「"死にたかった夫"と"死なせてあげられなかった妻"」ヴィヨンの妻 桜桃とタンポポ 松井の天井直撃ホームランさんの映画レビュー(感想・評価)
"死にたかった夫"と"死なせてあげられなかった妻"
太宰治の原作は未読です。
何度も映画の公開前に読もうとしたが、どうやら色々な太宰作品から断片的に引用しているらしいのを知り、読む時間がなかなか取れないのも在って断念しました。
従って、細かな部分に於いてかなりの勘違いをするかも知れません。
夫は絶えず「死にたい」と漏らしていた。
終盤で妻と愛人が対峙する場面が有る。
まるで勝ち誇ったかの様に、薄ら笑いを見せる愛人。
自分には一体何が欠けていたのだろうか?
そんな思いを確かめ様としたのかは計りかねるのだが、妻はパン助から口紅を売って貰い、自ら口に塗る。
眼の前には“本当は好きだった男”
口紅で化粧をした自分は、表に居る女達同様に男共に媚びを売る虚飾に満ちた人種と言って良い。
しかし、外へ出た妻は、そっと口紅を置いて我が家へと帰って行く。(実際は椿屋)
“死にたかった夫”と“死なせてあげられなかった妻”
それまでの偽りの夫婦生活をお互いに戒める様に振り返る。
この時に登場するのが、脚本家田中陽造が拘った《さくらんぼ》
おそらく太宰作品の中に出て来る重要な要素なのでしょう。残念ながら太宰作品を未読のこちらには、その本当の意味合いの詳しい部分は分からない。
しかし、ここで過去の田中陽造が関わった作品に似た様な場面が有ったのを思い出す。
鈴木清順監督作品の『陽炎座』
確かあの作品では《酸漿》が使われ、妄想とも現実とも区別のつかない、男女の妖気漂う世界が展開されていた。
『陽炎座』自体は泉鏡花の原作が有り、自由奔放なイメージに溢れるはいるが、それと比べると本作品に登場する夫は、その生涯で死にとり憑かれていた。(と思われている)原作者の太宰治の等身大に近い男。
監督は根岸吉太郎。
日活ロマンポルノ出身の人で、やはり全作品を観た訳では無いので、これも自信は今ひとつなのですが。この人の作品に登場する男女にもどこか共通する個所が有る様な気がする。
思えば、デビュー作となった『オリオンの殺意より 情事の方程式』の時から、出て来る男女のカップルにはどこか“死のイメージ”が見え隠れする時が有った。
出世作となった初めての一般作品である『遠雷』でさえ、ドライな男女が割り切って結婚し、最後になってやっと本物の夫婦として歩んで行く。その時に遠くで鳴り響く《雷鳴》には様々な解釈がなされたのを思い出す。個人的にもどことなく怖いイメージが有る。
『永遠の1/2』等は、全くの別人を似ていると言うだけで勘違いし、押し通す話だった様な気がする。(予習をせずに、当時観た不確かな記憶だけなので少し心配)
…と、根岸作品を全部検証した訳では無いのですが、この人の作品に登場する男女は、時に“擬似夫婦(恋愛)”をしている場合が多々見受けられる。
そう言った意味でも本作品のラストで、浅野忠信と松たか子演じるこの夫婦は、『遠雷』での永島敏行と石田えり同様に、真の夫婦として歩んで行く一歩だったのかも知れない。
しかし『遠雷』の時は雷鳴だったのだが、本作品のモデルとなった人物は太宰治本人に他ならず。彼のその後を考えると、本作品でのラストシーンは、見方によってどことなく男女の心中場面を映したモノクロ写真の様な風情も有り、単純なハッピーエンドとも言い難い。
出演者では、松たか子が絶賛されている様ですが、個人的には浅野忠信が良かった。シラフの時はなかなか死ねずにいて、自分の居場所を絶えず探して居るかの様にオドオドしているかと思えば。酒を飲み酔っ払った時になると、気が大きくなる典型的な駄目人間を巧みに演じている。初めてと言って良い位にこの人の演技力を素晴らしいと思った。
素晴らしいセット美術を始めとして、日本映画の面白さを堪能出来る作品です。
がしかし、お薦めするのは少し気が引けます。それは、この作品の表向きが、本当に馬鹿な夫婦の物語でしか過ぎないからなんですが…。
(2009年10月11日TOHOシネマズ西新井/スクリーン8)