ふたりの人魚のレビュー・感想・評価
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苏州河(原題)のような汚ない河(現実)に人魚(空想・幻想)がいるわけがない。※20年前の作品とは思えぬ鮮烈さ
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①中国にもこのような映像作家がいるという驚き。不思議な面白さを湛えている。②話がとても面白いというわけでもない。映像美というのでもない。でも蠱惑的な映画だ。③主人公の目(カメラ)を通して先ずは美美という恋人との話が始まる(主観)。美美は時々姿を消す。主人公には『私がいなくなったら马达のように探してくれるか?』と訊く。主人公は马达の物語を勝手に空想する。ここから視点(カメラ)は主観から客観に切り替わる。④ところが、马达が上海に舞い戻ってきてからは、主観と客観とが混ざり会う=つまりもともと別個だった筈の2つの話がいつの間にか交錯し出す。主人公が勝手に空想した物語の登場人物である筈の马达が主人公の目の前(主観)に現れる。美美も牡丹が架空の産物だと思っていたのが実在の人物と知り(この時点で牡丹は死んでいる=実在していない、が)、ここでも空想と現実とが交錯している。⑤そして又姿を消した美美を主人公は马达のようには追わないことを決心する(視点は主観に戻っている)。カメラに語らせるというのでもなく、カメラが物語を紡いでいくというのでもない、映画らしからぬようで正に映画といったら良いのであろうか。⑥映画を考えるんじゃなくて、映画を感じることを選んだら、恐らくこの映画は解る。
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