「人間界と妖怪の対立や怨念を描いてきた原作と比べて、双方の共生に向けて模索しつつも和解と信頼を描こうとしているところに違いが」ゲゲゲの鬼太郎 千年呪い歌 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)
人間界と妖怪の対立や怨念を描いてきた原作と比べて、双方の共生に向けて模索しつつも和解と信頼を描こうとしているところに違いが
劇場シリーズの鬼太郎は、独自路線を固めつつあると思いました。少なくとも映像的には、VFXや特殊メーキャップの進歩により、目玉オヤジをはじめ妖怪たちの描写が格段に進歩してきて、『妖怪大戦争』ころの子供だましの映像から、大人がちゃんと楽しめるレベルにきていることがまずあげられます。
ただそればかりでなく、2作目にして演技面や演出面、脚本において、原作とはいい意味で差別化した世界観をつかみつつあるのではないだろうかと思いました。
そのテーマとは、人間界と妖怪の対立や怨念を描いてきた原作と比べて、双方の共生に向けて模索しつつも和解と信頼を描こうとしているところです。
鬼太郎を演じるウエンツ瑛士にしても、自分たち幽霊族の過去の悲劇は悲劇として、苦悩しつつも何とか人間を理解していこうという優しさを滲ませていました。こんな鬼太郎なら、ヒロイン楓が恋心を抱いてもおかしくないなぁという演技でした。怖いだけではなく、どことなく人間的な鬼太郎像をウエンツ瑛士は確立しつつあると思います。
また原作であれば差し詰め敵のボスキャラになるべき妖怪・濡れ女を、敵視し生け贄にしようとする人間界の楓が、その怨念から救い手を差し伸べようとし、それに鬼太郎も手を貸すというところが原作の世界観と大きく違っているところでしょう。
人間界への怨念の代表としては、緒形拳演じるぬらりひょんが登場。理路整然とエゴに満ちた人間界を断罪します。それもぬらりひょんが裁くのでなく、人間界から集めてきた悪想念によって、巨大な魔物を作りあげて破壊するというものでした。つまり人間界の自業自得として、自滅するのだとぬらりひょんはぶち上げたのです。
よく似た話は、スタジオシブリのもののけ姫などでも出てきますが、ジブリでも悪想念による自滅という世界観はなかったですね。ぬらりひょんの理路整然とした終末論は、なかなか筋が通っていて、なるほどと小地蔵は思いましたよ。それだけ緒形拳が大まじめに演技していたわけですが(^^ゞ
これに対する鬼太郎の反論もなかなか聞かせるものでした。鬼太郎はあくまで人間を信じたい、希望を信じたいとぬらりひょんにきっぱりNOを突きつけたのです。
そこから結構激しいぬらりひょん支持グループの妖怪と、鬼太郎とその仲間たちのバトルとなったのです。ゲゲゲの鬼太郎がこんなアクション映画になるとは驚きでした。結構迫力ありましたよ。
そしてラストの濡れ女が、恨み心を解いていく過程では、ちょっといい人情話に。この辺の演出では、元木監督お得意の人間ドラマぽいノリが冴えていました。だからラストではなんと少し(ちょっとだけよ)感動させられてしまいます。こんなラストになるとは意外でした。
鬼太郎は、この人助けのため大きな代償を引き替えにしてしまいました。おまえそれでよかったのか!と気遣う目玉オヤジに、うん僕たちたっぷり時間がある(死なない)から大丈夫だよと答えていたのが印象的でした。
どんな代償だったかは、エンディングロールを終わったあとに長いショットが出てきますので、そこをご覧になってください。
いや~それにしても、妖怪役に出演したキャストの皆さんどれも印象的でしたね。
ダントツのナンバーワンは、蛇骨婆を演じた佐野史郎さん。シャシャシャ~というだみ声の笑い声が頭にこびり付きました。もう別人格の領域に達していると思われます。砂かけ婆との対決シーンは名場面と言っていいでしょう。
ネズミ男の大泉洋はまさに当たり役です!妙に出っ歯が似合っていました。鬼太郎のガールフレンドらしい猫娘は田中麗奈が演じていました。彼女も結構化けるもので(^^ゞ、これも完璧に気位の高いネコになっていましたよ。地なのかも?まぁでも原作よりも遙かにキュートではありましたが。
室井滋も見事に砂かけ婆になりきっていましたね。
キャスティングだけでも楽しめる作品でした。次回はもっと人間ドラマの線を強く打ち出していくことでしょう。続編が楽しみです。