親密すぎるうちあけ話のレビュー・感想・評価
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セラピーなんて誰でもできる?これこそセラヴィ(C`est la vie)
パトリス・ルコント監督作品は好きです。オリジナリティ溢れる設定や会話の中に織り込んだ意味深な台詞、そして極端なまでの俳優のクローズアップ。瞬時にそれを吟味しながら登場人物の心理を読み取っても、自然な流れに乗って、置いてけぼりにされることはない。それでいて、冗長だとは感じられないほど独特の空気に包み込まれるような・・・だけど、いつも満点評価にはならない、何か忘れ去られたものを感じてしまうのです。
今回も伏線だと思わせておいて、最後には煙に巻かれてしまったものがありました。一つは絵の代わりに買い漁ったブリキのおもちゃ。もしかすると北原おもちゃ博物館から借り受けたおもちゃを使っているのか?と疑ってしまうほど、コレクター心をくすぐる品々。父親から受け継いだ事務所から離れることを意識していた割には、父親の時代に流行っていたような逸品もあったかもしれません。
そして、エレベーターに乗れないという強迫観念を持った患者の存在も、ある一線を越えるという意味では上手い伏線だったのに、エレベーターそのものが活かし切れてないような気もしました。まぁ、これはひょっとするとシンドラー社製だったためカットされたのかもしれませんが、定かではありません。
ストーリーは、夫婦生活の悩みを精神科医モニエの診療所で受けようとしていた主婦アンナが間違って税理士ウィリアムの事務所に入ってしまったことが発端となり、間違いであると告げることのできない彼がそのまま何度もセラピーを続けてしまうといった内容。徐々にアンナに惹かれていく様子を演じるファブリス・ルキーニはまるでジョヴァンニ・リビシの父親であるかのような雰囲気で、口数が少ないのに心が手に取るようにわかるほどの上手い演技。モニエからも「いい耳を持ってる」などと言われるほどの聞き上手だったのでしょう。まさしく親密すぎるうちあけ話をアンナからじっくり聞くことになるのです。
そのうち彼女の夫も心配して事務所に乗り込んでくるようになり、決定的なホテルでの衝撃的シーンを目撃させられることとなるウィリアム。セックスシーンもヌードもすべて排除。なのに艶っぽさが真に迫るような、そんなアンナを演じるのはサンドリーヌ・ボレーヌ。彼女の魅力溢れる演技のため、ウィリアムが取る行動も手にとるように想像できるのです。最後には事務所で無くしたジッポライターがいい小道具となり、エンドロールの映像ではタバコまで吸ってしまうウィリアムでした。まさに煙に巻かれたオチまでつきました・・・
【2006年10月映画館にて】
性を語る女
男性はミステリアスな女性に惹かれると言いますが、そんな女性が自らの性についての悩みを語る内容です。
この語る女と語られる男が、フランス映画にありがちな変態セックスに至らない所が面白いですね。
ルコントが描く女性像は、立ち入ることができそうでも、実は立ち入ることができない場合が多いと思うのですが、この作品の主人公の女性も見事に自立したルコント女性だとラストで実感しました。おんぶに抱っこの女性は、好まないのでしょうね。
ゾクゾクする大人の恋愛サスペンス
ゾクゾクする程の刺激に溢れた大人の恋愛サスペンス。
偶然か?それとも故意か?知り合った2人はズルズルと定期的に向かい合い不思議な‘腐れ縁’は続いてゆく。
それはまるで一度踏み込んでしまったら、もがけばもがくほど深みに嵌ってしまう蟻地獄の様に。
懐かしい玩具が並べてある男の仕事場は父親が営んでいた同じ場所、同じ仕事。いつからかここは世界の縮図になった…そこにやって来たのは女郎蜘蛛かそれとも女蟷螂であろうか!女の赤裸々な告白にたじろぐ姿はまるで子供の様である。
窓の向こうを覗き見する姿に続き、顧客の話を上の空で聞いている場面はただ左右を見ているだけなのに男の心情を表す最高の演出です。
ここは[ヒッチコック映画術/トリュフオー]の中で『裏窓』について話し合っている《クレショフ効果》に基づくモンタージュ理論を思い出させてくれます。その後テレビ画面上には『白い恐怖』らしき映像が映ってるのですが…。
人の心を覗き見する楽しみに、時には本心を見透かされる困惑と“理想の耳”になろうとする姿は観ていて滑稽であり、また羨ましくもあった。
久しぶりにパトリス・ルコントの遊び心満載な演出を堪能しました。
(2006年6月13日日比谷シャンテ・シネ1)
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