ジョニー・ベリンダのレビュー・感想・評価
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ジョニー・ベリンダ
1950年代の20世紀フォックス・スタジオにて、シネマスコープ&テクニカラー(又はデラックスカラー)仕様により作られた幾つかの優れた観光映画、都会調の洗練されたコメディー、恋愛映画、或いはミュージカル映画で一般的に知られる、少なくとも我が国ではそのようなイメージしかない映画監督であるジーン・ネグレスコが1948年にワーナー・スタジオで撮った非常に重く、且つ鋭い人間洞察を示したシリアスな作品である。
カナダのノヴァ・スコシア半島の東方にあるケイプ・ブリトン島、半農半漁を収入源とする貧しい一寒村にあるマクドナルド農園が舞台である。
農園主ブラック・マクドナルド(チャールズ・ビックフォード)には、聾唖の一人娘ベリンダ(ジェーン・ワイマン)がいる。ベリンダの母は彼女の出産時に命を落としており、彼女は父と叔母アギー(アグネス・ムーアヘッド)によって育てられていた。しかし一歳の頃に掛かった病気が原因で、耳が聞こえなくなり口も訊けなくなってしまっていた。そんな彼女の毎日は、父がノートに記した簡単な記号だけを頼りに、農園にある製粉所での重労働を手伝って暮らす絶望的なものであった。
ある日、村の新任の医師ロバート(リュー・エアーズ)が、マクドナルドの牛のお産の手助けに来たことから、ベリンダを知る。彼女の繊細な感覚と才能を瞬間的に感じ取ったロバートは、読唇術と手話の心得があることから、彼女にこれを教え始める。ロバートと心も通い、初めて他人と完璧なコミュニケーションが取れる喜びを知った彼女は、持ち前の旺盛な好奇心も手伝い見る見る上達していく。聾唖であることから、それまで知能までもが低いものと思われていたのだ。孤独に閉ざされていた心が開かれ、生き生きとした一人の美しい娘へと変化していく。全編セリフなしのジェーン・ワイマンの表情とジェスチャーのみによる繊細な演技が素晴らしく感動を呼ぶ。毎日の生活で精一杯なことから、ついつい彼女に冷たく当たっていた父も、手話を通して初めて父と娘との本当の会話が出来、自らが娘を愛していたことに気付く。ベリンダ役のワイマンに加え、共演者であるビックフォード、エアーズ、ムーアヘッドの全てが素晴らしく、この世界に惹き込まれてしまう。
ここまでは身体障害者をテーマにした感動的なヒューマニズムに彩られたドラマである。
ところがここから思わぬ犯罪が持ち上がって来る。美しい娘に成長したベリンダに気を惹かれた村の不良男ロッキー(スティーヴン・マクナリー)が、ダンス会の夜、ブラックとアギーの留守を狙ってベリンダを襲い犯してしまう。再び自分の殻に閉じこもり塞ぎ込んでしまったベリンダの異常を察知したロバートは、町に住む友人の医師に彼女を診察させる。ベリンダは妊娠してしまったのだ。そっと叔母アギーだけに真実を告げるロバート。以前はベリンダにやはり冷たく当たっていたアギーも彼女の体をいたわる。そうとは知らない父親が彼女に肉体労働をさせようとしたことから、アギーはとうとう真実を告げてしまう。
季節が移り、父親の居ない子供(ジョニー)が生まれた。初めは動揺を隠せず落ち込んでいた父も、聾唖でない可愛い孫の姿に顔を綻ばせる。
だが父親の居ない子供を生んだベリンダと家族に対して、村人たちの視線は冷たく、度々出入りしている医師ロバートが父親であろうと言うのがもっぱらの噂だった。
嵐が島に近づいたある午後、たまたま農園に立寄り、そこで自分の子であるジョニーを見付け、覗き込んでいたロッキーを、帰宅したブラックが見付けた。ベリンダを襲ったのがロッキーである事を見抜いたブラックは、濃霧が立ち込める断崖絶壁の上にロッキーを追い詰め格闘したが、力尽きて断崖から墜死してしまう。事件の目撃者が居ないことから、ブラックの死は単なる事故死と言うことになった。
噂の為、村では医師としての仕事も成り立たないロバートは、海を越えた街トロントの病院へ移る決心をベリンダに伝え、別れを告げる。
彼女の頬から涙が流れ落ち、ロバート自身もベリンダを愛していたことに気付く。
2ヶ月後、トロントでの生活が落ち着いた頃に、彼女と息子ジョニーを呼び寄せることを約束し、ロバートは一足先にトロントへ出発した。
しかし皮肉なことに、村人たちはロバートがベリンダと子供を捨てて街へ去ったものと思い込む。まともな生活収入が無く、且つ聾唖でもあるベリンダから赤ん坊を引き離し、ロッキーと新妻ステラ(ジャン・スターリング)の養子として引き取らせるのが得策と考え、同意書まで作成してしまったのだ。
同意書を持参したロッキーとステラは、アギーが留守で母一人子一人の農園を訪れる。ロッキーを外で待たせ、初めはステラが遠回しにベリンダに話を伝えに行くが、全てを察知したべリンダは、強引にステラを追い返す。ステラは泣きながら彼女が充分立派な母親であることをロッキーに伝えたものの、ロッキーは”ジョニーが自分の子である’’ことを吐き捨てるように新妻に言い残し、母屋へと押し込む。2階の部屋に隠したジョニーを無理やり奪い去ろうとしたロッキーをベリンダはライフルで射殺してしまう。
ベリンダにロッキー殺害容疑が掛けられ、裁判が始まった・・・
「ジョニー・ベリンダ」は、聾唖者である女性が頑強な男に襲われ、更に絶望的な窮地に追い込まれていくという暗く痛ましい話であり、後見の良い映画とは言えないというのが一般的な感想である。また身体障害者の主人公に加え、他所から来た人間をも排除し、決して心を開かない寒村の閉鎖的な社会がリアルに描かれており、人間の持つダークサイドをストレートに見せつけられるような感じでもあり、暗く重い気分に陥ってしまう。
父と娘、父と叔母、娘と叔母、村人とマクドナルド一家、不良男とその妻、医師と村人等の心の葛藤、欲望のぶつかり合いに全編が貫かれている。
まさに第2次世界大戦後のアメリカ映画だからこそ、ここまで描き切れたとしか言えない心の暗部を表現しており、そういう意味では、この映画もフィルム・ノワールであると言える。
唯一の救いは、純粋で孤独なべリンダと都会生活に疲れ、世捨て人のように地方の寒村にやって来たロバートとの心の交流である。ベリンダに手話を教えて彼女を救い出すことは、同時にロバート自身が彼女に救われることを意味している。孤独から開放され自分の生きる道を見つけたベリンダは、周囲の人々をも幸福へと導いていくのだが、次々と襲い掛かる過酷な運命にも屈せず、敢然と立ち向かって行く彼女の姿に深い感動を覚え、観終わった後は、一般的に言われる後見の悪さなども綺麗に吹き飛んでいた。
フィルム・ノワールと呼ぶべきか否か?どのジャンルに属する作品か?などと言うことはもはや何の意味も成さない。
ただただ他の映画では観たこともない特異で非常に優れた作品に出会えた感動で心の中が一杯に満たされていたのだった。
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