ランボー 最後の戦場のレビュー・感想・評価
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ランボーは破壊者の如く・・・
基本的に戦争映画は嫌いです。どちらかに肩入れしても所詮は殺し合いであり、最も愚かな殺人という行為を正当化(むしろ褒め称える)、または美化する気がして・・・。
ミャンマーという実際の戦場を舞台とし、そこに地獄絵図を描くこの映画は反戦映画と言えるんだろうか?
あまりにも常軌を逸した陸軍の行動によって、自分はこの映画からリアリズムを感じる事ができませんでした。思いっきりフィクション!まるで、ホラー映画じゃないか、これ!
手が飛び、足が飛び、体に穴が空く。下手なスプラッターより凄惨な場面が続き、見世物以外のなにものでもない。(これが事実だというなら、ある意味ホラーかもしれませんが・・・)
おまけにランボーがメチャクチャ強くて、かっこいい。人を助けるという行為で、卑劣な連中をやっつけるので、まさにヒーローそのもの! ホラー大好き、ヒーロー物大好きオヤジにとってこの映画はストライクゾーンど真ん中のエンターテイメントでした!ホンっと楽しませてもらった。
ただ、気になるのは、ちょっとあっさりしすぎかな。敵の卑劣さのみを示すことで、やっつけたときの爽快感がハンパないのは良いんだけど、ドラマを感じない。でもそこが、よけいにB級っぽさを醸し出して、好意が持てます。
【ネタバレになるかな】
全てが終わった。
人質となった人たちを助け出し、敵の一個師団を壊滅に追い込んだ。しかし、その犠牲には計り知れないものがあり、修羅場と化した戦場跡を見下ろすランボー。
彼の胸に何が去來したのか?
父親が住んでいるだろう故郷の地に向かうランボー。戦争が終わったということか?
エンドロールの、あの音楽も大好きです。
プロたちの物語
ミャンマーに縁があって当時レンタルしたが、最初のシーンにショックを受けて見るのを止めていた。今回、4Kトリロジー公開に併せて残り2作の上映があったので5週連続で鑑賞中。
フィクションとはいえ、まだ軍政下だった当時のミャンマー情勢を反映して、少数民族を弾圧、虐殺する国軍の非道な暴力が過剰なまでに描かれる。それに対し、ランボーが囚われた同胞を救いに行くという物語の構造は2・3作目と同じ。
だが、裏切る政治家や無能な情報機関は存在しない(というか米国政府自体関わってこない。アフガンから20年以上たち、さすがにトラウトマンも引退したか)。現れるのは伝道組織の人道支援者たちに救出チームの傭兵たち。どちらも最初は威勢がよいだけのトラブルメーカーかと疑ったが、いざ現地に入ると、後者は特殊戦のエキスパート、前者も戦闘の直後からてきぱきと負傷者の救助を行う、どちらも信念で行動するプロフェッショナルだった。
そして命をつなぐ人々がいればこそ、死と破壊を生業とする人々が際立つ。法と理性が支配する世界では害悪、よく言って必要悪かもしれないが、いいか悪いかと関係なく、彼らが必要となる世界は存在するということを、映画は躊躇なく描き出す。
ランボーは自身が死と破壊の側に立つ人間であることを自覚しつつ、同じ側で戦う仲間(第2・3作で救った相手)以外にも、自分とは相容れなくても信念を持つ人を護るために命を賭けるという生き方もあると気付いて、国に還る決心をしたのかと想像した。
最後に再び、過激な暴力描写についてだが、機関銃で真っ二つに轢断される人間、砲撃や地雷で爆散する肉体をひたすら見続けると、民間人も軍人も、敵も味方も、持つ者も持たざる者も関係なく、武器に対して人間とは何と脆いものだろうとの諦観を抱かされた。
武器は支配の道具にも抑止力にもなる。だがどんな理由で正当化しても、使ってしまえば残されるのは虚しい死という現実に気づかされる。強烈な映画だった。
(11/26初稿、12/23誤記訂正)
最後の戦場になってしまった⁉️
