ディファイアンスのレビュー・感想・評価
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復讐の為に略奪と抵抗を続けたユダヤ人パルチザンの追い詰められても生き残った記録
1941年から1944年までの現ベラルーシの当時ポーランドにおいて、ナチス・ドイツのユダヤ人狩りから深い森に逃げて生き延びた、ある男兄弟の過酷にして悲惨な抵抗の戦争秘話。それを躊躇なく描く監督が、「レジェンド・オブ・フォール」「ラスト・サムライ」のエドワード・ズウィック。この二作品で印象に残ったネイティブアメリカンや日本人の他民族への関心の高さが、この作品ではユダヤ人に熱く注がれている。第二次世界大戦後、ジェノサイド被害者として欧米映画に最も数多く扱われたであろうユダヤ人の悲劇には、まだまだ知られていない苦難の物語がある事を今さらながら痛感してしまう。それは単に独裁者ヒットラーの標的にされた不運の民族だけの再確認ではなかった。主人公のビエルスキ四兄弟は、同胞ユダヤ人を救出すると同時に、生き残るためにポーランド人の村人たちから武器や食料を略奪するゲリラ部隊としてドイツ軍と対戦する。彼らの身内を殺したドイツ兵と地元警察に復讐しなければ生き残れない。劇中の台詞には、“生き残ることが復讐だ”とあった。逃げるだけでは生き残れないユダヤ人の抜き差しならない、殺るかやられるかまで追い詰められた境遇が、あまりにも残酷で悲しい。これは観ているだけで苦しくなる、森を舞台とした殺し合いの修羅場です。興味深いのは、独ソ戦に参加する共産主義のロシア人ゲリラ部隊(赤軍パルチザン)に次男ズシュとその仲間が加わり行動を共にするところであり、またポーランド人の中には密告する者と援助する者もいて人種が入り乱れ、アメリカ映画ゆえにポーランド語が英語となり、実際のドイツ語とロシア語が加わる複雑さです。ネハマ・テクの原作を尊重するならポーランドで制作されるべき題材だが、このビエルスキ兄弟が率いる山賊パルチザンに対する本国での歴史的評価は賛否両論で現代に至る事情がある。これを知ると、ズウィック監督だからこそ映画化できた題材ではないかと思えてきます。
ゲットーから多くのユダヤ人を救出して、トゥヴィアの恩師ハレッツがユダヤ教の教えを諭し最後モーセの出エジプト記に重ねるも、神の存在に懐疑的なトゥヴィアとは軋轢が生じる。それ以外にも対立して仲間を殺めることもあり、決して一枚岩の集団ではない。兄弟でも仲違いする極限状態では当然ながら、それでも最後1200人規模の集団を引き連れたビエルスキ兄弟の統率力には、ユダヤ人が持つ特質があるのだろう。新しいキャンプ場には学校と病院、それに保育所と設けるのには、ユダヤ人のしぶとい生活力と諦めない精神力が感じられる。これらユダヤ人のサバイバル力を丹念に入れながら、映画の見所はアメリカ映画の模範的アクションシーンにある。三男アザエルがはぐれてしまう銃撃戦の張り詰めた緊迫感の演出と編集。農家の牛乳を略奪したせいで襲われ、抵抗しながら居場所を移動する放浪の旅。雪降る中ハイアとアザエルが結婚して祝杯を挙げるシーンと赤軍パルチザン下のズシュがドイツ兵を襲撃するシーンのカットバック。冬の食糧難からリルカとトゥヴィアが親密になる後半は思ったほど盛り上がらず、トゥヴィアも体力を消耗して精彩を欠く。変わった演出を見せるのは、アスピリン強奪を敢行するズシュたち仲間の銃撃戦を待機する車の中で想像して憂うトゥヴィアの場面。活躍するズシュより主人公トゥヴィアの心理に重きを置いた表現になっていた。
1942年の春のシーンが美しい。だが伝令係のドイツ兵が捕まり集団リンチに遭う場面は、善悪の判断では理解不能。復讐に憑かれた人間の醜さが露になる。見逃しその場を立ち去るトゥヴィアの孤立が印象的だ。最後の戦車が登場するクライマックスは、映画的帰結のために創作と言う。そう描いても実際の戦場の森は、平和な時代の人の想像を遥かに凌ぐに違いない。
この映画の真価は、現実に起こった虐殺と抵抗の血みどろの戦いの記録を先ずは知ることにある。映画の良し悪しを冷静に語るのは、なかなか難しい。それでも主要俳優陣のキャスティングはいいと思う。アクションシーンに偏る観方でダニエル・クレイブの演技を見がちだが、内省的な心理表現の巧い役者である。この作品の演技で更に好きになる。対立するズシュを演じたリーヴ・シュレイバーは役柄の面白さが生きて、存在感ではクレイブに負けていない。三男アザエルのジェイミー・ベルは常に安定した演技をする。クレイブとの相性もいい。驚いたのは四男アーロンを演じた16歳のジョージ・マッケイの熱演だった。「1917 命をかけた伝令」の名演の萌芽を見せて、ジェイミー・ベルの弟役を全うしている。女優陣も皆標準以上の好演で、ハイアを演じたオーストラリア出身のミア・ワシコウスカが自然な演技で好感を持つ。撮影は「真珠の耳飾りの少女」のエドゥアルド・セラ。ズウィック監督の演出もあると思うが、対象を絞り集中度の高いカメラアングルを終始貫いている。記録性に拘り、冬の雪景色以外では詩情を極力抑え、主題に合った落ち着いた色調の映像美を見せてくれる。
