ヴァンダの部屋のレビュー・感想・評価
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隔絶ぶりを強調するものとしての「フレーム外」
解体の進むスラム街を捉え続けるカメラ。そこに住まう人々のどん詰まりの日々だけが淡々と映し出される。狭い部屋、狭い路地に固定されたフレームは最後まで決して動かない。空や海や地平線といった視線の逃走経路は予め閉じられている。
動かないフレームの代わりに、本作では音響効果に技巧が凝らされている。四方3メートル程度のヴァンダの部屋には外部(フレーム外)からの音が絶えず鳴り響いている。解体工事の音、住人たちの会話、子供の泣き声。
こうした音の演出は映画の空間的豊穣を謳い上げると同時に、ヴァンダらスラム街の住人たちの隔絶ぶりをことさらに強調する。
素晴らしい照明効果についても言及する必要があるだろう。暗い部屋の中に閉じ篭もる人々に時折降り注ぐ光の不気味な柔らかさ。さながらレンブラントの絵画のような迫真性があった。
暗室のショットから屋外のショットに繋がる際の唐突な画面輝度の変化は自動車でトンネルの外に出たときのような幻惑を生じさせる。ヴァンダたちが暗く狭い部屋に引きこもり続ける理由をこうした輝度の落差によって裏付ける演出力には舌を巻いた。
ただ、やはり尺が長すぎるんじゃないかと思う。私自身に堪え性がないからといえばそれまでだが、180分という長尺に必然性を感じることは残念ながらできなかった。
あと咳をし続ける人ってどうしてこんなに苛立たしく感じてしまうんだろう?
~奪われていく空間と心~
舞台はリスボン郊外の立ち退きを迫られたスラム街。ヴァンダという女性の部屋を中心に描かれる。ドキュメンタリー作品でありながら大まかな筋書きはある。監督自身スラム街に2年も通い内容を推敲したそうだ。
ペドロ・コスタの作品は『ホース・マネー』(2016年)を鑑賞したことがあるが一貫して画面の構図は暗い部分が占めてフィクスで長回しで撮影される。ドキュメンタリー作品でも類を見ないロングショットはまるで観客との我慢勝負のような挑戦的な手法に感じる。さらに先の見えないゆっくりとした日常会話は三時間という長尺でも常に新しい発見ができる。
物語の序盤はどこか暗さに不自然さを覚えるかもしれない。時間帯の感覚は伝わらないし、うまい具合に表情にスポットライトが当たると演出の効果は否めない。ある程度の感覚で挟む自然光のシーンは余計強烈に感じてそのディティールに込められた神秘さに幻惑する。もしくは明順応の視覚効果だろうか。
ヴァンダはヘロイン中毒で友人と自分の部屋でたわいもない会話をしながら服用する。すでにその行為は中毒と言うより生活の一部と化したのだろう。
中盤から画面の大半を黒が覆うようになりヴァンダも薬物を吸う回数が増えてく。少しずつ焦点が絞れていく。同時に立ち退きの期日も迫り始める。それでもヴァンダは日常を捨てない。再開発計画に反対するそぶりはさほど見せないが、ただただ生活することこそささやかな反抗なのかもしれない。しかし、その願いもむなしく工事は進む。
以前、私は取り壊される一軒家を見た。段階としては最初の方なのかショベルカーで粗削りされていく。二回の和室を見て私は恥ずかしげもなく感動した。普段は外壁しか見ることのできない他者の家をスライスしたように横から見れる意外性と好奇心が掻き立てられ、勝手に壊される前の営みを想像してしまう。
しかし数日後、更地になったその場所を見ると突然寂しくなる。そこに住んでいた家族の痕跡が無に返る瞬間を目撃してしまったが故だろうか。この作品は最後まで工事が続いて終わるが、ヴァンダの周囲は大きく変化していく。画面の暗い部分は決して「黒」だとか「影」など安直な表現はできない。これは「闇」なのではないだろうか。再開発という身勝手な大義に埋もれるヴァンダの心境や薬物の影響でできた心の空洞、孤独感を表わしている。その闇は工事された一軒家のように空間ごと削り取られているため、あるように見えて何もない、触れているようで実感はない漠然とした「闇」が意図的に表現されている。
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