われらがランボーが公開当時のミャンマー情勢を巧みにストーリーに盛り込んだシリーズ第4弾‼️ミャンマーで捕らえられた非政府組織のグループ救出のため、ミャンマーに赴いたランボーの戦い‼️まず「ランボー」シリーズで「プライベート・ライアン」やったらいけません(笑)‼️ランボーは映画が描いた最強の戦闘マシーンの一人‼️そんなランボーの戦闘シーンをリアル描写したら、身体はコマギレとなり、血飛沫は飛びまくりの残虐&グロ描写満載の地獄絵図になるのは分かりきった事‼️クライマックスで機関砲を撃ちまくるランボーはカッコいいけど、敵兵の首を素手で切断するランボーにはゾーッとさせられる‼️勇猛さと恐ろしさは紙一重‼️そんな戦争の恐ろしさと残酷さが見事に伝わってきます‼️「ロッキー・ザ・ファイナル」に続いて、スタローンが自らの当たり役であるランボーを、本来あるべき姿に帰還させた力作だと思います‼️
フーテンの寅
ラストはフーテンの寅さんかとおもった。
少年の頃に初めてランボー2を映画館でみた。
「カッコいい」と思ってしまった。
ランボーをみて少年たちがそう感じてしまううちは、戦争は無くならないんだろうと思った。
となると、あのサラのラストの行動はある意味で人類の希望の光なのかもしれない。
でも、マイケルも人を殺めてるけど…。
前作が偏差値25位なら今作は偏差値45くらいかなぁ。
『ジャンゴ』と『殺しが静かにやって来る』と『プライベート・ライアン』と『地獄の黙示録』をリスペクトしている。
と思ったら、脚本家が違っていた。
しかし、やっぱり、アメリカ人の『黄禍論』に対するトラウマが感じられる。つまり、日本人に真珠湾攻撃で不意をつかれ、ベトナムでコテンパンにやられ、イスラム教の一派に今世紀最大の屈辱をアメリカは味わう。そして、現在は中国の脅威に震えている。
殺戮の映像に関しては暴力映画そのもので、リアルが半端ではない。こう言った軍事政権かどうかは現在の政権だけになんとも言え無い。内政干渉になる。
兎も角、アメリカには外交と言った手段はないのだろうか?
前作が偏差値25位なら今作は偏差値45くらいかなぁ。ほぼ、50位がアメリカ映画の平均的水準。
壮絶ゴア描写で刻む彼の戦場
ランボー・シリーズ第4作。
Amazon Prime Videoで鑑賞(レンタル,吹替)。
1作目の持つ社会派の側面を引き継いだ、前作から20年ぶりの4作目。ミャンマーの情勢を巧みに折り込みながら、義憤に駆られたランボーが再び戦場へと突入していく。
クライマックスの戦闘シーンの壮絶さに震えました。機関砲を撃ちまくるランボーは確かにカッコいいけれど、それ以上にリアリティー溢れる映像の迫力に息を呑みました。
目を覆いたくなるゴア描写に圧倒されまくり。頭や体が吹き飛び、肉片が飛び散り、血飛沫が舞う。暴力のリアルを伝えたいと云うスタローンの考えに背筋が伸びました。
初めてのランボーでした
ランボー作品を観るのはコレが最初でした。
心臓の弱い方でどうしても観たければテレビで放送されるのを待ってみたほうが良いのではないかと思います。
(夜九時に放送できるかは疑問ですが・・・。)
この映画を観にきている人がどのような感想持つのかわかりませんが、私は中盤あたりから涙を止めることができませんでした。
軍事政権下ではこのようなことが現実に行われているんだという恐怖。
そしてランボーの酷いPTSD。
彼は戦争を経験する前の心の平穏を持つことは今後一生できない。
眠るときでさえ彼は戦っている。
戦争は、戦争にかかわったすべての人間の精神を破壊する。
私が見ているのは映画の世界。それを観ているだけでも苦しくなる。
しかし今でもミャンマーでは戦争が続いている。
そんな現状がただただ悲しくなりました。
まぁひどい
ビルマの荒事。 『ランボー』シリーズ20年ぶりの新作にして、「暴力」の真髄を描き出す異色作。
戦争アクション映画『ランボー』シリーズの第4作。
誘拐された人道支援団体のメンバーを救い出すため、ランボーはミャンマー軍に戦いを挑む。
○キャスト
ジョン・ランボー…シルベスター・スタローン(兼監督/脚本)。
ジョン・ランボー、20年ぶりのカムバック。
ランボーもおそらく還暦。とはいえ彼が赤いちゃんちゃんこを着てのんびり余生を過ごしている訳はなく、本作でも相変わらずの死神っぷりで戦場を血に染めていく。
今回の戦場はミャンマー。
「地球上で最も報告されず、生々しく衝撃的な人権侵害は何か」を探していたスタローンがたどり着いた答えがミャンマーで行われている少数民族の弾圧だった。
