「コミック原作映画はリアルに心に響かず、総てが色褪せて見える」のんちゃんのり弁 Ryuu topiann(リュウとぴあん)さんの映画レビュー(感想・評価)
コミック原作映画はリアルに心に響かず、総てが色褪せて見える
ヒロインである小巻こと、バツイチ・子連れ三十路女が、自立してみせます!と夫との離婚を契機に、人生再出発を宣言する、バツイチ・サクセス物語の映画だ。
この様なお話しは、一見どこにでもありそうで、実は、この話は中々あるお話しではない。
いや、こんな映画のような事は、絶対に有り得ない話だと私は思ったのだった。
小巻の母は、自宅で着付け教室を営んでいる。既に父は他界しているらしいので、そんなところに、一人娘の小巻が幼い娘の手を引きながら、実家に出戻りして来るものだから、母親も堪ったものではない。
と言うわけで、この小巻と母とのエピソードを初めとして、小巻の学生時代の遠い遠い過去の元彼との復活劇は如何になるものか?
小巻は、このしっかり者の母親に育てられていた筈。
何故、一人娘の小巻は、こんなにも、世間知らずの子娘なのだろうか?
しかも、30才になると言うのに、まるで、純粋培養液の中から外へ出た事など決して無いような、いまだに、箱入り娘のままなのだ。
そして、よりを戻そうと、復縁を迫る元夫君との復活はあるのだろうか?
更に、この映画の題名でもある、「のんちゃんのり弁」と言うからには、のり弁が、ヒロインのその後の生活に、どんな関わり合いをもってくるのかと言う問題まで、
どれを取っても、設定的には、笑えるエピソードのてんこ盛りで、お腹一杯になりそうな物語である。
しかし、これらのエピソードの数々は、ショウウインドウの中のサンプルのごはん同様に、見かけはどんな巧い話しであって、笑えても、決してサンプルのごはんは食べる事が出来ない事と同様だ。
食べられない、食事は、栄養もなければ、満腹になる事もない。
この作品で描かれる、下町商店街で繰り広げられる、ドタバタ喜劇のエピソードの数々は、セリフは巧くて響きが良くても中身が無くて、偽物まんまで、シラケテしまう。
笑えて、泣ける筈の、小料理屋の大将との、やりとりの一つ一つまでもが、色あせて見えて来てしまう。
岸部一徳が折角巧い芝居を魅せてくれても、リアルで無くなってしまうのだ。
単なる、美辞麗句の羅列だけでは、心虚しく、セリフだけが、只流れゆく。
出演俳優陣の努力は認めるのだが、コミック漫画の原作設定が、いかにもチープで、映画的には、私には認められない話しなので、最後まで、受け付けられない。
コミック作品の映画化量産作戦、どうにか止めて欲しいものだ!さもなければ邦画の明日がない。