「「手ブレ」隆盛前の「カット割」アクション。」トランスポーター すっかんさんの映画レビュー(感想・評価)
「手ブレ」隆盛前の「カット割」アクション。
○作品全体
ストーリーや脚本はもう最初から横に置いとこう。ジェイソンステイサムのキャラクターを見せる序盤、自らに襲いくる危機とヒロインの苦悩、明朗快活に解決...素晴らしい三幕構成でアクションの邪魔をしない。逆にいうと、ただそれだけ。人間関係の深掘りとかはほとんどなく、「アクションを見せたい」というのが良くも悪くも誇張されているような気がする。
さて、メインのアクション。個人的には対人の格闘アクションを映すにあたって『ボーンアイデンティティ』で興った「手ブレカット」以前の作品の典型作品だと感じた。
アクションの中にメインディッシュを置いて、それを見せるために段取りを取っていくようなアクション構成。そこで印象的なのはテンポよくカットを割っていく手法だ。凶器を振り下ろしてカット割り、避けた反応を見せてカット割、追撃の拳でカット割り...動作にクローズアップしてそれぞれの動きを誇張させつつ、アクションのリズムは切らさない。そして大胆に見せる回し蹴りや多人数への蹴り...というような構成だ。
確かにカット割のテンポ感が心地よくあるのだが、ぶつ切りで見せられている感覚になるのがもどかしい。その上回し蹴りなどの「決めカット」のあとにある誰も動かない(ステイサムも動かない)一瞬の間があるのが気になってしょうがない。1カットを長く取ってせめぎ合いを描写する『ジョン・ウィック』シリーズなどとは明らかに差異があって、面白くもあり2021年の自分は物足りなくも感じた。
冒頭で名前を出した『ボーンアイデンティティ』の公開日は本作とほとんど変わらず、2003年初頭だ。本作の一つ一つの動きを「見せつける」アクションと『ボーンアイデンティティ』のカメラブレ演出で「見せない」アクションが両立する2003年は格闘シーン演出において一つの節目になっているのかもしれない。
○カメラワークとか
・スローモーションカットがダサい。宙に浮く銃とか、爆発の衝撃をスローモーションで映されるのに見飽きた感がある。むしろお決まりと割り切ってやってるのだろうか?
・トレーラーの中でのごちゃごちゃとしたアクションはカット割り主義のアクションは向かない気がする。整理されすぎて狭い空間でのめちゃくちゃ感が薄まってしまう気がする。
○その他
・一番の見どころはオイルでヌルヌルアクション。回転しながらのアクションとも相性が良くて面白いシーンだった。スーパーマンみたいに手を伸ばして滑って逃げるステイサムでめちゃくちゃ笑ってしまったが。
・押井守が『押井守の映画50年50本』で「イギリスやアメリカの映画では必ずある、独り身の男が帰ってきたら真っ先にやる儀式が「冷蔵庫を開けること」なんだよね。」と言っているけれど、本作は車を洗う、だったな。ただ、ヒロインを連れて返ってきた時にはまず冷蔵庫を開けていた。ステイサムはファストフードでの食事シーンが多かった。「冷蔵庫を開ける」とは違った雰囲気の孤独感があったと思う。
・基本的に洋画は字幕で見るけど、ステイサムが出ていると吹き替えで見がち。「石丸博也とジャッキーチェン」と同じくらい「山路和弘とジェイソンステイサム」が好きだ。