「心理学の事例?」16歳の合衆国 Socialjusticeさんの映画レビュー(感想・評価)
心理学の事例?
簡単にあらすじを読んで興味を持った。すごい映画だった。心理描写が巧みで難解で私には深く考えられない。見る前は、若者の更生や更生施設やカウンセリングにも興味があると思ったがこういう類ではなく、リーランド(ライアン ゴスリング)の心の中は更生施設のなかで二人でバスケット(ドリブル。シュート)をしているシーンに似ている。つまり、リーランドは攻撃的に出ず、戦い方を知らないし、心の中を磨かせてもらえず、燻ったままでいたと思える。バスケットでもう一人の囚人の青年がシュートのブロックの仕方を知らないリーランドにブロックしろと教えるが、人生の中で、このブロックするとかいうステージを逃すと社会適応が難しい成長の仕方をするのかなと勝手に思った。
16歳のリーランドがなぜガールフレンドの弟を殺したのか?殺さなくてはならなかったのか?理由はなにか?父親との親子関係にあるのか?父子家庭であるが、父親の存在感のない生活が問題だったのか?ガールフレンドとの関係がうまくいかないから?自分の心の置き場がなく厭世観が漂っていたのか?などと高校生が殺人を犯す理由がどこかにあると考えてみた。はっきり言って何も理由がないのかもしれないとも思った。
はっきり理由付けがあって、この行為だけではなく、16年間積もり積もったものが何かの形で現れたのかもしれない。未成年の犯罪の場合、犯罪心理学で家庭環境は一番注目されると思う。前記のように、人生で学んでいく過程の何かを失ってしまっているんだと思う。人生において、彼のように純粋な心を保って生きるのは、彼が苦労すると言おうか、人に理解されにくいと思う。攻撃したり、破壊的なことをしたり、困らせたりするわけではなく、倫理的で感が鋭く生きている。この彼には、相手の気持ちをを察することができるから、相手に感情移入してしまう。ニューヨークのおばさんの目からは輝きが消え、伴侶の不倫で離婚したため、悲しさに溢れていると。自分をその哀しさを紛らせるために使ってもらっているようだ。でも、結局は何もしてやれないと思っている。
ベッキーが『大丈夫だ全て上手く行く』と言ってくれというがリーランドは言えない。現実はそうじゃないから。現実を見られないベッキーに対して一時的に相手を喜ばす、『うまくいく』というまやかしは言えない。
そして、ライアンは自転車が障害物の中から出せなくなっている。障害がある故に障害物を乗り越えるのは難しい。そこで、初めて、『大丈夫だ。心配はいらない』とリーランドはライアンを抱きかかえて言えるが、現実的ではない。大丈夫じゃないから。このライアンにもなにもしてあげられないと感じた。でも何かをしてあげた。
これらについて、この映画を自分勝手に理解したつもりでレビューを書いてみる。心理的な映画は大変理解しにくい。