劇場公開日 2008年8月23日

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「時として法の正義よりも慈悲が勝る~信と愛が隠れたスパイスとなっていますね」12人の怒れる男 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)

5.0時として法の正義よりも慈悲が勝る~信と愛が隠れたスパイスとなっていますね

2008年8月1日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

 日本でも陪審員制度が来年導入されるなかで、この作品は真実を裁くことの難しさと法で裁くことが絶対ではないということを思い知らしめてくれます。
 ほとんど簡易法廷なかの動きのない背景と、12名の陪審員の台詞だけでドラマを作り上げたミハルコフ監督の力量は素晴らしいと思いました。試写会ではこの手の単館系作品としては珍しく拍手も起こりました。

 ただし普段余り映画を見ない人にとっては、アクションの少ない本作は、辛いだろうと思います。逆に単館好きにとっては、見ごたえたっぷりに感じるでしょう。何しろ12名の陪審員の男たちのキャラが濃いのです。そして男たちがオーバーアクション気味に、身振り手振り時には事件現場の再現ドラマを即興で演じたり、閉ざされた空間のなかで、激しく主張をぶつけるのです。そればかりでなく男たちの背負ってきた生き様や私生活上のトラブルに至るまで赤裸々に語りだします。そういう点で、テレビ番組で言えば、『行列のできる法律相談所』にすごく似ています。

 彼らの濃厚なキャラが語る身の上話の中から、現代ロシア人が持つ偏見、予見がどんなことか次第に解るようになります。そして台詞だけで、表面的な自由主義体制になったあげく、経済至上の風潮が跋扈するあまりモラルを失ってしまったロシアの人々の混乱、失意を容易に想像させてくれるのです。そういう意味では、痛烈な社会風刺映画の側面をもっています。

 また所々に犯人とされたチェチェンの少年の悲惨な記憶をフラッシュバック的に散りばめたり、簡易法廷のところに一羽の小鳥が飛んできたり、ラストに陪審員1番がマリア像に口づけしたり、要所にシンボリックな映像が散りばめています。おそらく2度3度重ねて鑑賞するなかで、それらのシーンに込められた監督のメッセージを感じ取ることができるでしょう。

 このように観客のイマジネーションを呼び起し、映画のテーマである“人生についての考察”に唸らされるところが、映画通をして本作をすごく引き付ける要素だろうと思います。

 物語は、チェチェン人の少年がロシア人の養父殺害について12人の陪審員が最終的に判決を表決するというシンプルなものでした。しかも目撃証言もあり、容疑は明白。さまざまな分野から任意に選ばれた陪審員たちも審議はかんたんに終わるだろうとタカを踏んでいたくらいです。
 しかし、全員一致の合議が必要な判決において、一人無罪を主張したのが陪審員1番でした。彼の指摘によって少年への捜査の疑問点が次第に浮き彫りにされていきます。その結果12人の陪審員が夜を徹して篤く議論し、次第に無罪を主張する人が増えていくことになっていったのです。
 ここで注目すべき点は、陪審員1番がなぜ一人だけ強行に無罪を主張したのかということです。そのなぞは、ラストシーンあとのシーンで明かされます。それがこの作品のテーマと深く関わっているだけにご注目を。

 12人の男たちのやり取りは、裁判という概念から外れて、すごく芝居かがっていました。笑いを誘われるところも多々ありました。
 特に凶器となったナイフの講釈を述べるところが可笑しかったです。有罪を主張する陪審員3番が背の低い犯人はどのように上から刺したのか説明しながら、7番の外科医を捕まえて、あたかも本当に指すしぐさを見せます。
 このとき、どう見てもナイフと縁がなさそうな外科医は、突如としてナイフを奪い取り、鮮やかなチェチェン仕込みのナイフさばきを3番に見せ付けます。ナイフを突きつけられて目を白黒させる3番の表情が愉快でした。

 さて、この判決が最後にどうなっていったかは、ここまで書くと想像できると思います。しかし問題は、少年が無罪か有罪かということではなかったのです。裁判という法の審判が下される場所で、判決が下されたら、法における正義が貫徹されたことになります。
 けれども陪審員2番は問い掛けます。果たして少年の身の安全を考えたら、無罪にしていいのだろうかと。もし真犯人がいたら、釈放後瞬くの間に殺されかねないぞと。路上より刑務所の方が長生きできる。
むしろ刑務所のほうが安全ではないか。この提案には一同深く沈黙してしまいました。
 果たして、この結末がどうなったのか、ぜひスクリーンで確認してください。

 そしてラストに出てくるロシアの詩人の言葉をかみ締めていただきたいと思います。
 「時として法の正義よりも慈悲が勝る」ことを!

流山の小地蔵