12人の怒れる男 : 映画評論・批評
2008年8月19日更新
2008年8月23日よりシャンテシネほかにてロードショー
21世紀のロシアを覆う閉塞感が浮き彫りに
シドニー・ルメットの出世作のリメイクだが、オリジナルを見ている人も、見ていない人も映画に引き込まれてしまう力のある作品だ。父親殺しの罪で起訴された少年の審理が終わって12人の陪審員が別室に移るところから始まり、彼らの意見が11対1で圧倒的に有罪に傾いているという状況は、オリジナルと同じ。だからルメット作品を知っている人は結論までの道が見えたような気がしてちょっと腰が引ける。が、それは本当に一瞬のこと。すぐにミハルコフの仕掛けにはまって、これがリメイクであることも忘れてしまう。
その仕掛けとは、資本主義経済になってからのロシア社会の混乱を12人の議論の中で見せていくこと。裁かれている少年はロシア軍に親を殺されたチェチェン人で、被害者は少年を引き取って育てた元ロシア兵士だ。ルメットは、少年の冤罪を晴らす過程で、1950年代のアメリカが抱えていたひずみを明らかにし、なおかつ、話し合いで正しい選択を導き出す民主主義への信頼を描いた。だがこの映画で示されるのは、冤罪を晴らすだけでは少年を救うことにならない21世紀のロシアを覆う絶望的な閉塞感だ。精神的な基盤がなし崩しになっている今、我々は何を心の支えにして生きて行けばいいのか。ミハルコフが発した問いは、ロシアだけにとどまらず、世界中の人間にあてはまるテーマだ。
(森山京子)