軍事政権による圧政やアウンサンスーチーさんの長期に渡る投獄など、日本ではそれなりに報道されているミャンマーの惨状だが、アメリカではほとんど知られていないらしい。
この悪夢のような現状を世界中の人々に知ってもらうため、スタローン自らが先頭に立って本作を制作。
『怒りの脱出』『怒りのアフガン』で確立した大味アクション映画という殻を脱ぎ捨て、『1』の路線を進化させたかのようなタフでハードな戦争映画へとシリーズの舵を切った。
本作で繰り広げられるのは、目を覆いたくなるような残虐で凄惨な「暴力」。あの『プライベート・ライアン』の冒頭部を思い出させる、情け容赦ない虐殺が90分にわたり繰り広げられる。
人がただの肉塊になる様を、敵味方関係なく描き続ける。そこにはヒロイズムもエモーションも介在しておらず、ただシステマイズされた戦争/虐殺/暴力があるだけである。
この映画が制作された当時で60年、2023年現在では70年以上、血が流れ続けているミャンマーという地域。システムとしての暴力が常駐すると、それに伴うはずの痛みや怨嗟といった感情すら剥ぎ取られ、ただただ死体を積み上げるという作業へと変化する。
異常なまでに暴力的であるにも拘らず、どこか淡々とした印象を受けるこの映画は、このような暴力の本質を鋭く見抜いているからこそなのだろう。
観ていて気持ちの良いものでは決してないのだが、戦争や暴力について深く考えさせてくれる、非常に価値のある映画であると思う。
犬による山狩りは『1』、捕虜を救い出すという展開は『怒りの脱出』、クライマックスでのゲリラ兵との合流は『怒りのアフガン』と、これまでの全シリーズ作品を踏襲している総決算的な本作。
しかしそれらの過去要素がただの懐古趣味に落ち着くことなく物語に組み込まれているし、何より映画全体のルックが現代的にブラッシュアップされている。
そして何より驚かされるのは、これまでのシリーズを集合させたような作品であるにも拘らず、ランタイムが過去最短の91分であるというところ。
後ろに行くに従ってダラダラダラダラと上映時間が伸びるというのはシリーズ映画にありがちなことだが、ここに来てこれほどタイトに纏め上げるとは…。スタローンの監督としての技量の凄さを感じずにはいられない。
世界を流離ったランボーが、本作でついに故郷へと帰る。
シリーズ4作品を通して綺麗なオデッセイになっているものの、何故今回ランボーが家へ帰ろうと思い至ったのか、その理由がイマイチ伝わってこないというのは少々気になるところではある。
「キリング・マシーン=あるがままの自分を受け入れることができたから」ということなんだろうけど、それと家へ帰るという行為の関連性は薄い気がする。
まぁ25年以上も苦しんできたランボーへのご褒美みたいなものだと思えば気にもならないけどね。
前作から知能指数が100くらい上がったこの映画。
ドラスティックに描かれる暴力、平和ボケした人間への叱咤、何のために生きるのかを問いかけるメッセージ性、どれを取っても強烈な印象を残す作品でした。
これで長きに渡るランボーの戦いも幕を閉じた。…かと思いきや、もうちっとだけ続くんじゃ。
こういうことがあるから、邦題に「最後」とか安易につけない方が良いのである。
ミャンマークーデター
シルヴェスター・スタローンの書く脚本はいつもシンプルだと思う。 伏線など何もない。 ただのボクシングの映画。 ただの腕相撲の映画。 ただの人質救出の映画。 なのに、面白い。
動画配信で映画「ランボー 最後の戦場」を見た。
劇場公開日:2008年5月24日
2008年製作/90分/アメリカ
原題:Rambo
配給:ギャガ・コミュニケーションズ
タイの辺境で暮らしているジョン・ランボー(シルヴェスター・スタローン)。
そこへ米国のボランティア団体のグループが訪ねて来る。
このあたりの地理に詳しいジョンに道案内をお願いしたい。
断ったが何度も熱心にお願いするサラ(ジュリー・ベンツ)。
根負けした形だが現地に向かうことになった。
途中川で盗賊に襲われた。
死を目前にするような危険な目に遭ったが、
計画を変えるつもりはないらしい。
一行を目的地に送り届けたジョンは帰路に。
村でボランティア活動をしていた団体は
ミャンマー軍事政権の陸軍に襲われた。
カレン族に対する苛烈な略奪と殺戮の描写が荒々しい。
