「日本の若い人や中国の人で一杯だった」天安門、恋人たち 詠み人知らずさんの映画レビュー(感想・評価)
日本の若い人や中国の人で一杯だった
映画館に入った時、何故混んでいるのか(一度は満員札止めだった)はすぐ判った。比較的若い日本人に加えて、中国からの人が目立った。そうか、中国では、この映画は、未公開なのだ。
主人公は、朝鮮族自治州(朝鮮語が聞こえる)に住む若い女性ユー・ホン。北京の大学に合格し、上京する。女子学生寮に入って、友人にハンサムな男子学生チョウ・ウェイを紹介され、付き合い始める。ユー・ホンは、とびきり美しく、こうした女性でよくあるように、自分の魅力がどこにあるのかを知っている。それは、寛容でいて、かつ無慈悲であること。しかも、その魅力は性愛により、最も相手に伝わる。当然の結果として、この映画では、激しい性愛の場面が続く。こうした展開に慣れていない日本の若い観客は、辛そうだった。
ただ、性愛の喜びは刹那的で、理想の相手にめぐり会ったユー・ホンは、いつか二人の間柄が終わってしまうのではないかとの不安から、別れを切り出す。当然の帰結として、さらに激しい愛を交わす。それを繰り返す内に、周囲の学生たちは、自由化・民主化を目指して騒ぎ始め、二人も巻き込まれるが、軍隊の出動を招き(兵士が空に向かって発砲するところが出てくる)(89年の天安門事件)その混乱の中で、ユー・ホンは大学をやめ、かつての恋人が待つ故郷に帰る。それも長続きせず(中国発展の象徴である)深圳、(あの)武漢、(揚子江にかかる橋が美しい)重慶と移り住む。その度に、既婚者や年下を含め、様々な男性と愛を交わすが、本当に満たされることはない。チョウ・ウェイを忘れることができないのだ。
一方のチョウ・ウェイは、友人たちの導きで、ベルリンにわたる。ドイツ語もよくでき、壁崩壊後の現地になじんで行くが、肝心の友人を喪う結果となり、その原因であるユー・ホンの面影が消えることはなく、帰国することになる。帰り着いた重慶で、彼女と再会する。
確かに、物語には繰り返し感があり、少し退屈する。それには、監督ロウ・イエの意思も働いているのだろう。彼は、単なる天安門の物語にはしたくなかったものと思われる。60年代のステューデント・パワーの時代を想い出してみるとわかる。あの時のスローガンは、大学改革に端を発した政治改革だが、その底流には性の解放、個人の解放があった。脚本・監督のロウ・イエは、単なる政治のドラマではなく、その背景にある性を介した個人の解放を描きたかったのだと思う。そのためには、二人のその後の経緯を辿る必要があった。何より、二人が肉体をぶつけ合うことにより、ユー・ホンが本来持つ苛烈さが際立ち、人間としての根源が顕わになった。そこに、この映画の最大の魅力があったのではないか。
それにしても、出会ったときは輝いていた若い二人の、その後10年近くの経緯は、中国の歩み、そのものを象徴している。まだ、その決着はついていないのだと思う。是非、ロングランとなって欲しいが、それには、日本の若い観客と中国の方が頼りだ。