「「丘を越えて」みたら、そこは不思議な社交ダンス会?」丘を越えて ジョルジュ・トーニオさんの映画レビュー(感想・評価)
「丘を越えて」みたら、そこは不思議な社交ダンス会?
<ストーリー>
葉子は江戸情緒残る下町育ち。友人の紹介で、菊池寛を社長とする、文芸春秋の面接を受ける。菊池に気に入られた彼女は、社員としてではなく、菊池個人の秘書として雇われる。ここの社員で朝鮮人の馬海松に惹かれる彼女だが、ある日菊池に景色のいい旅館宿に誘われる。
<個人的戯言>
【♪レ~ジ~メ~♪】
池脇千鶴主演ということで鑑賞。菊池寛に「仕えた」、当時は珍しい「働く女性」を描こうとしたのか、当時の文壇の空気を菊池寛を通して描きたかったのか、日本の占略戦争の中での朝鮮を描きたかったのか、はたまたそれら全ての時代の空気を描きたかったのか、焦点がぼやけっ放しです。挿入される社交ダンス・シーンも、ストーリーと融合することなく、ただ浮いたような感じが残るだけ。そして唐突なラスト・・・池脇、西田敏行の好演もほとんど無駄にしてしまう作品です。
【ぐだぐだ独り言詳細】
最初は池脇演じる葉子の、まさにモダンな女性が、女性が働くには厳しい時代に、凛として世間の常識に囚われず、物事を見て生きていく姿を中心に描くのかと思わせます。しかし彼女が朝鮮人に恋する辺りから、日本と朝鮮の関係における在日の思いや、彼女が若い男に恋することから、はっきり自分の思いに気付く菊池寛、更に彼を社長とする「文芸春秋」を中心とした、文壇にまつわる話等が、根幹となると思われた女性の話からややずれて、整理もつかずにとっ散らかっている印象です。
そしてそれを更に際立たせるのが、挿入される社交ダンス・シーン。いろいろあるエピソードが、話の流れの中でスムーズには流れないので、これがやけに浮いた存在になってしまいます。
主人公の女性を演じる池脇と、菊池寛を演じる西田は、
池脇が若い野心溢れる朝鮮人に惹かれながらも、菊池の思いをむげに出来ず包み込んで、更に独立した、常識に囚われない自分の尺度を持った女性を、
西田が年甲斐もなく、若い女性に純粋に恋をする、巨匠とは思えぬ情けない中年男を、
実に見事に演じています。しかしこの映画の中ではそれも活かされたかどうか・・・唐突に来るラストが最後に駄目押しする、あっけにとられる作品です。