60歳のラブレター』とまず比べたくなります。
『60歳のラブレター』は3組のカップルのエピソードが関連しながらも、エピソードが同時進行する点で、とても本作によく似た構図になっています。しかし、『60歳のラブレター』のほうが、カットごとに必ず笑いや泣き所を盛り込んで、画面に観客を引き付けていたのに比べて、本作の中盤は、いささか退屈な展開。
カット割りのテンポが速く、ワンカットのシーンを充分決めずに、次々場面展開するのが辛かったからです。筋について行けないほどではありません。
それは、主人公であるJWAVEのDJ真生(まい)が何度もわざわざ函館のリスナーにまで直接足を運んで、一家の家庭事情に首を突っ込みこと。その一家の祖父が息子宛にリクエストの手紙を書くかどうかが、JWAVEの日曜特番を左右するほどのネタに祭り上げてしまう設定にシラけたからです。
そんなにそのおじいちゃんを笑わせることが物語に展開にとって重要なのでしょうか。
いくら真生が父親のトラウマを抱えているとはいえ、1枚のハガキからそこまで展開してしまうのは、オーバーというものでしょう。同様なハガキが来たら、いちいち反応するものでしょうか。
だから、『引き出しのなかのラブレター』がJWAVEの特番に決まる過程も、大げさすぎだと感じたのです。こんなの番組のなかの1コーナーで充分です。
だから冒頭から、『引き出しのなかのラブレター』をオンエアーさせて、リクエストののハガキを読み上げるなかで、リクエストした人たちの物語を展開すべきでした。
顔が見えないラジオ放送には、その分こころがよく伝わるところがあります。同じ函館が舞台の映画『LittleDJ~小さな恋の物語』では、主人公の少年DJが語る言葉とオールディズの音楽が感動を紡いでいました。
だから本作でもDJシーンを活用すべきだったでしょう。終盤のシーンが感動的だったのは、函館のおじいちゃんの思い出のJAZZの名曲『煙が目にしみる』が、登場人物達の心の中の思いによく合っていたから。もっとこの曲に絡む登場人物のエピソードが伏線としてあってもいいのではなかったかと思えました。
但し、真生のDJの仕事にずっと反対して、疎遠になっていた父親からの手紙を開くときのタイミングはよかったと思います。
生きているうちにもっと話したかったと思う。忙しさにまぎれて父親からの手紙(遺言)があったのに、机の中に入れたまま読まない。それを読む時がもう一つのクライマックスになっています。
誰しも、引き出しの中に大事なメッセージを入れていることでしょう。言いたいことを手紙に書き、ポストに入れられず引き出しに入れたままという場合も。
そんな人に伝えることの必要性と、勇気を与えてくれるドラマです。
きっかけとなる高校生の直樹(林遣都)が「祖父(仲代達矢)と父親(豊原功補)と仲が悪く話をしないので、何とかならないか」「笑ったことがない祖父を笑わす方法はないか」と。案外、身近な人に言いたいことが言えない、こんなケースは多いものです。
自分のことも振り返り、真生は、直樹のことを心配し、ラジオで取り上げること自体は分からなくもありません。
「家族との距離が埋められない」「恋人との関係に悩む」「近くにいる人に気持ちを伝えられないでいる」などの人たちに、ラジオを通して手紙を書き、それを伝えるというのが本作のキモになっている部分です。
そういう点で、この映画はある意味でラジオのリスナーが主役とも言えるでしょう。
演じている常盤貴子も、リスナーの悩みをどう解決したらいいかを、一緒に主人公になりきって悩み考えたそうです。
自ら女優としての生き方と重ねて、前半は悩みも多いが、次第にたくましくなっていく姿。それはキャリアを積んで人間は大きくところに似ているのだと言うのです。何をしたいかが分かってくると。
真生も初めは自分の意見など何も言えなかったのが、それを発表し、言えるようになれます。そのプロセスは、女優としての私の生き方とシンクロしているそうです。映画の前半は昔の私で、後半は今の私に近いのではないかと、共鳴しながら演じたと常盤貴子は試写会のインタビューで答えていました。
但し、映画の真生も、どちらかというと自分の意見を飲み込んでしまうけれど、常磐の場合は割と思ったことは口に出して伝えるタイプのんだそうです。だから、反対に失敗したケースもある(笑)とか。
試写会では、用意した原稿を噛むなど、練習した割には、本職のDJにイマイチというところでした。
ところで、真生も恋人から海外勤務についてこないかとプロボーズされていました。その求愛に伝えるべき言葉が、ラストで明かされなかったことも残念です。
本作でも林遣都が、孫の直樹役でいい味を出していました。今月末の『が強く吹いている』では、さらに素晴らしい演技を披露しているのでご注目を!
シャイな日本人
ありふれたストーリーだけど、人間を正直に画いた映画だと思う。誰もが瞬間々の中で生きているけれど言葉では表せない、もどかしさが日本人として共感した。
自分も書いては見たが出せない手紙がある。映画とは全く逆。あまりにも大切な人だから出せなかったラブレター。
受験勉強の時、その人を忘れるためにコンパスの針で左手首に入れ墨をいれた。ラジオの深夜放送を聞きながら。入れ墨を見るたびに、その人を思い出しどうしようも無かった。
十数年ぶりのクラス会。そこには変わらぬあの人がいた。酔った勢いでラブレターの事、入れ墨の事、全て話そうかなと思ったけれど言えなかった。思い出が汚れそうな気がして。
父が死ぬ数日前、日記に家族の事を書いていた。葬儀が終わり遺品整理をしていたとき日記を見つけた。引き出しの中の『日記』だった。不器用だけど、裕福では無かったけど、父の子供として生まれたことが誇りに思えた。今でも父に手紙を書いている。頭の中の引き出しに『ラブレター』はしまっている。たぶん父には『ラブレター』は届いてしまっているのだろう。
心地いいかったるさ
ラジオというのは不思議な魅力がある。何をしてても耳を傾けることができる。テレビと違って、映像が無い分、聞こえてくる言葉に集中できる。言葉の持つ意味を理解しようという意志が働く。そんなラジオの力で、人の離れた心と心を再び繋ぐことができるのか、主人公の過去と聴取者の人間模様を絡めて気負うことなく話を進めていく。
函館の漁港を取り入れてはいるが、東京という大都会の中で暮らす人々を小さな輪の中にくくった群像劇は、人物設定といい話の展開といい、常套なのだがホロッとさせられる。思い出すのは「大停電の夜に」(2005/豊川悦司主演)だ。どちらも過去を振り切るのではなく、今の自分に未来を上乗せしていく力みのない人生を描いた佳作だ。共通する魅力は、心地いいかったるさ。
伊東四朗・・・情に流されまいと必死に任務にあたる刑事役もいいけど、好々爺もイヤミがなくていいね。
ポスターは常磐貴子が一人だけ写った初期の方がいい。夜の都会、夜のひとときというムードがある。現行のは散漫で焦点がボケてしまった。
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