眼を背けたくなる。
ボランティアメンバーは全員が人質となった。
米国政府に雇われた傭兵たち
(ポール・シュルツ、マシュー・マースデン等)が救出に向かう。
再度道案内を頼まれたジョンも現地に向かう。
シルヴェスター・スタローンの書く脚本はいつもシンプルだと思う。
伏線など何もない。
ただのボクシングの映画。
ただの腕相撲の映画。
ただの人質救出の映画。
なのに、面白い。
満足度は5点満点で5点☆☆☆☆☆です。
【シルヴェスター・スタローンの脚本スタンスが、アメリカ愛国主義者からアメリカが積極的関与をしなかった異国少数民族擁護に変容した作品。】
ー 今作公開時、
”派手なアクションが減ったではないか。アメリカと余り関係ない国の問題に焦点を当てて、アメリカ国民の心に響かないではないか。”
と言う意見が多かった。
愚かしながら、私もその意見に与していた。
だが、現在この作品を観ると、故国を愛し、裏切られたジョン・ランボーが故国を見限り、前作のアフガニスタンからアメリカに帰国せずに、東南アジアの独裁国家もしくは混乱している国々を渡り歩いている事が分かる。
ランボーシリーズは、ベトナム戦争に寄与した元グリーンベレーの戦士が新たな生き方に移行した事をこの作品では描いている。
◆感想
・偶々かもしれないが、今作の先見の明に驚く。
微笑みの国、ミャンマー。
アウン・サン・スーチー氏は、父アウン・サン・スーチー将軍の志を引き継ぎ、軍事政権を倒し、”民主的国家”を再構築し、1991年にはノーベル平和賞を受賞している。
・だが、ミャンマーには現在でも、今作の冒頭で虐殺されるカレン族を始め、少数民族が135以上も居住している。
・世界的に、ミャンマー政府の少数民族への非道な扱いが明らかになったのは”民俗としても認められていなかったロヒンギャ”に対するジェノサイドの事実である。
■ジャングルで暮らすランボーはNGOの一団をミャンマーに送り届ける。彼らは軍事政権の弾圧を受けている人々の支援に来たのだが、数日後、軍に拘束されてしまう。
知らせを受けたランボーは救出に派遣された部隊と共に再びミャンマーに向かう…。
<アウン・サン・スーチー氏は、少数民族に対するジェノサイドには関与していなかったと、論を張ったが、彼女は現在も拘束されている。
一時は、ミャンマーの自由化の象徴であった人物が・・。
民族紛争の難しさを、シルヴェスター・スタローンが意図して20年振りに今作を製作したのであれば、今作は大いなる意義があると思った作品である。>
■本作の公開後、本作に出演したという理由でミャンマー人出演者や親族がミャンマー政府に逮捕されたというケースがあったという報道もある・・、と資料にはある。
何のための虐殺か?
初ランボー!
本当は一作目から追いたかったけれど、各作品である程度独立しているようなので、第4弾最後の戦場から鑑賞。
舞台は軍事政権下のミャンマー。
ミャンマー国境付近のタイの密林で暮らすジョン・ランボー。
そこに支援団体がやってきて…
いかにも平和な雰囲気でやってくる支援団体と、ここは地獄だと目で語りかけるランボー。
女、子供関係なく虐殺していくミャンマーの軍事政権。
目を覆いたくなるようなゴア描写。
グロいけど、過度なグロではなくより生々しいグロだったので、命の尊さがよく伝わってきた。
ランボーは戦場で生き抜くために敵をぶった斬っていく。
それに対して、「絶対に人を殺してはいけない」と言うマイケル。
確かにそうだけど。
どちらも、正義とも悪とも取れる。
一応、一般的な目線でミャンマー軍=悪と描かれていて、彼らを殲滅したのは美談のように感じたけれど、ミャンマー軍の兵士だって元は集落の人々と同じようなミャンマー国民だったのだろう(劇中でも、子供は兵士のために生かしておけという描写があった)。
難しい。
だから戦争は起こしてはならない。
誰が悪いと簡単に決めつけられないから。
確かに、スタローン演じるランボーはバキバキにカッコよかったし、今のミャンマーの状況もあって観ておくべき映画だと思った。
ただ、また観たいとはあまり思えない。
それぐらい凄まじい映画。
戦場という名の暴力
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