生き残る事こそ
トゥヴィア( ダニエル・クレイグ )、ズシュ( リーブ・シュレイバー )、アザエル( ジェイミー・ベル )、ビエルスキ三兄弟はユダヤ人狩りから逃れる為、ベラルーシの森に逃げ込む。彼ら同様ナチスの迫害から逃れてきた人々と出会うが … 。
ただ普通に生活していた人々が、追われ、惨殺される。憎しみの連鎖は悲しみしか生まない。何故人間は同じ過ちを繰り返すのだろう。
ーナチス親衛隊
ー1人捕まえると500ルーブル
ー戦争の終結時に生き残った者は1200名
ー新しいキャンプには学校と病院、保育所もあった
NHK- BSを録画にて鑑賞 (字幕)
主人公たちの負の面も描くことが、現実に迫っている
総合75点 ( ストーリー:70点|キャスト:75点|演出:80点|ビジュアル:75点|音楽:70点 )
ユダヤ人の迫害という政治的・歴史的な主題をもった話というよりも、森の中に逃げ延びて生きることを試みた人々の人間劇。もちろん不条理に迫害されたユダヤ人のことも生き延びた人々の悲しみと怒りも描いているし、それはそれで大きな意味を持っている。
だがそれよりも、森に逃れた人々はどうやって生活をしていたのか、その生活はどのようなものだったのかの描き方により引き付けられた。食料の調達は近くの村から奪ってくるし、時々はドイツ軍を襲ってドイツ兵を残虐に殺すし、飢えと寒さとの戦いは最も厳しく、限られた資源を巡って内部での対立もある。彼らは生き延びただけの単なる犠牲者でも勇敢な英雄でもなく、彼ら自身もまた加害者である部分や弱さといった負の部分も含めてわからせてくれるし、森での避難生活の日々の様子の厳しさが興味深かった。生き残るためには綺麗ごとだけではすまないのだ、正義の行いだけで食べていけたのではないという描写が、当時の現実の姿を捉えようとしているように思えた。
ただそれだからこそ、食料を奪われていた付近の住民たちの描写は少ないのは気になる。そうじゃなくても戦時中で物資が無い時代に、食料を奪うという行為はどのようなものだったのか、もっと掘り下げてもいい。またウイキペディアによると、迫力のある唐突な最後の戦車との戦闘は映画の脚色にすぎず実際には無かったようで、やはり生き残るための厳しい生活の描写だけでは地味すぎて物語が盛り上がらせられなかったというのがあったのかと思う。
少ない公開にディファイアンス。
この映画で描かれる、約1,200人のユダヤ人の生命を救った
ビエルスキ3兄弟の史実を私はまったく知らなかった。
さらに今作を観るまで彼らが単なる善人なのだと思っていた。
(いや、別に悪人ではないのだけれど^^;)
よくいう「盗人猛々しい」とはこのことか~。と改めて感じた。
転じて図々しいの意味ではなく、本来の強さ・勇敢さを指す。
あの逞しさあってこそユダヤ人を囲うことができたのだと思う。
付け加えて、D・クレイグはやはり007でなくても食べてゆける^^;
かえってこちらで演じた兄役の方が、私には色気を感じられた。
ユダヤ人狩りから逃れ、森へ逃げ込んだ3兄弟のところへ、
続々と同胞たちが集まってくる。自分らの面倒で手一杯ながら
彼らを見捨てることができない兄は、彼らの世話をかってでる。
とはいえ、常に追われる身であり、またドイツ軍への復讐に
燃える次兄はソ連軍に入隊、村人の密告や同胞同士の確執を
経て、なんとか森で生き延びようとする彼らだったが…。
圧巻はラストの森からの脱出。容赦なく浴びせられる砲弾、
いくらパルチザンとて、抵抗むなしくどんどん殺されていく。
もちろんそれまでにも撃ち合い・殺し合いは数えきれないが
この危機一髪状態をどうやって打破するんだ!?と思ったら
(そうなってほしいとの)願いが通じて意外なことが起こる…。
もちろんダニエルが突然「007になる」なんてことはない^^;
兄弟愛の素晴らしさもさることながら、
少し前に公開された「チェ」に被る部分が多く、辛さも倍増。
抵抗軍たちを纏め上げることの難しさ、リーダーとしての資質、
運命共同体とは清廉な響きに聞こえるが、そんな生易しいこと
ではなかったのだとさらに感じ入ってしまった。
兄が「もうここまで。」と諦めかけた時に「前へ進むんだ。」と
声をかける弟の成長ぶりには泣けた。あのJ・ベルが…と思うと
もう感無量。L・シュレイバーの演技も素晴らしく、言うことなし。
(これはもっと全国公開すべき作品。ディファイアンスするぞっ!)
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